八、
「花房一閃。見事である」
「栗沢様のお言葉、ありがたく存じ上げます」
「おぬしにこれを授けよう」
そう、荘左衛門自らそれを差し出す。一閃は恭しく両手でそれを受け取った。それは黒い漆塗りに金の、花房の家紋の入った印籠である。赤い紐には椿の彫り物が付けられていた。
「血止めでも入れておくといい。おぬしの働き、期待しておるぞ」
「はっ!」
その応えに荘左衛門は頷き、刑場を後にした。
荘左衛門の姿が見えなくなってから一閃は立ち上がり袴を払う。円陣を作っていた「椿」たちも、ぞろぞろと刑場を後にしていった。
入れ違いに黒い面布をした黒装束の者が、伝助の死体を拾い、死体桶に詰めていった。また別の黒装束は血で汚れた白石を拾い集めている。その様子に一閃は視線を奪われる。
そういえば罪人の弔われかたというものを、一閃は知らなかった。首を落とし、その後はどうなるのか。
伝助は見下げた罪人であった。医者夫婦を慕う者からすれば丁重に弔われることなど許せぬだろう。そういった、下郎といって差し支えない罪人の死体はどこに弔われるのだろうか。
そう、疑問が鎌首をもたげた。
「……あの者の死体はどうなりますか」
疑問は自然と一閃の口から転がり出た。
「ああ、薬か術の材料か硝石になる」
まだ刑場に残っていた孝淳が答える。一閃は薬や術、硝石、といわれいまいちピンとこなかった。
首をかしげつい、鳴き真似鳥のように返してしまう。
「薬に術……硝石?」
「ええ、人由来の生薬、呪詛のための素材など……硝石は火薬の材料ですよ。屍から作ることが出来るのはご存じで?」
寂照は赤い紅を引いた唇で弧を描き、つけ加えてきた。しかし一閃が知りたいのは、そこではなかった。
「存じております。しかし何故……」
クスクス笑う寂照は心底喜ばしげな顔をしている。
「己の欲のために人を手にかけた罪人が、国と民を助くるものとなり、お役に立てるなら重畳でしょう?」
寂照の言葉は心底罪人を侮蔑している気配を感じ取る。寂照が心底人殺しは人と思っていないということが言葉の端々からにじみ出ていた。
「……」
すでに生きた者以外いなくなった刑場で、一閃の様子をうかがっていたのだろう、勘治は相変わらず平坦な声をかけた。
「頭は清めた上で弔われます。花房殿が恨まれることはございませんよ」
「そうですか……」
わずかばかりの温情ではなく、死んでいった罪人の恨みを処刑人が負わないようにするための行為らしかった。
黙する一閃に、勘治が思い出したように顔を向ける。勘治はわずかばかりに笑みを浮かべ、一閃を見た。
「花房殿、ようこそ『椿』へ」
孝淳と寂照も笑みを浮かべるが、一閃は三人に血まみれの姿の幻を重ねた。頭を振ればその幻も消える。
「明日よりお務めにございます。今日はよくよくおやすみなされよ」
勘治の言葉で、その日の勤めが終わったと実感する。
気付けば血に汚れた白石はひとつも無くなり、伝助という存在がここで生を終えた証は一切が消えた。
刑場で略式の禊ぎを行い、一閃は帰路につく。城下町を歩き、聞こえる声がいつもより酷く遠い。
風が吹けば首元から寒くなる。
腰に佩いた刀の重みが、一閃の歩みをかえていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
いつの間にか花房邸に着いていたらしい。佐吉が笑い、一閃を迎えた。
腰に佩かれた刀を見つけ、佐吉はぱぁ、と目を輝かせた。
「おめでとうございます、お嬢様」
「ありがとう。父上に報告に行ってくる。その後に昼餉にしよう」
「はい。今日の昼餉は腕によりをかけておりますので」
「それは楽しみだ」
羽織を脱がず、そのまま道元の部屋へ一閃は向かう。
武士名と刀を賜り、侍となれたことは誇りである。「椿」を拝命し、役目に就く。これにより花房の家はようやく泥を雪ぐために歩めるのだ。
この道に間違いなど無いと、そう信じて一閃は人を斬ったのだから。
「失礼いたします」
「入れ」
「ただいま戻りました、父上」
入室を許可され、部屋に入れば道元は座して待っていた。
一閃は刀を抜き、前に置く。荘左衛門様に刀と武士名を賜ったときとはまた違った緊張があった。
正座で向き合い、背筋を正して向き合えば父と子ではなく、師と弟子の面持ちであった。
「栗沢加賀守荘左衛門様より、『一閃』の名と、こちらの刀を賜りました」
置かれた刀に手を伸ばし、道元はす、と引き抜く。姿や反り、鎬を見、目を細めた。再び鞘に収め、道元がそれを返す。
「良き名と刀を賜ったな」
「はい」
道元の表情は穏やかではあった。一閃は胸を張り、答える。そして一閃は賜ったもうひとつのものを差し出した。
まだ新しいその印籠の金で彩られた花房の家紋が輝く。
「栗沢様直属の『椿』への任を命じられました」
道元は差し出された印籠とそれについた椿の木彫りを見、一閃を見る。
道元は黙した。
「斬ったか」
「……はい」
侍となることを決意した時点で、センの人生は刀の上の、しかも仇討ちの道を歩むことになった。どこかで止めてやればよかったと思った後悔がかすかに浮かんでいるようだった。
「……そうか」
それ以上、道元は娘にかけてやれる言葉がない。仇討ちや家名にかけられた泥のことなど忘れて生きろと、無神経なことを言うことは出来なかった。
道元はただ、娘が侍の道を歩むところを見守るほか無いのだ。
しばし沈黙が続いていたが、ぱたぱたと足音が近づいてくる。
「失礼いたします」という声かけの後、佐吉の手で襖が開けられる。
「旦那様、お嬢様」
「佐吉、一閃だ。これからは一閃と呼んぶように」
「旦那様、一閃様、昼餉の準備が出来ました」
佐吉は頷き改めて指をつき昼餉を告げた。道元は一閃をちらと見、わずかに首をかしげる。
「一閃、食えるか?」
道元の言葉に一閃は眉を下げて笑う。
「父上が朝餉を水と塩のみにしておけと申しましたので、今は空腹です。腹と背がくっついてしまいそうですよ」
「左様か」
その様子に道元はかすかに口元に笑みを浮かべる。刀を自室においてくる、と告げ一閃は刀と羽織を自室にかけ置く。
庭を駆け回る活丸を、冨実が縁側で見ている。二年前から髪を結わえるようになった冨実の横顔に、一閃は声をかけた。
「母上」
「おかえりなさい」
「戻りました」
冨実はじ、と一閃を見てから庭の活丸に視線を戻した。活丸がきゃぁきゃぁと声を上げ、良い長さと太さの枝を振り回している。
「それで、どのような名を賜りましたか?」
相変わらずぴしゃ、と背筋を正したくなるような声音に、膝に置いた手に力がこもった。一閃は母のこの言い方がえらく苦手だった。
「一閃です。一筋閃く、と書いて一閃です」
「そうですか。良き名をいただきましたね」
夫婦そろって端的である。
素っ気ないような言い方ではあるが、褒めないつもりではないらしい。
「ほれ活丸、伯母上が武士名を栗沢様に賜ったそうですよ」
活丸が遊びの手を止め、ぽてぽてと縁側へ歩いてくる。冨実が活丸を抱き上げ、一閃と自分の間に座らせた。
「伯母上、おめでとうございますといっておやり」
冨実が活丸の口を借りて言わせようとしている。活丸は舌足らずな様子で「おばぅえ、おめっとござます」と、木の枝を刀のように腰にすえ、まだ重そうな頭をさげて見せた。
一閃は活丸の頭を撫でてやる。
活丸はきゃあ、と声を上げ喜んでいるらしかった。
「活丸、私はこれから栗沢様の元で励むから、母上や家の者と、乳母の言うことをよく聞くのだよ?」
「ええ、ええ。しっかり励みなさい。今はあなたがこの花房の当主なのですから」
「父上と母上には頭が上がりませんがね」
フフ、と笑えば一閃の腹が鳴った。ふたりに昼餉を告げ、広間へ向かった。
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