第4話 ゴキブリ男と沙織そして美幸
「後をついてきた!?」
「う、うん」
「え、ストーカー?」
彼女はそう言って、俺から離れた。
否定はできねえ。
「悪い」
「けど、まあそのおかげで私の居場所を知った訳だし、今回だけは許してあげる」
死ぬほど上から目線なのは今は突っ込まないで置いてあげよう。
彼女の手が、まだ震えている。
握ってあげるべきか迷っていたら、彼女の方から俺の腕に抱き付いてきた。
「今だけだからね」
「あ、ああ。わかってる」
「うん。わかればいい」
俺の方に彼女の頭が乗せられている。
フワッとシャンプーの香りが鼻を優しく刺激する。
「あっ!」
彼女はそう言って、突然頭を上げた。
そして、その頭が俺の鼻を直撃する。
「痛って!」
「ご、ごめん!大丈夫?」
「お前らは俺の鼻に一体何の恨みがあるんだ」
ついこの前も鼻を殴られ、血を出した記憶があるのだが。
「私の頭を嗅いでるからでしょ」
「嗅いでねえよ!自意識過剰だバカ」
「何よ。私の頭は嗅ぐ価値がないって言いたいの!?」
顔を近づけられ、佐々木に睨まれる。
この女はたまに意味わからん切れ方をする。
「そんだけ元気があればもう大丈夫そうだな」
「あ、うん。田仲くんのおかげで結構元気出た。ありがと」
そう言って彼女はまた、俺の腕に抱き付いた。
色々当たっているが、今それを指摘したら、彼女をとても傷つけそうだったからやめておいた。
「私が帰った後すぐ後をついたってことは、私たちが頑張って作った書類はあのままにしてあるの?」
「まあ、そういうことになるな」
「ってことは、まさか先生のところにも行ってないってこと?」
「ああ。行ってないな」
「明日、もっと怒られるよ?」
空いている手で、彼女頭を軽く撫でた。
「バカ...」
あいつの家から飛び出してもう30分以上が経ってる。
さすがにもう、居場所がバレることはないだろう。
ただ、後一歩遅れたらと思うと、冷や汗が止まらない。
「あいつお前の彼氏っぽかったし、お前が嫌そうなのは何となくわかってたけど、本気で止めるかどうか最後まで判断できなかった。ごめん」
「まあ、普通恋人の家に行くのを止める人なんていないよ。謝ることなんて何もない」
「だから、後をつけて、あいつの家の前でずっとうろちょろしてた」
「あはは、気持ち悪いね」
このアマ。
元気になったら覚えてろよ。
「そんな時に聞こえたんだ。助けてって。それで、何かしなきゃって思って狂った様にインターホンを鳴らしてやった」
「あれはあれで怖かったなー」
彼女が苦笑いを浮かべ、そして言葉を続けた。
「けど、私はあの音に救われた。本当にもう、怖かった...。本当にもうダメだって思って...」
「佐々木」
愛おしさと、憎悪が入り混じった感情を胸の内に留めながら、震える彼女の肩をそっと抱き寄せた。
「絵理...」
彼女がそう呟いた。
「どうしたんだ?」
「絵理って呼んで...」
「い、いや、それは...」
彼女が俺の胸から顔をパッと上げ、目を真っ直ぐ見つめてきた。
「呼んで!」
「は、恥ずいだろ...」
「教室では呼んでた!」
「ばっ、お前聞こえてたのか?忘れろって言ったろ!」
教室で彼女を呼び止めた時、確かに無意識のうちに彼女の名前を呼んだ。
呼んだけど、あんなの勢いとかがあったから言えた訳であって...。
できれば、今すぐにでも忘れて欲しい。
「忘れない...。絶対に、忘れないから」
いつも教室で愛想笑いばかり浮かべ、媚びへつらっている彼女からは想像もつかない
引き寄せられそうなほど、真っ直ぐな瞳と
ただただ、真剣なその表情を
綺麗以外の言葉では、とても言い表せそうにない。
「え、絵理...」
「なーに?伊織」
その言葉と、彼女の笑顔。
直視できるはずもなく、視線を彼女から外した。
「ふふ、ずっとこんな時間が続けば良いのにね」
「カエルの中がそんなに気に入ったのか?」
「違うよ!バカ!」
ふんと、彼女はそっぽを向いた。
俺もそこまでバカじゃない。
こんな時間がずっと続くとは全く思ってはいない。
ここを出れば、人の目がある。
俺と彼女は、また話もしないだけの、他人へ戻る。
彼女はリア充で、俺は陰キャ。
それを知っているからこそ、俺は素直になることができないでいる。
そんなことを思っていると、不快な通知音が鳴り響いた。
佐々木の携帯が鳴っている。
「出なくて良いだろ」
「ありがとう。でも、出なくちゃ。伊織のお陰で大分元気取り戻したし。このままにはして置けないよ」
「そっか...」
「そんな寂しそうな顔をしないの。ちょっと出てくるね。ついてこないでよ?」
そういう彼女に向かってあっちに行けと手で合図する。
もー、と怒りながら彼女はカエルの中から出ていった。
シャンプーの香りだけ、この場に残して。
☆ ☆ ☆
「ただいまー」
「あ、兄ちゃんおかえりー」
「おお、母ちゃんは?」
「仕事だって」
「飯抜きか」
「今私が作ってる」
嫌な汗が噴き出た。
沙織が飯を作っている。
これ以上の危機的状況が、この世にあるのだろうか。
「顔に出てるバカ兄貴」
「あー、実はなもうご飯...」
「はい、うそー。食べてたらそんな顔するわけないよね。とっとと手を洗ってテーブルについてね。お兄ちゃん」
人懐っこい笑顔を浮かべながら、しっかり目は死んでいる沙織をあとにし、手を洗い、地獄の入口とも言えるテーブルへついた。
「今日はチョコチャーハン、マシュマロ豚汁を作ったよ!残さず食べてね」
目の前にゴミが差し出された。
「私も食べよっと、頂きまーす!」
沙織が、うまっと頬張りながら、ゴミを平らげていく。
頭だけでは飽き足らず、舌まで馬鹿とはどうしようもない妹だ。
「今、私の悪口考えてたでしょ?」
「まさか。いつもご飯を作ってくれて感謝しかないなって思ってたんだ」
「ふん、そういうことにしといてあげる」
勘の鋭さ、母さん似だなこいつ。
「今日何してたの?ってどうせ、また佐々木さんのケツを追いかけてたでしょ?」
「最近、お前と言葉を交わす必要性を感じなくなってきている。エスパーとしてテレビに出れるんじゃないか?」
「兄ちゃんがわかりやすすぎるだけだよ。一日中、佐々木さんの事だけ考えてるからもう嫌でもわかっちゃう」
飯が進んでいない事に腹を立たせ、沙織がひと睨みを効かせた。
しょうがない。
腹を括って、チョコチャーハンを一口頬張った。
言うまでもなく、クソまずかった。
「美味しそうに食べるね!お兄ちゃん!」
「まだ言葉を交わせる余地はあるみたいだな」
「あ?」
「う、うめえな。チョコチャーハン」
気がついたら、沙織はもう全て平らげていた。
スポーツ万能、学績優秀。
絵に描いたようなエリートな彼女であるが唯一の欠点が、これである。
そして、欠点の実害を一番多く受けるのはこの俺だ。
「今日は、佐々木さんとなにか進展あったの?」
「ああ、あったぞ。佐々木の彼氏の家のインターホン連打してきた」
「あはは。お前と血が繋がってる事実に死にたくなってきた」
「落ち込むのは飯が足りてないからじゃないのか?それなら...」
「ちゃんと食べろよ。お兄ちゃん」
マシュマロ豚汁を口に入れた。
あらゆる力を振り絞って、何とか飲み込んだ。
「まあ、なんでもいいけどさ。あんたはそれでも私のたった一人の兄ちゃんなんだからあんまり無理はしないでよね」
「沙織...」
一番無理させてるのはお前だけどな。
「なんか思った?」
「いえ!大変美味しいご飯感謝の言葉もない」
「うん、よろしい。私部屋戻るから。今年受験だし」
沙織は、今年高校受験を控えている。
つまりはこれでも結構忙しい身分だ。
「沙織」
「なに?」
「ご飯作ってくれてありがとうな。いつも助かってる」
「なに、いきなり。気持ち悪いんだけど」
そう言って、リビングの扉に手をかけ、小さな声で
「おやすみ」
とだけ言って、自分の部屋へ戻った。
「素直じゃねえな、ほんと」
そんなことを思いながら、俺はあいつの作った、クソまずいゴミを口へ運んだ。
☆ ☆ ☆
「あんた、メロンパンとコーヒー牛乳買ってきて。ダッシュで」
もう何から言えば良いのか。
どう言えば良いのか。
俺にはわからない。
「ボーとすんな。さっさと行きな」
みゆきちゃんこと、綾野 美幸が俺に向かって飯を買って来いと命令している。
現実に理解が追いつかない。
「な、何で俺が?いつもは佐々木さんに...」
「...」
俺の言葉を聞こうともせず、俺の机の上でスマホをいじり続ける綾野。
気丈としてはいるが、今にも泣き出しそうな目をしている。
「わ、わかった。買ってくる」
とりあえず、綾野の言う通り売店へ向かい、チョココロネとコラコーラを買いに行き、彼女に手渡した。
「一つも合ってないんだけど?」
「少しは惜しいだろ?」
「惜しいから良い訳ないっしょ。惜しくもないし」
そう言いながら綾野は、プシュッの音ともにコーラの蓋を開け、口にした。
意外と怒らないんだなこいつ。
「なあ、何で俺の机の上でご飯食べてんだ?いつもは...」
「残りやる」
そう言って、コーラの残りを俺の口に乱暴に突っ込んだ。
吹き出しそうになったところを何とか堪え、コーラを彼女から受け取った。
これ以上は喋るなって事だろうが、知った事か。
「喧嘩でもしたのか?」
「...ハブられた」
「いつものメンバーにか?何で?」
「あんた、デリカシーって知ってる?」
「じゃあ、あんたは俺の名前を知っているのか?」
チョココロネを食べる彼女の手が止まった。
ハブられた理由は知らないけど、教室で一人になりたくないのは何とかなくわかった。
だけど、そのために名前すら知らない俺のところに来て、あまつさえパシリにしようと言う魂胆が心底頭に来る。
つくづく俺を人として見てねえ、良い証拠じゃねえか。
「佐藤 勘太郎」
「一文字も合ってねえよ」
「でも、少しは惜しいっしょ?」
不覚にも軽く吹いてしまった。
たしかに、惜しければ良いと言うものでもなければ、惜しくもないな。
彼女のドヤ顔で見せるその白い歯に腹を立たせつつ、人の懐に入る術に感心せざるを得なかった。
「田仲 伊織だ。よろしく、綾野さん」
「知ってんだ。あたしの名前」
「このクラスにいれば嫌でも覚えるよ」
「ふーん。てかあたしの脚見過ぎじゃね?」
机の上に短いスカートで座られて、見ないと言う選択肢がどこにあるというのか。
「見てねえよ」
「いやもう、脚見ながら話してんじゃん」
小麦色の太ももに嫌でも目が釘付けになってしまう。
佐々木を毎日パシらせ、今度は俺をパシリにしようという憎き相手なのに、本能に打ち勝てない。
「ラインやってるしょ?スマホ出しな」
「いや、交換してもしょうがねえだろ」
「もう、ラインする相手がいないからさ。はよ」
綾野は手を差し伸べ、そして、また寂しそうな目をした。
昨日までの傍若無人な女王様が、今では奴隷にものをねだっている。
プライドと孤独を天秤にかけた結果、後者に傾いたとみえる。
「ほらよ。俺、基本スマホ見ねえぞ」
「エロサイト開いてんだけど?」
「ちょ、まっ!返せ!」
確認もせずに人にスマホを渡すものではない。
今度は自分でラインを開き、その状態で綾野に手渡した。
「おけー。みゆってのがあたしだから。送ったら速攻で返して」
「ざけんな。クソめんどく...」
「さっきのサイト、なんだっけ?【巨○のお姉さんに××お願いしてみた!】だっけ?絵理が知ったらどーなるんだろうね」
「わーったよ!喜んで返す!返させて頂きます!クソたれ、何でこんな目に...」
「んじゃ、よろしくー。佐藤」
田仲だっつの。
覚える気ねえじゃねえかクソ。
ここ最近本当にロクな目に合ってねえ。
ただまあ、あいつ
脚は良かったな。
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