第18話 どうでもいいソウイチの過去

 そのとき酒場の扉が開かれた。


「ごめんなさい。思ったよりも帰りが遅くなってしまったわ」


 この酒場の主、スカイエがそう言いながら婉然と微笑んでいた。


「あ、スカイエさん、お帰りなさい」

「みんな、楽しんでいるみたいね」


 スカイエは調理場まで入り手を洗った。


「ソウイチ、もういいわよ。後は私がやるから」

「分かりました」


 ソウイチは頭を下げると、調理場に相対する座席のクルシェの隣に腰かける。


「今日の首尾はどうだったの?」


 スカイエの問いかけにクルシェが応じる。


「うん。〈月猟会〉に探りを入れて幾らか分かったことがあるわ。あんまり喜ばしい情報ではなかったけれど」

「あら、どうしたの」

「〈巡回裁判所〉まで〈月猟会〉を調査していたの。下手をすれば、どちらとも敵対することになるかもしれない」

「〈巡回裁判所〉……」


 スカイエがソウイチを見やるが、彼はクルシェに目線を注いでいる。

 それなりに神妙な表情をしているが、ことの深刻さを理解してはいないだろう。


「クルシェ、今からでも遅くはないわ。やっぱりこの仕事は……ね?」

「ううん。もう遅いの。どっちにも喧嘩売っちゃったから」


 依頼からは逃げないクルシェの意思を受け、スカイエは口を噤んだ。

 重くなりかける空気を払拭するようにスカイエが笑顔を見せる。


「そう言えば、どう? ソウイチの作ったお酒の味は?」

「美味しいわ。これならお金を出してもいいくらい」

「ソウイチもウチで働き始めて一年くらい経つものね。私から見ても、随分進歩したと思うわ」

「いやー、はっはっはっ、照れますね」


 ソウイチが頭に当てているのを見詰め、クルシェが疑問を発する。


「ソウイチは何で〈白鴉屋〉で働き始めることにしたの?」

「まあ、時給が良かったからな」

「ソウイチはお金のことばかり言うけど、何か理由でもあるの」


 クルシェの問いを受けて、ソウイチは苦笑しつつ麦酒を呷った。


「親が商売人だからかな。やっぱり血は争えないってことかもなあ」

「いつも愚痴っているお父様のことね」

「ああ。俺は大陸北部に移住したハクランの子孫で、祖父が反物っていう布の商売を起こして成功した人でさ。それからウチは商人の家系なんだ」


 ソウイチは中身が半分残った酒杯を両手で包み、その表面に瞳を向けている。黄色い液体に映るソウイチの顔は気泡に揺られて安定しない。


「俺は長男だから後を継がないといけないんだけど、それが嫌だったんだ。親父のやっているような商売は、俺の性格に合わなそうで。家を飛び出したんだ」

「大胆なことをするのね」

「ま、家を出た理由はもう一つあるんだけど。とにかく、何かにつけ商売の心得を押しつけてくる親父に反発があったのは事実かな」


 酒杯の表面には水滴が浮かび、一筋が涙のように滴って卓上を濡らした。


「親父に言われたよ。『お前には金を稼ぐ器量が無い』って。俺の親父ってのは、そういう人間だったんだ」

「それじゃあ、後悔はしていないの」

「うん。俺よりも優秀な弟が二人いるからな。後悔も心配もしていないよ。ただ、親父とは違うやり方で金を稼ごうって、意地になっているのかな」

「……ただの酒場の店員ではなく、私たちの手伝いをするようになったのはどうして?」


 ソウイチは、常よりも多弁なクルシェへと意外そうな目を注いだ。もしかしたら少し酔いが回っているのかもしれない。


「それはスカイエさんから誘ってくれたことだからな」


 クルシェとソウイチの二色の双眸の標的となったスカイエは、超然とした佇まいで笑みを結んでいる。


「ソウイチは気が利くから、クルシェを手助けしてくれると思っただけよ」


 スカイエはソウイチを裏の世界に引き込んだ理由を韜晦するように言った。

 これ以上スカイエから有益な情報を引き出せないと知る二人は、諦めたように揃って酒杯を傾ける。


「二人とも、明日も忙しくなるでしょうから、そろそろ切り上げた方がいいわね」


 スカイエの言葉に二人は同意だった。

 問題は泥酔しているソナマナンの世話を誰が行うか、とうことである。互いに押しつけ合うような視線を交わすクルシェとソウイチの間に、不可視の火花が飛び散る。


「い、いいのよ。私が起こして帰らせるから。二人は気にしなくても」


 三者の思惑を知らずにソナマナンは眠り続けている。

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