九日巡り

洞貝 渉

九日巡り

「ねえねえ、知ってる?」

 お喋り好きな陽葵ひまりが唐突に声をひそめてきた。

「願いが叶うおまじない。“九日巡り”っていうんだけど」

「なにそれ」

「初耳だよ」

「どんなおまじないなの?」

 周囲にいた女の子たちが集まってきた。

 定番の「ここだけの話なんだけどね」という前置きをしてから、陽葵がより一層小さな声で説明する。


「九日間、日記を書くの。

 それもね、八日の間は、存在しない日付で書かなくちゃいけない。

 例えば、13月28日、とか。3月32日、とか。

 日付はでたらめでも、あったことは正確に書かなきゃだめだよ。雨が降ってたのに晴れだとか、食べてもいないおやつを食べたとか、嘘は書いちゃだめ。

 たった一言だけでも、ノートいっぱいに書いてもいいけれど、とにかく正確に、ね?

 

 そして九日目、最後の日の日記には、願望を書き込んで。

 日付は、日記を書く日の翌日のものを書く。

 そうすれば、日記に書かれたことがそのまま、日記を書いた翌日、つまり日記の日付と同じ日に、起こる」


 陽葵の説明を聞いた女の子たちは、私も含めて目を輝かせる。

 口では、「本当かな」とか、「信じられない」とか言っているけれど、本心ではワクワクしているのがお互いにわかっていた。おまじないが本物か偽物かはどうでもいい問題で、単純に、そうゆうのが好きなお年頃なのだ。


「やめときなよ」

 りんがちょっと呆れたように言った。

 陽葵がむっとした顔になる。

「ろくに努力もせず願いが叶うおまじないなんて、後が怖いよ」

「なにそれ。別に、あんたにやれって言ってるわけじゃないし」

「うん、私はやらないけどさ」

「じゃあ、あっち行ってよ」

「……私は止めたからね」


 ちょっと、場が白けた。

 凜が肩をすくめて、話の輪から外れていく。

 陽葵はそんな凜の背中を、悔しそうに睨みつけていた。





 翌日、陽葵が学校を休んだ。

 凜はどこか元気がないというか、なにかに怯えているみたいな様子で、話しかけても俯いてばかり。

 別に、陽葵は凜に言われたことを気にして学校を休んだわけじゃないんだし、そんなに気にすることないよ。

 おまじないとか、確かにちょっと子どもっぽかったかもだし、さ。

 女の子たちが次々に凜をフォローする。

 でも、凜は一日、元気がなかった。


 放課後、たまたま近くにいた凜と私は、陽葵にプリントを届けに行くよう先生に言われた。

 一日中喋ることのなかった凜と一緒なのはちょっと気が引けたけれど、さっさと済ませてしまえばいいと思って、プリントを預かる。

 道中、凜はやっぱり喋らない。

 私も何を言っていいのかわからず、黙って歩く。


 陽葵の家に着き、インターフォンを押すけれど誰も出てこない。

 プリントはポストにでも入れておこうかと思ったけれど、勝手に庭に入り込んだ凜が「こっち」と手招きしてきた。

「だめだよ」

「いいんだよ。今の時間はどうせ誰もいないんだから」

 手慣れた様子で、庭に置いてある植木鉢の内、一つを持ち上げる。

 植木鉢の下には、鍵があった。

「凜って、陽葵と仲良かったっけ?」

「そうじゃない。お願いだからついて来て」


 凜はさっさと鍵を開け、ずかずかと家の中に入って行ってしまう。

 私は一瞬迷ったけれど、凜の後を追った。

 凜は、確信を持って一つの部屋のドアを開けた。

 部屋の中には制服がハンガーにかけてあったり、見覚えのあるウサギの形をした派手な筆箱があったりしたので、すぐにそこは陽葵の部屋だと分かる。

「凜、陽葵の部屋に来たことあったんだ?」

「違う。そうじゃない。ほら、これ」

 凜が私に一冊のノートを突き出してくる。

 表紙には、陽葵の字で『日記帳』と書いてあった。


「凜、これはさすがにまずいんじゃない? 陽葵の日記でしょ、これ?」

「お願い。どうしていいのかわからないの」

 凜は本当に困っている様子だった。

 そして、私がこれを手に取るまで頑として動く気はなさそうだった。

「……これを、読めばいいの?」

「うん、お願い……」

 根負けした私はしぶしぶノートを受け取ると、中を読んでみる。





13月28日

今日は風が強い。凜とは、またうまく話せなかった。ウサギが好きだと聞いたからウサギの筆箱に変えたのに、全然食いついてこない。ムカつく。


13月29日

今日はいい天気。凜は他の子とばかり喋ってた。ムカつく。


13月30日

凜のためにこっそりお菓子を持ち込んだのに、「やめなよ。そうゆうの、私は嫌いだな」とか言われた。ムカつく。


13月31日

凜の工作を壊してやった。なのに凜は涼しい顔をしている。ムカつく。


13月32日

今日は一日凜を無視してやった。もやもやが溜まっただけだった。ムカつく。


13月33日

ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく……。

でも、あともう少しだ。

今日はちょっと曇った天気だった。


13月34日

今日は少しだけ雨が降った。

凜の傘は大人ぶったようなシンプルな傘だった。


13月35日

今日は我慢できずに九日巡りの話をしてしまった。

なのに、凜はやっぱりまともにとりあわない。

でも、それも今日までだ。



3月29日

凜みたいになりたい。

凜といっぱいおしゃべりしたいし、ずっと近くに居たい。





「私は、凜じゃないの」

 凜が震える声で言った。

「頭の中で、本物の凜が怒ってるの。怯えてるの。泣いてるの。だから言ったじゃない、ココカラダシテって……」

 凜が、凜じゃない声でしゃべり、すがるように私を見ている。

「朝起きたらこうなってたの。私は凜じゃない。私は陽葵だよ」


「そんな……嘘でしょ?」

「嘘じゃない。声を聞けばわかるでしょ?」

 確かに、それは陽葵の声だった。

 今日一日中、口を開かなかった理由は、身体が凜なのに声が凜ではなく陽葵のものだったからなのか。私は頭を抱えた。

「どうしよう。おまじないが変な風に効いちゃったんだ。陽葵は凜と仲良くなりたかっただけなのに、こんなことって……」

「え? 別に変じゃないでしょ?」


 凜が……違う、凜の顔をした陽葵が、心底不思議そうな表情をする。

「私は願いがかなったんだよ? 九日巡り、本物だった。どうしよう、ねえ? 私、嬉し過ぎてどうにかなっちゃいそう!」

「えっと、え? なんで……だって凜が……凜は?」

「これで、私はずっと凜と一緒だよ! 願いが叶ったんだ! ねえ、すごいでしょう?」


 凜が、凜の顔をした陽葵が、どこか勝ち誇ったような眼差しで私を見る。

「あんたもやってみなよ! 本当に、もう、最高!」

 陽葵のはしゃいだ声を聞き、背筋が寒くなる。

 よくはわからないけれど、ここにいちゃいけない、と思った。

 

 挨拶もそこそこに、私は走って陽葵の家から逃げた。

 背中から陽葵の声がしたけれど、無視して走る。

 幸い、陽葵は追いかけては来なかった。

 




 その翌日から、陽葵も凜も学校には来なかった。

 二人とも体調不良で休み続け、初めは心配していたクラスメイトも、その内に話題にも出さなくなり、進級するころにはすっかり存在そのものを忘れてしまったようだった。


 陽葵と凜の二人の話は出ないけれど、時々“九日巡り”の話を耳にすることはある。

 たいていは話半分で語られ、誰も真に受けていないし実際やろうとする人もいない。


 ……けれども。


 けれども、もしあれが本当に効果があるおまじないだと知ってしまったら?


 ろくなことにはならない、そうわかっていながらも、私には自信がない。



 ……いつか、本当に困った時に、私は“九日巡り”に頼ってしまうのではないか、と。

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