第3話 父、花の咲いた日

「これが咲かないところへ、咲かないように持っていってくれ」


 父のお願いはいつも言葉足らずだった。


端的で短い一方で、具体的なことを言わず、ほとんどの場合目的も言わない。レグルはいつも困るのだったが、父は無理難題を吹っ掛けようとしているわけではないとわかっていた。いつだったか、市場に買い物に行ったときもそんなことがあって、でもレグルは父の意図をくみ取るのが上手だった。言われたことから、必要なものを揃えておつかいを終えたとき、父はにやっと笑ってありがとな、と言ってくれる。わざとではなく、そういう風にしか説明ができない人なのだ。だからこそだろうか、そういうとき、父は必ずお礼を言うことを忘れなかった。ありていに言えば、レグルは言葉少なな父のことが好きだった。


 レグルの父、グースは王宮の造薬司(主治医とは別に、薬の調合を専門にする職位)だった。王宮の外苑ではあるが、そこに大きな植物園を構えることを許されていた。レグルにとっては庭のような感覚で、小さい頃は多くの時間をそこで過ごしていた。


王宮が燃えた日、園の一番奥でレグルは、水やりをしていた。奥の一角に植わっている植物は丈こそ小さなレグルの身長以上にあったが、まるで無造作に放置されているようで、心配だったのだ。それに奥の花壇は高いテラスのところにあって、そこからは園内が一望できるのもレグルにとっては嬉しいことだった。その花壇が特別な花の花壇であったことを知るのは、のちのことだ。


 遠くで火の手が上がり、重装の衛兵が植物園の入り口へ、石段を上って駆けてくるのが見える。瞬花のことを思い出すとき、レグルの記憶はこのあたりから色が付き始める。だれかが追われている。よろよろと、駆けてくるのはグースだった。まだ芽が出たばかりの片手で持てるほどの鉢を、レグルに押し付ける。何か危険な予感がしたから、とっさにレグルは羽織っていた衣でそれを隠した。


「父さん、父さんこれどうしたんだよ!」

グースは答えず、花壇に目をやりながら言った。

「ハア…ハア…、まあ、ちょっとな。」

追い立てるような声も聞こえた。いたぞ、応援呼べ、人を集めろ。

「あーークソ、なにを言ったところで、今更なんだろうしなあ……」

ため息をついて、父は物騒なことを口にした。

「なに?」

「……まあ簡単に言うとだ…ごほっ…。おまえの父親は王殺しの罪を被せられて、これから捕まってしまう。」

「はあ!?」

「ウッ……耳元で叫ぶな……傷に響く。造薬司なんてのは都合のいい役職だ、いずれこうなることはわかってた。別に意外でもないし、母さんとも何度も話し合ってきた。ここで無実を訴えたところでおそらく意味ないだろうしな。ぐっ…いてぇ……。」

壁に手をついて崩れ落ちる。かがんだ背中に血がにじんでいた。傷は深そうだった。


「だから、本当は、その場でおとなしくしているつもりだったんだが……」

切れ切れの息でそう言って、グースはにやっと笑った。

「その前にレグル、おまえには、あんまり父親らしいことをしてこなかったと思ってな。こういうのは、本当に、急にやってくるもんで…ははっ……。」


「何言ってんのかわかんないけど、そんなん後でいい、なんで、その傷どうしたんだよ!早く手当てをしなよ!」


言うか言わないかのうちに、下のほうから聞こえる音は大きくなって、怒号が耳に響いた。直線の通路のむこうに、人影が見える。


「グース殿!見つけましたぞ。それに……レグル殿もこちらにおりましたか。グース殿、息子殿には罪はございません故、その子をおいてこちらにおいでください。我々もあなたに、手荒な真似はしたくない。」

集団の先頭に立つ衛兵長は、レグルもずっと知っている顔だった。

「衛兵長!父さんを助けてよ!」

レグルの声に衛兵長は首を振るだけだった。

そこにグースが口を開いた。いつの間にか、彼は花壇を背にして立っていた。両手を広げて、大仰に喋る。

「少し、待ってくれないか。せっかくだ。本当は息子へのプレゼントだったんだが……どうせならここにいる皆さんにも見てもらおう。」

「グース殿!なにを!」

「おっと衛兵長、こんなところで武器を振り回したら、花壇がめちゃくちゃになってしまうだろ?”この花壇だけは”、決して荒らさないように、お前さんも命じられているはずだ。」

衛兵長が押し黙る。

「……総員、武器を下ろせ。」

グースは一歩、花壇のほう、後ろに下がった。

「父さん?」

両手を広げたまま、レグルにしか聞こえないような小さな声でグースは言った。

「じゃあな、レグル。言われた通り、咲かないように、だぞ?」

先ほどの鉢のことだろうか?変わらず自分のペースでしか物事を伝えない。レグルがもう一声かけようとしたとき、


──グースの身体がぐらりと、後ろに傾いた。


「レグル、」


そこから先の出来事は、スローモーションのようだった。


「世界で一番美しい花を、お前に見せてやる。」

父の体が花壇に倒れこんで数秒後。


花壇に生えていた植物は一斉に開花した。

シャン──と音が聞こえたかのような錯覚。視界が青白く輝いた。薄い碧をさらに薄めたような花の群れは、呼吸の間に色を変える。露草色、瑠璃、紅碧、金青、硬質な輝きを前に誰もが言葉を失った。それは遠くから見ていた兵士たちも同様だった。

周囲の音をすべて吸い込むかのような鉄紺の花弁に、銀河のような虹色の斑紋が浮かび上がり、そのすべてが幻だったかのように、真っ白にはじけた。




 花が散った後のことは、もうあまり覚えていない。詮索が及ぶまえに逃げるように王宮を出立し、しばらくは母と過ごしていたが、もともと病気がちの母は数年後に息を引き取った。


政争と呼ぶには血生臭すぎた争いが終わる頃、風の噂で父は前王殺害の毒薬を盛った罪で、捕らえられたのだと知った。


そして。


瞬花と呼ばれる特殊な花を満開に咲かせたことで、グースの罪が死罪へと確定したのだと聞いたとき、レグルはようやく、自分が父から受け取ったもののことを思い出したのだ。


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花と狼 かたなり @katanaru

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