第9話 結構簡単に割り切れた。僕の方は。でも彼女たちは。(前半)

「妃依瑠ちゃん、すっごくダサいね。妃依瑠ちゃんの名前は、誰かを癒やしてあげる『回復のヒールHeal』じゃなくて、嫌な想いをさせるだけの『悪役のヒールHeel』の『ひいる』だったんだぁ! くすくすっ。ぴったりだね。ウチも青春時代にたくさん煮え湯を飲まされたし、まさに悪役だよっ。あの頃ウチに何年も何年も嫌がらせをしてきた罰だと思うよ?」



明陽恋めいこが蔑みの目線を妃依瑠ひいるに送りながら嘲笑する。

口元だけは楽しそうな、それでいて目元には悲しみと憎しみも孕んでいるような、そんな複雑な表情。


明陽恋は普段、滅多なことでは人の悪口とかは言わない明るい人だ。

少なくとも僕が知ってる範囲では。


その彼女が、人の名前まで侮辱するような、ここまでのことを言ったことに凄くびっくりした。


でも、彼女が辛酸を嘗めさせられた話も聞いてるし、その感情もわからなくはない。

とはいえ、妃依瑠の立場もちょっと可哀想と思うところもあるので、さすがに諌めてあげないと妃依瑠が壊れてしまう。


「明陽恋。気持ちは推察するけど、ほどほどにね。 妃依瑠も可哀想な立場なんだしさ」


別に妃依瑠への情だけでこういうことを言ったわけじゃない。


彼女の言い分によれば、『すべてを捨ててきた』ということらしい。

追い詰められた人間はなにをしでかすかわからないという話はよく聞く話でもあるし、過度に攻めたてるのは危険だろう。


そういう意味で、僕たちの平穏な未来のためにも、諌めようと思ってのこと。


もちろん、情の側面もある。

今となっては特になんとも思ってない妃依瑠だけど、さすがに20年来の幼馴染なんだ。

万が一、自ら命を絶ったりでもされてしまったら、いくらなんでも寝覚めが悪い。


僕の言葉を聞いて、明陽恋はすぐに嘲笑するような表情や言葉を切って、今度は感情のこもらない『無』の表情で、平坦な声音で続ける。


「うん、そうだね、わかってる。妃依瑠ちゃんも被害者だもんね。好きでもない男の人の子どもを産まなきゃいけなかったなんて、同じ女として凄く同情するよ。辛かっただろうね」


「............メイちゃん......」


「でもね。スズくんとあなたの家族を天秤にかけて、結局家族の方を選んだのは、妃依瑠ちゃん、あなた自身だよね」


「........................」



あ、穏やかな声だけど、まだ追求はやめないわけね。

......まぁ、ここでちゃんと言っておいてあげるっていうのは、厳しいことかもしれないけど、妃依瑠のためでもあるだろうな。


彼女がこれから悔いのない行動をしていくためにも、自分の行動が導く結果には目を向けられる方がいいだろうし。

当時の僕みたいにこっぴどくいかれたほうが、妃依瑠も素早く割り切れることに繋がるだろうしね。


責任の帰属先が自分以外にあると考えて生きるのは、その場では楽かもしれないけど、その実体は自分に返ってきたりするもんなぁ。


大人になっても怒ってくれるのは貴重って言うやつかな。

............今回のには、明陽恋の私怨も多分に入ってるだろうけど。




明陽恋は平坦なままさらに続ける。


「あのとき、スズくんがあなたに理由もなく捨てられて、どれだけ傷ついていたか分かってる? ずっと尽くしてくれてたスズくんのもとから、1つの相談もなしで姿を消して。......それはスズくんからの信頼を全部壊す、一緒に過ごした年月を裏切る行為だったんだよ、妃依瑠ちゃん。あなたはそのことがわかってない。だから『ヨリを戻して欲しい』なんてフザケたことが言えるんじゃないの? ウチが一番許せないのはそこだよ」



あぁ、なるほど。

さっき明陽恋が凄い罵倒の仕方をしてたのは、僕の代わりに怒ってくれた部分が大きいってことか。


確かに明陽恋の性格的にも、自分のためより人のための方が感情的になるってのはわかる。


僕よりも明陽恋の方が、あのときのことを割り切れてなかったらしい。

......もうそこまで怒らなくてもいいのに。



うん、けど、本当に明陽恋の言うことはその通りそのままだと思う。

僕的には、妃依瑠に捨てられたことよりも、彼女の状況を何一つ相談してもらえないくらい信用されていなかったってことを知った今の方が、衝撃は大きいかもしれない。


いやまぁ、あくまで『衝撃』が大きいだけで、今更『悲しみ』が襲ってきたりはしないけど。

悲しみはフられた当時が一番きつかったし。


僕たちが出会った7歳から別れた23歳の末までの17年半の間に積み重ねてきた、と僕だけが思っていたらしいものが、全て裏切られてたんだなってことに、寂寥の念を抱いたんだ。


でも僕にとってはある意味、それを知ったのが今で良かったかもしれない。

彼女から信頼されていなかったって事実を振られたばかりのころに聞いてたら、その分悲しみが大きくなって、最悪自ら命を断つような選択をした可能性も、まったくないとは言い切れない。

いや、さすがに無いとは思うんだけども。


とはいえ、きっと彼女だけが全部が全部悪いってわけじゃないと思う部分もある。


妃依瑠にとっては、僕は、家族とのことを打ち明けて一緒になんとかしていけるって信頼に値する男じゃなかったんだよな。

それは、そういうパワーを見せてあげられなかった僕にも責任の一端はあるんじゃないだろうか。

当時の僕には、彼女にとって、漢らしさが足りなかったのかも。


だから、そういう部分で妃依瑠への申し訳無さもなくはないわけだ。

昔のことだし、明陽恋の言う通り妃依瑠がした行動の結果として現在があるわけだし、今となっては関係ないんだけどさ。





「............確かに私はだめなことしたし、メイちゃんが言うようなことはわかってなかったかもしれないけど......。でも、なんでメイちゃんにそこまで言われないといけないの!? メイちゃんには関係ないじゃん!」


「「関係ない............?」」


妃依瑠の言葉に僕と明陽恋の疑問の声が重なる。


「だってそうでしょ!? ずっとただの幼馴染・・・・・・だったメイちゃんに、私と涼矛すずむの関係なんてわからないよ!」




........................ん?


「......ただの幼馴染ですって?」


まさか妃依瑠のやつ、さっき指輪まで見せたのに気づいてないのか?

っていうか、僕が明陽恋をここにつれてきてるのに、その理由がわかってない......?


そんなことある?

妃依瑠ってそこまで察しの悪い子だったっけ?


「そうだよ! っていうかメイちゃんがここにいるのもおかしいよね!? 涼矛がどうしてもって言うからしょうがないと思ってたけど、私達が感情的になりすぎておかしなことが起こらないように仲裁役として来てくれたんじゃないの!?」


えー、そんな風に思うことある?



「はぁ......」


妃依瑠の頓珍漢なセリフに明陽恋が嘆息して続ける。


「気づいてなかったのね。確かに机で隠れて見えなかったかもね。ほら、これ」


明陽恋が左手の甲を妃依瑠の方に向けるように見せつける。

さすがにこれを見たら、どれだけ察しが悪くてもわかるだろう。


「う、嘘だ............。まさか、メイちゃん......。あなたが涼矛の............? 嘘だよね......?」


「いいえ、嘘じゃないわ。涼矛はウチのもの、ウチは涼矛のものだよ」


「うそウソ嘘っ! メイちゃんなんて、ずっと涼矛になんにもえないまま涼矛の近くにいるだけの子だったのに!」



え、妃依瑠、気づいてたのか......?


「......やっぱりあなた、気づいてたんだね。それなのにウチにずっとスズくんとの話をしてきてたんだね」


「っ......。........................だって、私よりもずっと昔から涼矛すずむの傍にいて、彼女の私と同じかそれ以上に涼矛から信頼されてて......。いつ涼矛が取られてもおかしくないって怖かった......。なのに、いっそのこと嫌いになりたかったのに、メイちゃんはずっとすっごくいい人で嫌いにならせてくれなくて......。だから涼矛と私の話を聞かせてあげてたら、完全に諦めてくれるかもって思ってた!」


妃依瑠ひいる! お前、そんなつもりで明陽恋めいこに絡んでたのか!? ......もしかして高校も明陽恋と一緒のとこに行きたいって......「スズくん!」......言った、のも」



単に無邪気にのろけてただけだと思ってたのに、そんな腹で明陽恋に嫌がらせしてただなんて聞かされて、自分のことより怒りが湧いて、つい声を荒げてしまった。

けど、その言葉も感情も、明陽恋に止められて勢いをなくす。


真っ直ぐに僕の方を見つめる明陽恋の瞳は、「落ち着いて」って言ってるみたいで。


「ウチは大丈夫だから。そんなの昔のことだし、妃依瑠ちゃんの気持ちもわからなくはないよ。恋してたらそういうこともしちゃうことだってあるよ」


「......明陽恋が、そう言うなら......」



まぁ確かに僕が怒ることじゃ、ない、のか?

っていうか、知らなかったとは言え、妃依瑠と一緒になって明陽恋を傷つけてたのは僕も同罪かも。


............この件についてはこれ以上僕から追求するのはやめとこう。そんな権利ないみたいだし。



明陽恋は僕が落ち着いたのを見て「ふっ」と口元を緩めたかと思うと、もう一度表情を引き締めて妃依瑠の方を向き直す。


「で、妃依瑠ちゃん。そういうことよ。別に昔のこと自体はそこまで恨んでないわ。全く恨んでないってわけじゃないけどね。......いえ、正直に言えば凄く恨んでるけど、今それを言っても仕方ないのは理解しているつもり」


「........................ごめんなさい......」



明陽恋の大人な対応に、妃依瑠も勢いをなくして謝罪する。

謝っても過去のことがなくなるわけじゃないだろうけど、それくらいしか今更できることはないってところか。


「別に謝ってもらっても詮無いことよ。それよりも話を戻しましょう。今はスズくんはウチの夫。ウチはスズくんの妻なの。決してただの幼馴染なんかじゃないし、ましてや無関係なんかじゃない」


「............メイちゃんが、私の涼矛を奪ったんだ......」





______________

すみません、最終話と思いましたが、思ったより長くなってしまったので2話に分割します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る