第11話

 婚礼式から七日が過ぎようとしていた。この間、ウィラクリフ殿下はほとんどの時間をわたしと一緒に過ごされた。

 貴族や王族が結婚した場合、互いをよく知るための蜜月という期間が設けられる。おおよそ七日から十日だと言われているが、その間はどんな立場の人も休暇を取ることを促された。ウィラクリフ殿下も王太子の仕事をすることはなく、ご自分の部屋に戻ることもほとんどない。


(だから、ということではないのだろうけれど……)


 ずっと側にいるからか、わたしが何かしようとすると必ず殿下が手を貸してくださる。移動するときは支えてくださるどころか抱き上げてくださることもあった。まるで自分が子どもに戻ったような気持ちがして恥ずかしくなる。ところがキルトに「さすが新婚ですねー」と言われ、ハタと気づいた。


(たしかに、横抱きというのはご令嬢方がされることのような)


 そう思うと別の意味で恥ずかしくなった。


(そもそも、毎晩のように殿下がされるから……)


 婚礼式の夜から毎晩、それこそ夜中近くになるまで慣れるための練習をしている。そのせいで元からあまりなかったわたしの体力はごっそり削られてしまい、足が震えて歩くのもままならないほどだ。

 そんなわたしをご覧になった殿下は、ソファの上でほんの少し移動しようと腰を浮かせるだけで腕を握り背中を支えてくださる。お茶を飲もうと手を伸ばす前に、茶器を手渡してもくださった。なんて恐れ多いことだろうと思いながら、こそばゆさと喜びを感じて口元がだらしくなく緩みそうになる。


(けれど、さすがに入浴はどうだろう)


 昨日も微笑みながら「入浴を手伝ってやろう」とおっしゃった殿下に、慌てて「おやめください」と拒んだ。おそらく戯れだとは思うけれど、殿下の緑眼がそう見えないときもあるからか気が気でない。


(いくら伴侶とはいえ、殿下に入浴を手伝っていただくなんて……無理だ)


 ただでさえ恐れ多いことなのに、恥ずかしすぎて落ち着かないに違いない。今夜も冗談のように「わたしが手伝ってあげるのに」とおっしゃる殿下をなんとか押し留めた。すぐに諦めてくださったものの、「残念だね」と微笑まれた顔は戯れのようには見えなかった。

 こうしたやり取りをずっと見ているからか、キルトが「愛されてますねー」とニヤニヤ笑っている。


「そうなのかな……」

「そうですよー」


 それはいいことなのだろうけれど、ああいうことを人前で言われるのは恥ずかしい。もっと恥ずかしいことを教えてくれたキルトが相手でも、それは変わらなかった。そんなわたしの様子を気にすることなく、キルトの手が泡を優しく肌に伸ばしていく。


「そういえば、もう張り型には慣れました?」

「あー……、うん、たぶん……。圧迫感はすごいけど……」


 不意に昨夜のことを思い出した。みっともないほど震える自分の体と、そんなわたしに優しく触れてくださる殿下の手の感触を思い出し顔が熱くなる。


(そういえば、途中で液体を注いでくださることが増えたような)


 きっとわたしが苦しくないようにと気遣ってくださっているのだろう。どんなときでもわたしを慮ってくださる殿下に顔がほころびそうになる。


(殿下はどんなときもお優しい。……でも、やっぱりああいうことは恥ずかしいというか……)


 いまさらながら、殿下にすべてをさらけ出しているのだと思うと居たたまれなかった。それに最近は得体の知れない感覚に体が震えることが増え、それも少し怖いと思っている。


(あれは何だろう)


 殿下に触れられるだけで肌が熱くなる。皮膚のすぐ下がゾクッとして、ほんの少し痺れるような痒いような不思議な感覚になることもあった。とくに腰や背中はその感覚が顕著で、じっとしていなければいけないと思えば思うほど腕や足が震えてしまって仕方がない。

 昨夜もそうだった。生まれて初めて感じる不思議な感覚に、いくら唇を噛み締めても吐息が漏れそうになった。


「……っ」


 ほんの少し思い出しただけで体の奥がゾクッとした。慌てて頭を振ると、キルトが「ということは、最後のまで?」と問いかける。


「……うん」

「そうですかー。じゃあ今夜はさらに念入りな事前準備、しておきましょうか」


 こういう話題は恥ずかしいけれど、キルトが普通に話してくれるからかろうじて答えることができる。それに事前準備を一人でするのはまだ難しく、最初のほうはいまだにキルトに手伝ってもらっている状態だ。そういう状態なら、いまがどういう段階か知っておいてもらうほうがいいのかもしれない。そもそも自分では何も判断できないのだから教えてもらうしかない。


「あの、念入りというのは……?」

「上の兄に確認したんですけど、殿下のは結構ご立派らしいんですよねー。あ、いろいろあるんで念のため上の兄に聞いておいたんです。兄は殿下と一緒に剣や馬の稽古をしていたんで、もしかして着替えのときに見ているんじゃないかって思ったんですけど、当たりでした。聞いた限りじゃあ、結構ギリギリまで洗浄しておいたほうがいいんじゃないかなって感じなんですよねー」

「ぎりぎり、」

「最後の張り型までいけたのなら大丈夫ですよー」


 そう言って始まった事前準備は、いつもよりもずっと体力を使うものだった。


(準備だけでこんなに疲れるなんて……)


 しかし、キルトはそのくらいまで洗浄しておいたほうがいいのだと言っていた。ということはつまり……そういうことなのだろう。

 入浴後は、いつもどおりメリアンが全身をくまなく手入れをしてくれた。それから殿下がいらっしゃるまでの間にお茶を少し口にし、なんとか気持ちを落ち着かせる。


(そういえば、あまりお茶を飲まないほうがいいと教えてくれたのもキルトだったな)


 たくさん水分を取ってはあとが大変だと、事前準備を始めたときに教えてくれた。たしかにそうだと実感したのは初日を経験したあとだった。もしたっぷり飲んでいたら殿下の前で粗相をしてしまったかもしれない。

 茶器をテーブルに戻したところで、カチャリと音を立ててドアが開いた。現れたのはもちろん殿下で、昨夜とは違う色合いの夜着をお召しになっていらっしゃる。たったそれだけのことなのに、わたしの胸はどうしてか落ち着きをなくした。やけに鼓動がうるさくなり、殿下にも聞こえてしまうのではないかと心配になる。


「思ったより落ち着いているね」

「……そんなことは、ありません」

「あぁ、たしかにほんのり頬が赤くなっている。そういう顔も愛らしいね」

「殿下、」

「さぁ、ベッドへ行こうか。今夜、ルナのすべてをわたしのものにするからね?」


 横抱きに抱きかかえられ耳元で囁かれた言葉に、やっぱりふるりと全身が震えた。

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