第4話 まずは足元からドアの中に作戦

「これからはこの家で一緒に住むっていうのは、どうかな?」


「う、うーん......いや、それもしばらく考えさせてもらってもいいかな......」



*****



僕と明陽恋めいこは、ホテルを出てからとりあえず明陽恋の家に行くことにした。


僕の家は、僕自身も明陽恋も同意見で嫌がった。

僕の元カノで僕と明陽恋共通の幼馴染でもあった薄墨妃依瑠うすずみひいるの面影が見えてしまうかもしれないってことで。



浮気されてたかもしれない。

それで何も言われないまま裏切られたのかもしれない。

11年も一緒に居た元彼女が、自分と別れて2ヶ月で、知らないところで結婚してた。


それを思うと、今でも若干胃がムカムカする。

でも実際に嘔吐するってことは、昨日も今もない。


そこまで強烈な感情に苛まれるほどじゃ無いってことだ。


妃依瑠の浮気疑惑には証拠も確信もない。

だから、それに過剰に反応するのも馬鹿らしいっていう理性的な部分と、明陽恋のおかげって部分も大きいかな。

もう捨てられて終わった話なんだと思ったら、案外なんとか気持ちも持ち堪えられるものだった。


それでも、今家に帰ったら妃依瑠とのいろんな思い出が頭によぎって、変に嫌な気持ちになりそうだった。


そんな僕の気持ちも察せられていたのか、明陽恋は彼女の家に招待してくれた。



「おじゃましまーす」


「はいどーぞ」


「こっちで手洗いうがいしてー」


お邪魔してすぐ洗面所に案内されて、彼女に続いて手洗いする。



「はーい、良くできまちたねぇ〜」


「はいはい」



なんだよ、手洗いしただけでよくできましたねって。


昨日から、いや、昔もそうだったかな。

明陽恋は僕のことを子ども扱いしたいときがあるみたいで、こんな感じで接してくることがある。


............悪くないけど。


「ふふっ、スズくん、赤ちゃん扱いされるのも悪くないなぁって顔してる」


「してないよ」


「そうだね。そういうことにしとこっか♫」



なに大人の余裕みたいな対応してるんだよ。

そこは突っかかってきてくれないと、明陽恋が『折れてくれた』みたいになって、僕の子どもっぽさが際立つじゃないか。


僕のそんな内心でのツッコミは知りません、とばかりに、「こっち」と言いながらリビングに向かって歩き出す彼女にしぶしぶながらもついていく。


ついていく、とは言ったけど、明陽恋の家はワンルームのアパートで、他に進むところもなかったんだけど。

玄関を入ってすぐのところに備え付けられてるキッチンと冷蔵庫、さっきの洗面所とそこに併設されていた浴室、それからもう一つの扉、おそらくお手洗いだろう。

それらが並ぶ廊下を抜けたらすぐにあったリビングに入っていくだけ。


フローリングの上にカーペットが敷かれた部屋の中にあるのは、ベッドと、小さな四角いコタツ机。

仕事用と思われるコの字型のデスクとチェア、それから着替えが入っているのであろう収納箪笥に、壁にある扉型のクローゼットらしきものだけ。


白を貴重としたシンプルな部屋だ。



「適当に座ってて〜。今飲み物入れてくるよー。お茶でいいかな?」


「あ、うん、お構いなく」



適当にって言われたので、とりあえずベッドに腰掛けておく。


明陽恋は、居間の扉を出てすぐそこにあったキッチンの端の冷蔵庫からペットボトルの緑茶をとって、白と赤のペアデザインのコップ2つに注いで持ってきてくれた。



「あー、女性の部屋に入っていきなりベッドに座るとか〜。スズくんはエッチだねぇ」



コップ2つを目の前の机の上に置いて、ニヨニヨとした表情でそんなことを言われる。

だけど。



「いや、僕と明陽恋の間でそんなの今更じゃない?」


「え〜、親しき仲にも、ってやつだよ〜」


「確かに......。ごめん」



普通に論破されて、ベッドから降りてカーペットに腰を下ろし直す。



「ふふっ、相変わらず素直だねっ。うそうそ、いいよ、ベッドに座ってて」


「や、明陽恋がそこに座るなら、とりあえず僕もここでいいよ」


「んー、そっかぁ」


「うん」


明陽恋が机の位置に、カーペットに直接腰掛けたから、僕もベッドじゃなくて床に座ることにした。


それから1分くらいだろうか、5分くらいだろうか、僕らは特に何も話さないまま、ゆっくりとお茶をしばいた。

僕の方も、何を話したいってわけでもないから、その空気に甘んじてた。


その空気が別に苦痛じゃなかったってのも大きいな。


先に沈黙を破ったのは明陽恋。



「スズくんは、もう気持ちは落ち着いてる? 大丈夫?」


気を遣ってくれているらしい。

それか、今ここですべき話なんてそれくらいしかなかったからか。



「うん。って言っても、さすがにモヤッとはしたままだけどね」


「そりゃそうだよね」


「まぁでも、昨日取り乱したときみたいな強い感情はもうないかな。なんていうか、これでほんとに吹っ切れたって感じかな」


「それはよかった」



うん、それが今の素直な気持ちだな。

意外とこんなもんか。

浮気されてたかも、ってなってもこの程度って、やっぱり僕は冷たい人間だったのかなぁ。





振られた日と同じような自己嫌悪に陥っていると、明陽恋がさらに気を遣ってくれたのかくらだないことを矢継ぎ早に尋ねてきた。


「ところでスズくんは携帯アンドロイドなんだね」


「うん? あぁ、そうだね」


「スズくんのことだし、どうせこだわりとかそんなにない感じなんじゃない?」


「そうだね。そんなにないね」


「そういえばスズくんはトランクス派なんだね」


「だね。ピッチリしたのとかは好きじゃないからね」


「ふふ、そうなんだね。あ、お茶なくなってるね、おかわりどう?」


「うん、ありがと。もらおうかな」


「はい、どーぞ。昨日行った居酒屋、スズくんは初めて行ったんだっけ?」


「あ、うん、そうだね。行ったことなかったな。美味しかったね。今度また行こうかな」


「そっかそっか。気に入ってもらえたなら何よりだよ」


............さっきから凄い脈絡ないな。

明陽恋は話題に困って模索してくれてるのかな?


それなら僕の方もなんか話題に乗っていくか。



「明陽恋はさ「ちょっと今はしゃべらないで?」......あ、はい......?」



なんで?

ニコニコしてるのに、なんで僕しゃべるの止められたの?


トークテーマ求めていろいろ話してたんじゃなかったの!?

それでどうでもいい話振ってきてたんじゃなかったの!?


「えっとー、じゃあ〜、スズくん、温度は丁度いい? 寒くない?」


「ん? うん、大丈夫。エアコン入れてくれてるし、ちょうどいいよ」


「スズくん、チューして良い?」


「あ、うん......って、いきなりだね!?」



チュッ。


「昨日もいっぱいしたもんね」


「う、うん、そうだね」



確かに昨日何回もしたけど、こう明るい中だと気になるな......。


「元カノ以外にキスしたのはウチだけ?」


妃依瑠の名前を出さずに『元カノ』なんて呼び方したのは、僕のためにあえてなんだろうな。


「うん、そりゃそうだよ。僕は、浮気とかしないから」


「だよね」



サレたのかはわからないけど、少なくとも僕は絶対そういう不貞は働きたくない。

うん、自分に誇れる自分でありたいもんね、うん、そうだよ。



「じゃあウチをお嫁さんにしてもらえる感じかな?」


「うん......って、え!? お、お嫁さん!?」


「やった♫」


「いやいや、は? なに?」


「いや〜、前に何かで、『肯定的なお返事もらいたいときは、本命のお願いの前に「うん」って言わせ続ける話をしてたら流れで言っちゃうことが多い』っていうのを見て試してみたんだ〜。ふっふっふっ、スズくんはまんまと策に嵌って、ウチをお嫁さんにしてくれるって言ってくれたね♫」


「いやいや、そんな不意打ちなしでしょ!? なんていうか......。さすがにそこまで吹っ切れたわけじゃないっていうか......。付き合うのとかは怖いっていうか......」


「あはは、だよね。さすがにそんな無理矢理はダメだよねー。スズくんも気持ちを整理する時間がもっといるだろうしね。てへへっ」



舌をチロッとだして、右手を猫の手みたいにして自分の頭にコツンってしてる。

ちょっと昔のドジっ子とかがよくやるアレ。


20代真ん中なのにすげぇ似合うな......。



「いま失礼な事考えたでしょ」


ジト目も似合うな。

ってか表情豊かすぎでしょ。



「考えました。ごめんなさい。......それより、明陽恋がそんな冗談言うなんて珍しいね」


「......冗談?」


「うん、お嫁さん、なんてさ」



さっきは明陽恋が急に凄いこと言い出してびっくりした。

明陽恋は昔から明るいけどそういう男女関係の冗談は全然言わなかったから、そういう意味でもびっくりしたんだよね。


当たり前みたいなテンションで。口調で。態度で、何気なく言うから普通に「うん」って言っちゃったよ。


いくらなんでも唐突でしょうよ。

こちとら昨日10年来の恋人に裏切られた可能性あるってわかったばっかりですよ。



「それは冗談じゃないよ。スズくんがOKしてくれたら、ウチはお嫁さんになりたいって思ってるよ」


「......まじで?」


「まじで」


「本気で?」


「本気で。そうじゃなかったら、昨日スズくんにお股開いてないよ。ウチはそんな尻軽じゃないから」




............まじらしい。

さっきまでニコニコしてた明陽恋の目が据わってる。


「あ......えと、ごめん............」



本気だって言われても、今すぐにはちょっと応えられる精神状態にはなれないよ......。



「ううん、大丈夫、今日は断られるってわかってたから。でも、スズくん。ウチを抱いて気持ちよくなったんだって事実は忘れないでね。それで、できたら他の子と親密になる前に、ウチのところに来てくれたら、嬉しいな」


「お、おう......」


真面目な顔を崩して苦笑いを見せる明陽恋。

内心では不安なんだろうな。


気遣いがありがたいな。




「それじゃあ、お付き合いはまた今度として、これからはこの家で一緒に住むっていうのは、どうかな? 今のお家だと、昔のこと思い出しちゃったりするんじゃない? ウチ的にも、スズくんには早く過去のことは流してほしいし......」


「う、うーん......いや、それもしばらく考えさせてもらってもいいかな......」


「えー」


「いやいや、えーって......。ていうか付き合ってもないのに同棲ってやばいでしょ」


「ルームシェアみたいなもんだし、今どき普通かもしれないよ?」


「いや、下心あるルームシェアはあんま普通じゃないし、よくないから」




「ウチとしてはさっさと妊娠させてもらいたいところだけど?」


「しないから」



告白までして吹っ切れたのか、めちゃくちゃ積極的だな......。


「ま、妊娠はともかく、今日もスる、よね?」



いそいそと棚の中からゴムを取り出しながらお誘いしてくる。

その箱は、開封されてた。


......まさかと思うけど。



「それ、穴あきとかじゃないよね?」


「え」



ギクッって擬音が聞こえそうなほどあからさまな表情をしてた。



「はぁ。ははっ、まったく。油断も隙もない。ほら、コンビニにゴム買いに行くよ。ついでにご飯も。僕、お腹へってやばいから」


「ちぇっ......。スズくんってば、しょうがないなぁ。早くウチに溺れてね」





なんか結局僕が悪いみたいな雰囲気にされた。



......嫌な気はしないけどね。

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