スタンドアップ・ボーイズ! オーバーラン

和泉茉樹

スタンドアップ・ボーイズ! オーバーラン

     ◆


 祖父が風邪っぽいと言った翌日、高熱を発して病院に担ぎ込むことになった。

 診察によればよくある風邪で、高齢のために免疫が低下しているのだろう、と医者にはまだ余裕があった。

 汗まみれなのに青い顔をしている祖父は既に自力で立てず、車椅子に座らされていた。

「とりあえず、五日ほどは余裕を見ましょうか。入院です」

 仕事がある、と祖父が呻くように反論するが、医者はにべもなく「休んでください」と一言で片付けた。苦々しげな祖父の表情は普段なら相当な圧迫感を伴うが、今は力ないように見えて、実際、もう祖父は反論しなかった。

 病室が用意され、俺は何か持ってくるものがあるか、祖父に確認した。

 入院着に着替え、すでに白で統一された寝台の上に横になっている祖父は、最後の抵抗という感じでボソッと答えた。

「端末を持ってこい」

「端末? ここにある奴じゃなくて?」

 祖父の持ち物から小型の携帯端末だけは回収して、今も寝台脇の棚に置かれている。

「家の部屋にある、古い奴だ」

「なんでそんなものが欲しいわけ?」

「病人を労わろうとは思わんのか」

 やれやれ。病人という自覚を持ってくれたのはありがたいが、ワガママだなぁ。

 俺は一度、家へ戻った。普段はあまり乗らない小型のトラックの運転は、二足歩行ロボットであるスタンドアッパーと比べるとどこかおもちゃみたいだ。

 祖父が経営している整備工場のシュミット社の敷地に、適当にトラックを乗り捨て、作業場の裏にある家へ向かう。

 女手がないが、祖父が几帳面なので雑然としたところはほとんどない。一番ちらかっているのは俺の部屋だろう。

 祖父の部屋は一階の奥にある。

 失礼します、などと意味もなく口にしながら扉を開ける。

 どこか懐かしい匂いがした。

 書棚が壁にあり、綺麗に本が並んでいる。背表紙の列が鮮やかだった。智と静寂、原則と規則の美しさ。

 寝台は乱れていない。祖父が病院へ行く前に整えたのだろう。

 古い端末というのは……、これか?

 小さなデスクの上に、なるほど、三十年ほど前のモデルの、古めかしい端末があった。二つ折りにできるので、持ち運びを意識しているんだろうけど、それでもかなり大きい。コードが壁の端子につながり、それは情報ネットワークと電源を兼ねているようだ。

 あまり詮索するのもマナー違反と考えて、俺は開かれたままだった端末を二つに折る。コードも壁から抜いて一つに括って、抱えて部屋を出る。

 トラックへ戻り、助手席にそっと端末を置いた。あとは病院へ取って返すだけ。トラックの機関部が不機嫌そうな音を立て始める。祖父も歳なら、このトラックも歳だ。

 病室へ戻ると、祖父は寝台に寝転がって窓の外を見ていた。四人部屋で、他の三人もそれぞれに時を過ごしている。

「これでいい?」

 俺は端末を祖父に見せると、かすかに顎が引かれた。

 祖父は点滴されていて、こうして改めて見ると本当に病人のそれにしか見えない。

「仕事があるから、行くよ」

 無言で頷かれた。

 シュミット社の作業場へ戻り、俺は一人で仕事をした。祖父を病院に連れて行ったり、端末を持って行ったりして、スケジュールが押している。

 結局、昼食も夕食もそこそこで、ひたすら自動車の部品交換やスタンドアッパーの微調整を繰り返した。

 すでに秋になろうとしている。

 ハッキン州名物のスタンドアッパーの多種目競技会、ハッキンゲームはいつも通りに継続している。

 俺だけが少しだけ、日常からはみ出しているような気がした。

 深夜になって、もう寝ようと思ったけど、同時に空腹感がやってきた。

 自分で作ってもいいけれど、さすがに疲れた。

 作業場の明かりを消し、鍵をかけて、夜に歩き出した。

 そばにあるバーに行くと、いつも通りの賑やかさがそこにあって、反射的に安堵した自分がいる。

 知り合いが大勢いるので、かけられる声に応じたり、あるいは笑って見せてやり過ごしたりしているうちに、感覚が平常に戻ってきた。

 カウンターで店員に厚切りハムと野菜、チーズをパンで挟んだものと、ビールを注文した。

「景気はどうだい」

 店主の男がビールの入ったグラスをこちらへ差し出しながら、世間話を向けてくる。

「あまり良くないな。この店ほどは儲かっていないよ」

「この町のゴロツキは、アルコールと脂が大好きだからな」

「俺も好きだよ」

「あんたもゴロツキってことだな」

 ハンバーガーのようなものが出てくる。自分で勝手に味を変えるのが流儀なので、トマトケチャップ、マスタード、胡椒、酢を適当にぶっかける。

 席を確保してさっさと食べ、喧騒に包まれる店を早めに出た。

 すでに時刻は深夜である。

 ゆっくりとした歩調で家へ戻り、玄関の扉を開けた途端、やっぱり何かが切り替わったのがわかった。

 ここに祖父はいない。

 しばらくは一人で生活する、それだけのはずなのに、まるで世界に自分一人だけが残されたような気がした。

 翌朝、適当に仕事をこなし、昼休みも兼ねて病院へ行った。

 祖父は昨日より頬に赤みが差し、表情にも気力が戻っている。

「何か持ってきて欲しいものは?」

「それよりも仕事をしろ。店を潰す気か」

「昼休みとしてここへ来ているだけだよ。仕事はしている」

「移動の時間が無駄だ。うちの経営状態を知らんのか」

 どうやら本当に気力は回復しているらしい。

 心配して損したな。

 家へ戻る途中でサンドイッチを買い込み、車を運転しながら腹に入れた。

 戻ってみると、なるほど、自動車が二台ばかり運転手とともに待ち構えていた。どちらも顔を知っている、街の住民だ。

 どこへ行っていたか聞かれたけど、病院とは言わなかった。自分のためというよりは祖父の名誉のために。

 きっと、労わられるのは、祖父の望むところではない。

 自動車の修理はあっという間に終わった。二人にそれぞれ出したコーヒーが冷める間もなかった。

「おーい、オリオン、元気しているか」

 のんびりとダルグスレーンがやってきたのは、そういう一仕事を終えた後のタイミングで、この高校時代からの悪友は、俺に仕事を与えるために来たわけではない。

 この男は四六時中、暇しているのだ。

「元気だよ。ダルグスレーンこそ、仕事をしなくていいのか?」

「重要な話があるんだ、オリオン。極めて重要な」

 俺の質問に答えがないのにはムッとしたが、しかしダルグスレーンは真剣だった。

「どんな話?」

「パワーウイングⅧ型を下取りに出す、と親父が言い始めている」

 これにはさすがに俺も驚いた。自然とダルグスレーンが乗ってきた自動車を確認してしまった。

 そう、スタンドアッパーではなく、自動車なのだ。

「まさか、もう下取りに出した?」

「俺が引き止めている。だから、まだうちにあるけど、時間の問題だ」

「で、俺にどうしろと?」

「一緒に金を出し合って、親父からあの機体を買おうと思ってな。どうだ?」

 どうもこうもない。

 骨董品のパワーウイングⅧ型でも軽自動車程度の値段はする。絶対に出せないという額ではないが、ただ、あの骨董品を買ったところでどうなるのか。

 パワーウイングⅧ型が手元になくなっても、思い出は思い出として残るはずだ。

 それなのに、証が欲しいのは何故だろう。

 ダルグスレーンは必要な金額について話し、ダルグスレーンの親父もある程度は負けてくれるだろうが、しかし決して安価とはいかないことを教えてくれた。

 ちょっと相談するよ、と俺は言ったが、明らかに無意識だった。

 相談する相手といえば、祖父しかない。

 ダルグスレーンはなるべく早く答えをくれ、と去って行った。

 夕方、面会時間ギリギリに病院に行ったが、祖父は入浴に行っていた。回復が早いことだ。

 無人のベッドの脇の椅子に座り、棚に置かれている旧型の端末が気になった。

 しかしまさか、中身を見るわけにもいかない。

 祖父はどこか緩んだ顔で帰ってきたけど、俺を見てちょっと険のある表情に変わる。

 俺はダルグスレーンから聞いた話をして、できれば買い取りたいという意向も伝えた。

 ずっと黙っていた祖父は俺が口を閉じると、無言で例の古い端末を手に取り、画面をこちらへ向ける。

「十二年前の日記だ」


       ◆


 今日、初めてオリオンに実際のスタンドアッパーの整備をやらせた。

 意外にいい筋をしているし、細かな作業に向いているようだった。集中力も高く、感覚も鋭い。

 大間抜けのイカロスと、傭兵女のディアナの間に生まれたこの少年、孫がどういう道を選ぶにせよ、教えられる限りのことは教えるつもりだ。

 もしかしたらいつか、ディアナのようにスタンドアッパーを乗り回すかもしれない。

 もしかしたら、イカロスのように飛び出して行って行方不明になるかもしれない。

 問題は何をするか、どこにいるか、ではないと思っている。

 本当に必要なのは、生きること、生き抜くことではないか。そう思う。

 この年齢になるまで、整備工場を続けてきたが、あと三十年はとても無理だろう。誰が店を継ぐにせよ、店を閉じるにせよ、今、できることは一つしかない。

 オリオンに技術を伝えること。それが活きるも、無駄になるのも、気にしても意味はない。

 何かがこの少年の中に残ればいい。

 それはイカロス、ディアナも同じだろう。

 とにかく今日は記念すべき日、最初の一歩が踏み出された日だ。

 新しい道への、新しい一歩。

 全てはそこから始まるのを、長い人生で知った気がする。

 自分も、誰もが、そこから始まるのだ。

 少し感傷的な記録になってしまった。

 これだけははっきりしているのは、孫はもう、羽ばたきつつある。

 どこかへと向かって。


       ◆


 それで? と言いたいのを無言で祖父の顔を見ると、端末を引っ込めた彼は、窓の方を見ながら言った。

「好きしろ、ということだ。お前はお前の道を行け。あの古ぼけたマシンも、あの小僧も、お前の背中を押しているんだよ」

 俺は何も言わないまま、ただ頷いた。

 祖父はその四日後、回復して退院した。そしていつも通りに仕事を始めた。

 パワーウイングⅧ型がやってきたのは、その一週間後だった。



(了)

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