第2話
「うーん、この服はエルニース殿の黒髪には合っていないな。こちらも、あぁ、これもだ。まったく、贈り物も満足に選べない弟だったとはお詫びのしようもない」
「そのようなことは……。謝罪など恐れ多いことでございます。どうかおやめください」
「これはすべて持ち帰ろう。代わりにわたしが選んだものを持ってくるから、それで許していただけないだろうか?」
「え……? いえ、殿下に何か賜るというのは、さすがに、」
「弟のしでかしたことへの詫びだと思ってほしい。兄として誠心誠意お詫びしたいのだよ、エルニース殿」
穏やかな雰囲気の緑眼で微笑む姿を見たら、拒否し続けることはできなくなってしまった。
ハルトウィード殿下にお返しする衣装を受け取りに来た使いは、なんと第一王子であるウィラクリフ殿下だった。まさか王太子殿下が屋敷へいらっしゃるとは想像しておらず、出迎えた執事のジルバートンが珍しく慌てふためいたとしても仕方がないだろう。わたし自身も驚きのあまり挨拶することも忘れ、「え?」と呆けてしまった。
そんなわたしの不敬にも殿下は「突然来て申し訳ない」と微笑みを浮かべる。「弟はきちんと謝罪していないのだろう?」と眉を下げ、「兄であるわたしが代わりに謝ろうと思ってね」と、手土産と呼ぶには豪華すぎる品々を近衛兵に運ばせた。
状況を把握できないままのわたしと応接間に入った殿下は、返却する衣装の入った箱を開けた。中身を確認しては「ハルトの趣味がこれほど悪いとは」と眉を寄せたり苦笑したりをくり返していらっしゃる。
殿下の来訪をジルバートンから聞いた父上は、今度こそ卒倒したらしく寝室から出てこられなくなってしまった。そんな不敬にも殿下は「これではハルトと変わらなかったな」と微笑み許してくださった。
「いや、本当に申し訳ないことをした。次からは事前に使いを出すことにしよう」
(……いま、次って……?)
「殿下、次とは……」
聞き間違えかと思い、不敬だとわかっていながらも聞き返す。そんなわたしに殿下は再び優しく微笑まれた。
「しばらくの間、こちらに通わせてもらうことにしたのだよ。迷惑かもしれないが、これもお詫び行脚だと思って受け入れてほしい」
思ってもみなかった内容に慌てて返事をする。
「いえ、殿下にそのようなことをしていただくわけにはまいりません」
「第一王子であり王太子であるわたしが詫びのために足繁く通えば、エルニース殿への風当たりも弱まるだろう?」
「殿下……」
「弟であるハルトの尻拭いをするのは兄であるわたしの役目だと思っている。父上も今回のことには大層頭を痛めていらっしゃってね。さすがに国王である父上が直接お出ましになるわけにはいかないが、代わりにわたしが誠心誠意、通わせてもらうことにしたんだ」
殿下が再びにこりと微笑まれた。
正直、そこまでしていただかなくてもわたしはまったく気にしていない。元々社交界に出ていないから風当たりを実感することもない。たとえ社交界から声がかからなくなったとしても影響を受けるような家柄でもなかった。
しかし、そこまでおっしゃってくださる殿下のことを無下にはできない。殿下のお言葉をお断りするなど恐れ多いことでもある。
(きっと父上も同じように考えるはず)
そう考えたわたしは静かに頭を下げ、了承の意をお伝えした。
それからというもの、ウィラクリフ殿下は五日に一度という頻度で屋敷にいらっしゃるようになった。最初は姿を目にするだけで卒倒しかかっていた父上も殿下の気さくな人柄に安心したのか、いまでは少しばかりの会話を楽しむ余裕が出てきたように見える。そんな父上とは違い、わたしの緊張は続く一方だった。それもそのはずで、恐れ多くもわたしが殿下のお相手を務めることになったからだ。
まず殿下と父上が挨拶と少しばかり話をし、その後は父上が退室して殿下の向かいにわたしが座る。同じテーブルに座るのは家格から言えば許されないことだけれど、殿下に「私的なことだから気にする必要はないよ」との言葉をいただいてはお断りすることもできない。
これまで貴族の方々と話をする機会がほとんどなかったわたしは、王太子である殿下と何を話せばよいのか随分戸惑った。気の利いた話題を提供することなど不可能で、退屈させてしまうのではと悩みもした。しかし、そんな杞憂は最初のうちだけだった。
たまたま街で流行っている本のことで話に花が咲いてからは、気後れすることなく言葉を交わすことができるようになった。これまで知らなかったけれど、どうやらわたしは本の話になると臆する気持ちが消えるらしい。
(そういえば、学舎の教授たちとは普通に話すことができたな)
学友と呼べる人たちはできなかったけれど、教授たちとは比較的楽しく話ができていたことを思い出す。
「それにしてもエルニース殿は博識だね」
「そんなことはございません」
「たくさんの異国の本も知っているのだから、王城博士のご老人方にも負けないんじゃないかな」
「それは過分なお言葉かと存じます。我が家には昔から本の収集癖があるだけですし……」
我が家が“学者もどき”と呼ばれるようになったのは曽祖父の代あたりからだ。
貴族でありながら、学者のように本を収集する家だと陰で蔑まれていることは知っている。そのせいでいつも金銭的余裕がなく、父上と母上が結婚したときには「身分違いの恋だ」とか「金目当ての結婚だ」などと陰口を叩かれていたことも、少し大きくなってから知った。
実際、王女殿下のお相手を務めるほどの身分だった母上は、多額の持参金を持って嫁いできた。けれど父上は、それを後ろめたくも卑屈にも思っていない。正真正銘の大恋愛で結婚した二人にとって、そんな陰口は気にならなかったのだろう。
「一つの道を極めるというのは、そう簡単にできることではない。学者よりも学者としての知識が深いということは誇るべきことだよ」
「……ありがとうございます」
殿下の緑眼に優しく見つめられ、気恥ずかしくなる。
(殿下の眼差しは、いつも穏やかでいらっしゃる)
ふと、同じ緑眼だったハルトウィード殿下はどうだっただろうかと思った。
(……思い出せない)
豊かな金髪に緑眼の美丈夫だったという印象はある。しかし、具体的に思い出せるほどハルトウィード殿下の顔を見ていなかったことに気がついた。
(これでは婚約破棄されても仕方がないな)
いまさらながら婚約者としての自分を反省した。だからと言ってどうすればよかったのかはわからない。
「そうだ、次は千夜物語の本を差し上げよう。ちょうど姉上にお願いしていた本が届いたところだ」
「そんな……。そのような異国の高価な本を賜るわけには参りません」
驚きながら断りの言葉を述べたわたしに、殿下がまたもや優しくお笑いになった。
「念のためと二冊お願いしていただけだから、一冊はどうせ余る。それなら大事にしてくれる人に持っていてもらうのが本にとっても幸せだろう?」
「いいえ、これ以上の賜り物は分不相応かと存じます」
「王宮博士のご老人方よりも本を愛しているきみにこそ、ふわさしいと思うのだけどね。それに今回の本には、それは美しい挿絵が入っているんだ。見たいとは思わないかい?」
(美しい挿絵)
挿絵入りのものは、基本的に本を作った国にしか出回らない。そのため数も少なく、滅多なことでは見ることが叶わないものだ。それが見られるとしたら……小さな欲望がムクリと頭をもたげる。
それに、千夜物語の挿絵は小さい頃から見てみたいと思っていたものだった。叶うことなら一度でいいからこの目で見てみたい。
(……見たい。一度でいいから、見てみたい)
「……あの、拝見するだけでも、……よろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。ふふっ、エルニース殿は本のことになると、まるで子どものようだな」
「申し訳ございません……」
「責めているのではないよ? 美しい顔が子どものようにほころんで、なんと愛らしいのだろうと毎回見惚れているんだ」
愛らしい……そんなことを言われたのは初めてだ。いや、小さい頃はきっと父上に言われていただろうし、母上も言ってくれていただろう。しかし成人を間近に控える十七歳の男が言われるのは、さすがに恥ずべきことではないだろうか。
「恐れながら、愛らしいというのは少し……」
「エルニース殿は美しいだけでなく大層愛らしい。それに物事をきちんと見て考え、知識欲もある。こうして時を忘れて楽しく話ができる相手に出会えたことに、わたしは感謝しているんだよ」
殿下の穏やかな笑みを見たら、否定しようと思っていた口も閉じざるを得なくなった。
こうしてウィラクリフ殿下のお詫び行脚という来訪は続き、いつの間にか五日に一度だった間隔も三日に一度になっていた。
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