第17話 或いは平穏な夜

 すっかり日が沈んだ街は、天空から降りかかる闇に抵抗するように人工の明かりで暗黒を払拭していた。


 昼間は無表情だった電飾も今は煌々と華やかな光を放ち、媚びを売って腹のなかへと客を収めようと必死な面持ちだ。

 陽光の下では閑散としていた通りには、酔客や鼻の下を伸ばした男で溢れ、欲望の坩堝と化している。


 そのような喧騒のただなかにあって、端然と静謐を保って営業しているのは〈白鴉屋〉をおいて他にはない。


 その〈白鴉屋〉にはクルシェ達の姿があった。主人であるスカイエは例によって所用があり、店番をしているのはソウイチである。


 まだ宵の口であるのと、この店の客は少数の常連しかいないというのもあって、クルシェとソナマナンしか席を埋める存在はいない。


「おかわりくださいな。ソウイチ、あなたも結構腕を上げたのではなくて?」


 ソナマナンが杯を差し出して微笑んだ。

 酔いが回って艶美さを増したソナマナンは、その恐ろしさを知るソウイチですら美しさに背筋が冷える。


「は、はい。どうぞ。明日も仕事なんだから、飲み過ぎるのはよくないっすけど」

「あら、ご心配なく。この程度はいつものこと」


 そう言ってソナマナンは湯気の立つ黒い液体を口に含む。彼女が好むのは、麦焼酎の珈琲割りという飲み方だ。

 珈琲の覚醒効果と酒の陶酔を同時に味わう粗野な酒だが、冬の寒さのなかでこれを体感すると止められなくなるというのはソナマナンの感想だ。


 上機嫌のソナマナンを尻目にクルシェが口を開く。


「相手は〈月猟会〉だと思っていたのに、〈巡回裁判所〉まで関わっているなんて予定外だったわ。私達を狙っているわけではないけれど、厭な感じ」

「ま、あの〈巡回裁判所〉とかいう奴らの狙いは〈月猟会〉だろう? 元々あいつらを探っていたみたいだし」

「そうだけれど、問題は〈巡回裁判所〉が標的とするのは魔女だということ。もしかしたら、〈月猟会〉には王国が恐れるほどの魔女がいるのかも」

「それは、歓迎できない事態だなー」


 ソウイチはクルシェの酒杯が空になったのを見計らって新しい酒を差し出した。スカイエに店番を任されるだけあって、こういうところは如才ない。


「お二人さんてば、本当に若いわね。私にもそういうときがあったわ」


 ソナマナンは遠い目をし、また焼酎の珈琲割りで朱唇を湿らせた。


「ソナマナン、どういうこと」

「〈月猟会〉を〈巡回裁判所〉が調べているなら、邪魔者同士相食んでもらえばいいのよ」


 ソナマナンの言うように〈月猟会〉と〈巡回裁判所〉が潰しあえば、自分達が危険を冒す必要はなくなる。


「確かになー。今日会った、ハチロウとリヒャルトだっけ? 険悪な雰囲気だったし、あいつらがやり合ってくれれば、俺も楽なんだけど」


 手の空いたソウイチが酒杯に満たされた麦酒ビアを呷る。この男も酒が嫌いではなく、男性だけあって量だけならば二人よりも飲めるのだ。


「でも、それだとフリードを害した相手が分からないままよ」

「私達の標的はクオンなの。クオンさえ殺せればいいのだし、第一に手を下したのは別にいるとしても、命令を下したのはクオンのはずよ。ほら、同じことじゃないの」

「そっか。暗殺には実行した人間だけでなく、それを命令した人間もいるのよね」


 珍しくクルシェが素直に頷いた。


「そうでしょう、そうでしょう⁉ ほら、これでめでたし、めでたしね! はい、ソウイチ、お代わり!」


 酔っぱらい過ぎて色気よりも陽気さが先行してきたソナマナンに、ソウイチは黙ってお代わりを用意してやる。


「まったく。これで最後にしときなよ」

「はーい。ソウイチちゃん、あとで家まで送ってちょうだいね」

「厭っす」


 断られても理解していないのか笑い声を上げるソナマナンを横に、クルシェは静かに杯を傾けた。


「〈巡回裁判所〉が勝ったり、共倒れになったりするとは限らないと思うけれど」

「え、どういう意味だ」


 もはやまともな会話はできそうにないソナマナンの代わりにソウイチが応じる。


「〈月猟会〉が損害なく勝つことだって考えられるわ。昼間に会ったハチロウからは、それくらいの凄味を感じた」

「そんな……」


 信じられないというよりは、信じたくない、といった面持ちのソウイチだ。

 しばしの静謐が場に満ちる。ソナマナンは泥酔したらしく、上半身を卓上に預けて寝息を立てていた。

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