五、

 統べる者の眼差しはセンに突き刺さる。センは臆して唾を飲み込まぬよう、荘左衛門の鋭い目を真正面から受けた。小動物が立ち向かうような様であったが、荘左衛門はその眼差しを変えることはしなかった。




「ひとつ、侍となれ。『鬼道』の元で師範以上になれば、このわしがおぬしに武士名と刀を与えよう」


 師範以上となって初めて侍の資格を得、武士名と刀を得ることで初めて侍になれる。通常であれば免許皆伝を持つ師匠や武家であれば親からそれを受けることがほとんどである。帝様から左京を預かる「加賀守」の立場である荘左衛門から武士名と刀を賜ると言うことの意味に背に冷たい物が伝った。

 そして荘左衛門が指を二本立てかざして見せる。


「ただし二年以内じゃ。その間、家禄の保証はしてやろう」

「ありがたき幸せ!」

「そしてもうひとつ。侍となった後このわし、栗沢加賀守荘左衛門直属の配下となってもらう。さすればおぬしの身に何かあったとしても、花房の家を守ることを保証しよう」


 万一、当主代理である自身に何かあった場合、活丸が花房を継がねばならない。しかし幼い活丸にそれは出来ない。

 隠居をする道元も活丸が充分に成長するまで壮健でいられなくなる可能性もある。

 センは真直ぐに荘左衛門を見据えた。


「お断りする理由がどこにございましょう……!」


 荘左衛門はじ、とセンを見つめる。

 荘左衛門は試すように問いかけた。


「……おぬしが婿を取り、花房を繋ぐこともできよう。そのために良き相手を見繕っても良いのだぞ?」


 センの決意は固く、その若い猛禽の眼差しに揺らぎは一切なくなっていた。


「いいえ栗沢様……花房の家にかけられた泥、雪がずして生きられましょうか……!」


 センの言葉は荘左衛門を大いに満足させたらしく、荘左衛門の口元には深く笑みが刻まれていた。


「よい、それではこれを道元に持て」


 はじめからわかっていたのだろう、荘左衛門はその胸元から手紙を取り出す。その手紙を恭しく受け取り、センは平伏する。

 これほど重い手紙を手にしたのは生まれて初めてだった。










 籠に送られ、花房邸に着いたのは日の傾いた頃だった。

 佐吉となつ、田助が駆けよる。

 その悲痛な表情の三人を見て、センはなるたけ穏やかな笑みを浮かべて見せた。


「お嬢様!」

「今戻った。父上と母上を居間に呼んでおくれ」


 笑みの向こうにあるものに、佐吉が息を呑んだ。なつも田助もそれを感じ取ったのか、言葉を発することも出来なかった。


「それから佐吉、おなつ、田助。みなにも聞いて欲しい」

「へ、へえ!」


 田助はふたりを呼びに小走りで駆けて行き、なつはセンから羽織を受け取る。

 佐吉は黙したまま、センを見つめていた。その顔に、センはなるたけ笑顔を向けてやるしか出来ない。

 小さな足音で居間へ向かう。襖を開ければ道元と冨実はすでに居り、部屋の隅に田助が不安げにしている。冨実の横で嬰児籠に寝かされた活丸の声だけがあった。

 行燈の光が、暗闇を一層濃く際立たせている。センはきゅっと唇を引き締め、強い眼差しでふたりの前に進み、きちりと正座をする。一瞬の沈黙の張りつめた緊張の後、センは胸元から手紙を取り出した。


「父上、こちらを」


 荘左衛門からの手紙を、道元に差し出す。道元はそこに書かれたものに険しい顔となった。

 重々しくその手紙を受け取り、開く。視線が動き、読み進められると眉間の皺が一層深くなった。全てに目を通し、冨実に渡す。冨実が手紙に目を通すに従い、その手に力が入り皺が入る。

 手紙を読み終わると冨実はセンを見、そして道元を見た。その目には動揺が浮かんでいる。


「……侍となるか」


 道元の低い声が居間に響いた。

 田助となつが息を呑み、センを見た。佐吉だけがセンの背中をじっと見ている。


「はい」


 凪いだ湖面に一滴落ちるようなセンの返事に、道元の声は更に低くなる。


「覚悟の上か」


 荘左衛門にもすでに問われたところである。すでにセンの心は決まり、決意は揺るぐことはなかった。

 まっすぐに伸ばされた背と、眼差しは道元に向けられている。声もまた、静かだが巌の如き意志を思わせた。


「花房を継いだ義兄上を殺され、花房の名は踏みにじられました。私は侍となり、花房の名に誉れを取り戻しとうございます」


 そう、目に青い炎を燃やすセンの言葉を受け止めれば、道元はしばし黙する。道元が膝を支えに立ち上がり、床の間に置かれていた刀をむんずと掴んだ。

 振り返る道元の顔は好々爺とした顔でも、センを抱きしめたときの顔でもない。その出で立ちはまさに「鬼」であった。

 刀を携え己を見下ろす父の姿に、センは「鬼道」を見た。


「……ならば儂は『鬼道』と戻ろう。セン、儂はおぬしを師範程度で侍になることは許さん」


 ビリビリと空気が震え、一瞬、気圧されそうになる。しかし静かに、センは「はい」と言葉を返した。その姿はたった一晩でセンが変わったことを示している。冨実もまた、引き締まった表情でセンを見た。まさに花房の「女主人」に相応しい表情だった。


「活丸のことは私やおなつにまかせないさい。あなたは花房の名誉を取り戻すことだけ、考えなさい」

「母上、ありがとうございます」


 頭をさげ、センはほんの少しだけ笑みを浮かべる。


「これよりお前は花房の家名を背負い、歩む人生は刀の上のものとなる」


 道元の言葉は重く響く。その覚悟、肩にのしかり、足元は己も斬りつける刃が並ぶだろう。

 ほんの昨日、菊之助が言った刀の上の人生がのしかかる。それがいかに過酷な物であるか。

 道元の言葉だけではない。

 冨実の顔、田助やなつの泣く声。

 センは己がいかに道ならぬ道を歩むことになるか、理解したつもりではあった。喜ばれる道でないことも。それでもその道を行くと決めたことを後悔するつもりはない。

 センの決意の横顔を、佐吉は見つめる。佐吉もまた膝に乗せたこぶしをぐっと握り、唇を一文字に結んだ。


「センは、侍になります」


 その言葉の重みが、今はあまりにも重かった。










 季節が二度巡り、再び空気が冷たくなった。ぴゅうと吹く風は冷たく、センの頬を切るように通り過ぎてゆく。鼻の奥がツンとする寒さ故か、唇をきゅっと引き締めている。

 加賀城の城門前に立つ勘治の姿に、センは頭をさげた。勘治も久方ぶりに見るセンの出で立ちに目を細め、頭をさげる。


「お久しゅうございますな、花房殿」

「杉山様、ご壮健であられますか」

「ええ、この通り。花房殿もお元気そうで」


 久方ぶりに逢う勘治と視線の高さが大分近くなっている。二年前より背丈は伸びたが、こうして久しぶりに会う勘治の言葉で二年の時を実感した。


「参りましょう」


 勘治に導かれ、加賀城へ登城する。

 すれ違った門番や城勤めの者がときおりぶしつけにならない程度にセンへ視線を投げかける。

 総髪に結わえた頭、家紋のはいった羽織。袴には刀を佩いていない。ひそりと声が聞こえた。


「ほら、例の……」

「ああ、若くして花房流の免許皆伝になったという女人か」

「しかも栗沢様直々に刀と名を賜るらしい」


 まさか、という驚きが背後の遠くからセンの耳に届く。

 勘治がはぁ、と小さく溜息をついた。勘治にも聞こえていたらしく、額に手をやっていた。


「花房殿、申し訳ない」

「いえ、物珍しいのでしょう。仕方がありません」

「かたじけない」


 若く、しかも女が栗沢荘左衛門直属の杉山勘治を先導に登城している。異例、といって差し支えないことに城の者は皆大小差はあれど関心を覚えていた。しかもセンは同じ年頃の娘たちよりずっと背が高く、そして若衆と言っても通りそうな立ち姿をしている。

 余計な物をそぎ落とした見目は、すがすがしい。

 二年前と同じように、センはあの広間へ案内された。

 以前と異なるのはそこにはすでに十名ほど侍が着席していたこと。


「花房殿、私の隣へ」

「はい」


 広間の左右に並ぶ侍の、一番下座に勘治は座した。センは更に下座へ正座をする。それぞれ家紋を背負い、ひとりひとりが並々ならぬ強者であることをセンは感じ取れた。

 勘治でさえ下座であるのだ。

 それだけで己の立ち位置を把握できる。


「加賀城城主、栗沢加賀守荘左衛門様の、おなぁりぃ」


 先触れの声が響き、上座に荘左衛門が現れた。

 狩衣の烏帽子姿の荘左衛門が上座に座る。裃以上に儀礼的意味合いが強くなった狩衣の姿。栗沢「加賀守」荘左衛門に刀と名を賜るのは並の侍がする物と比べものにならない。

 二年前邂逅は先触れもなく、ただ広いふたりきりの公ならざる物だった。それが今、人目のある場所で「加賀守」にお目通りとなる。


「花房セン、これへ」

「はっ!」


 全員、顔を微動だにせず視線のみをセンに注ぐ。センは臆することなく荘左衛門の前へ歩を進めた。

 足運びひとつ、所作の指先の動き、ひとつひとつを見られている。値踏みされているのだ。

 足を半歩退き、荘左衛門の前で膝をつく。そのまま流れるように手をつき、頭をさげた。


「花房セン、栗沢加賀守荘左衛門の名において、刀と『一閃』の名を与える」


 降り注ぐ加賀守の声に丹田がぎゅうと引き締まる。作法に則り、センは荘左衛門から刀を受け取り、再び頭をさげた。

 刀は思うより軽く、それでいて重い。


「今日より『花房一閃』と名乗るが良い」

「はい、栗沢様の多大なる御慈悲に報い、民と国の守護に命を賭して励みます」


 きりと荘左衛門を見上げるセンの――いや、一閃の眼差しは若い鷲の鋭さだった。

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