七、
黒装束に黒の面布をかけた者が縄をかけられた男をひとり、円陣の中央へ連れてくる。
猿ぐつわと目隠しをされ、後ろ手に縛られていた。
酷く小さく震え縮こまる様子に、一閃は荘左衛門に問いかける。
「……この者は一体どのような罪を犯しておりますか」
「医者夫婦を殺しておる」
荘左衛門の言葉で、一閃の心がスゥと温度をなくしていった。義兄と姉のことを思い出してしまったのは「夫婦殺し」というためである。刑を執り行うに辺り、私情を持ち込むことはしてはならないと言うのがあるべき姿だというのに。
寂照は白鞘の先で白石をじゃり、と鳴らし、景色を写さぬ目で罪人を見た。
「ええ、夫あるおなごへの横恋慕。手に入らぬからと殺めたそうで」
寂照は笑みを浮かべているようにも見える。声も優しげに聞こえる。しかし言葉は淡々としていた。その仕草は酷く艶があるというのに、冷たさと毒を孕んでいる。
「しかも止めにはいった夫まで殺している」
孝淳は更につけ加える。
孝淳としては事実をつけ加えただけなのだろう。快活な言葉は逆に、肉厚な鉈で枝をたたき切るような容赦なさがあった。
寂照と孝淳の言葉を聞き、一閃の心は一層冷えてゆく。
軽蔑だった。
一閃の目には罪人への軽蔑の色が浮かんでいる。
「左様でございますか……」
と一閃の声は低くなっている。
抑揚もなく、平坦で、聞けばそこにこもった感情はその場にいる全員が読み取れたろう。昼間で空気も温かくぬるくなってきたはずなのに、ひやりとしたものが足元を泳ぐ。
「目隠しと轡をはずしてやれ」
荘左衛門の命令で、罪人の顔が露わになる。酷く怯えた顔は死を前にして泡を飛ばしながら悲痛に叫ぶ。
「死にたくねぇ、死にたくねぇ!」
「罪人、伝助。これよりおぬしの処刑を行う」
荘左衛門の言葉に、伝助は一層喚きちらす。ふたりの命を横恋慕など下劣な感情で奪ったくせに見苦しい、と一閃は腹の中に黒い渦が巻き始める。
「いやだ、死にたくねぇよ! いやだ!」
それでも涙と鼻水で顔を汚す伝助に注がれる「椿」たちの向ける気は鋭い。
荘左衛門は厳粛な声を投げかける。
「ひとつ、温情をやろう。それがなせた場合、死罪は取り消す。花房一閃、これへ」
「はっ」
一閃は罪人の前に立つ。この男を斬るのが、初のお役目のはずだ。死罪を取り消すとはどういうことだろう、と一閃は頭の隅で考える。
荘左衛門の言葉が、その答えだった。
「この者を殺せた場合、死罪は取り消し流刑とする」
荘左衛門が長めのドスの収まっているであろう、白鞘を伝助に投げて渡す。
なるほど、と一閃は合点がいった。命がけで刃向かうこの男を討てと、そういうことかと。一方伝助はドスを拾い、卑しい眼差しを荘左衛門に向ける。
「ほっ、ほんとうだろうな……?」
伝助は荘左衛門の言葉に、無礼にも確認をとった。人を殺すような者だ。左京を治める「加賀守」にもそのような態度をとるという愚かさが現れるのだろう。
「ここに書状を用意してある。この者を殺せれば、おぬしは流刑となるのだ」
「この女を……?」
「ああ、そうだ」
書状を胸元から取り出した荘左衛門の様子に、伝助の顔に卑しさが浮かんできた。つい先ほどまで「死にたくない」と見苦しく喚いていたというのに。
その浅ましさに、ひきぬいたドスは鈍く光る。
「へ、へへ……」
そして次の瞬間、一閃が刀を抜くよりも先に伝助は斬りかかってきた。むやみやたらに振り回すだけで剣術も何も無い。だが、刀を抜く前であれば勝算があると思ったのだろう。
年若い小娘など、容易いと。
その舐めた考えが手に取るように分かり、一閃は額に青筋を浮かべそうになった。
伝助を見据えて切っ先をかわす。義兄の菊之助がしていた、あの舞のような足運びで。
一閃はまだ柄に手をかけず、真直ぐに伝助を射貫いた。伝助がドスを振り回し、一閃が円陣の中でかわす度にじゃりじゃりと白石が音を立てる。
「伝助といったな。ひとつ問いたい」
「ンだぁ? 死ねっ! おれのために死ねっ!」
唾を飛ばしながら飛びかかる伝助の目は血走り、酷い形相をしていた。幾度もかわされた伝助は間合いを取り離れ止まる。一閃は平坦な声でようやく柄に手をかけ、構えた。
「殺した夫婦に何を思う?」
「はぁっ?!」
「医者夫婦を、何故殺した」
「あの女……おれに色目使ったくせに、抱いてやろうとしたら拒否しやがった! 許せるか!」
あまりにも身勝手な言葉だった。
色目を使っただの、今では確認しようもないが、推測はつく。このふるまいから思うに妻のほうは身を守るために当たり障り無い態度をこの男にとっただけなのだろう。それを都合よく解釈し、理不尽に手込めにしようとしたならば、妻が哀れでならない。
夫婦で医者となれば、彼らの世話になっていた人々も多かっただろうに。
彼らが救えたであろう、これからの命を思うと、あまりにもやるせない。
「……左様か」
一閃の心は刀を傾け、キチ、と鯉口を切る。奇声と共に飛びかかる伝助と一息に距離をつめた。
すれ違いざまにドスを握った腕が飛ぶ。一閃は伝助の腕を斬り上げながらすれ違ったのだ。
血が噴き出し、敷き詰められた白石が赤黒く汚れてゆく。
そしてその有様に目を剥き、声を上げるよりも先に、伝助の背後に回った一閃が刀を振り抜く。
首がドンッ、と音を立て白石に落ち、頭を失ったからだは二、三度痙攣して崩れおちた。伝助の頭は己のからだが倒れる様を見、そして何かを叫ぼうと口を開くがそれも叶わず完全に動きを止めた。
一閃は血払いをしてから懐から出した懐紙で刀の血を拭き取る。その一拭きで血の穢れを清められた。
一閃の刀は実によく斬れた。樋が通常より多く入ったその刀は美しく波紋を描き、罪人の肉を斬ったばかりとはとても思えない。舞の所作のように一閃は刀を鞘に戻し、荘左衛門向け、腰を折る。
「椿」の面々から声が上がった。けっして仰々しい歓声ではなかったが、それでも一閃の技量を認めたと思われる声である。
「見事!」
「ははぁ、首を落としましたか……」
「お見事でございます」
孝淳も寂照も、勘治も一閃を賞賛する。
これをもって自身が「椿」へと迎え入れられたと、一閃は感じた。
荘左衛門が「椿」たちの円陣の中央に歩を進め、一閃に歩みよる。一閃は膝を白石につき、頭をさげた。
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