第3話 絵理と初体験
「あんた私の彼氏と遊んだでしょ?」
発端は確か、そんな言葉だった。
中学の時、親友だった原ちゃんがあられも無い嫌疑をかけられ、クラスの中で一番目立ってた女の子に問い詰められていた。
本当かどうかはわからなかった。
ただ、純粋に親友である人を信じることが正しいと思っていた。
自分の心も、信じるべきだと言っていた。
「佐々木、あんたこいつの味方すんのね。どうなるか、わかってるよね?」
その言葉の通り、私の中学生活が一変した。
今までの教室とは打って変わって、まるで自分一人だけそこにいるかのような感覚に陥った。
簡単に言えば、クラス全員に無視された。
中学二年の秋頃から、卒業までずっと。
先生曰く、誰と話し、誰と話さないはその人の自由だと。
周りじゃなく、話す価値を見出されていない自分を変えろとのことだった。
親には相談できなかった。
ただでさえ、女手一つで育ててくれている。
これ以上苦労をかけたくはなかった。
そして、一番肝心の原ちゃんは、人の彼氏と遊んだ罪悪感で、私を無視することに協力していた。
彼女に言われた言葉が鮮明に思い出される。
「空気読めない、絵理ちゃんが悪いんだよ?」
私はどうやら、間違えたらしい。
安っぽい友情。
安っぽい正義感。
安っぽい自己満足。
これらが私が一番大事にしていたものだったらしい。
幸い、高校は中学の頃の人達が一人もいない所へ入学できた。
私は学んだ。
感情を殺し、空気を読み、力あるものに媚びへつらう。
これらが人生をうまくいかせるコツなのだと。
周りの大人たちを見てもわかる。
これは真理なんだ。
世の中というのは、なるようにしかならない。
ということは、常識やルールに従って生きれば、豊かな人生を送れるということでもある。
そのことを、中学の頃に学べて、逆に良かったのかもしれない。
少なくとも、そう思わないとやってはいられなかった。
だから、今日私は空気を読んで好きでも無い男の家に行く。
わずかばかりの、感情を教室に残して。
☆ ☆ ☆
「やっとついたか絵理、とりあえず俺の部屋入れよ」
「う、うん...」
宮崎くんに部屋まで案内される。
大丈夫。
数時間我慢するだけ。
それだけで、充実した明日が来る。
だから、大丈夫。
「ほら、ベッドに座って」
「な、なんか飲みたいかな...」
「そ、そうだよな。悪い悪い。お茶とってくるわ」
宮崎くんが駆け足で部屋から出ていった。
張り詰めていた緊張感が一瞬だけ解けた気がする。
一度深呼吸をする。
宮崎くんの匂いがした。
好きじゃ無いだけで、悪い人では無いと思う。
こんな私と付き合ってくれてるんだから、感謝こそすれ邪険に扱うべきでは無いこともわかっている。
そう考えると、この緊張感は初めて男の子の部屋に入ったせいだと思えなくもなくなる。
きっとそうだと、自分に言い聞かせる。
「ほい、おまたせ。麦茶」
「ありがとう」
宮崎くんから麦茶を受け取り、口に運ぶ。
この麦茶を飲み終わった頃に、私は宮崎くんとやるんだ。
そう思うと、手が震え始めていた。
「いやー、やっとで卒業かぁ。感慨深けえなぁ」
そんな私の様子なんて、宮崎くんが知る由もなかった。
コップから徐々に麦茶がなくなっていく。
その間ずっと、宮崎くんがこっちを見続けている。
鼓動が速くなる。
ドクンドクンと、心臓が高鳴っている。
「飲み終わったな、じゃいくぞ...」
「あ...、うん...」
コップを置く暇もなく、宮崎くんの顔が近づいてくる。
キスされる。
そう思った瞬間、全てを諦めるように瞳を閉じた。
☆ ☆ ☆
「絵理よかったよ」
彼はそう言って、微笑んだ。
身支度を済ませて、家に帰る。
そして、次の日を迎え、いの一番にみゆきちゃんに報告をする。
「へー、おめー。結構痛いっしょ?」
スマホをいじりながら、みゆきちゃんに祝福をされる。
あの時、拒絶をしていたらこんな祝福をみゆきちゃんから受けることはなかった。
私は、正しい選択をしたんだ。
『クソみたいな生き方してんな』
「マジでいいな、セックス!俺、3発も出したわ!」
彼氏が自慢げに友達にそう報告する。
幸せそうな表情。
昨日、逃げなくてよかった。
『目に見えるものだけしか見てないから、お前は下らないんだよ』
「な、絵理!俺めっちゃ腰使いうまかったよな!?絵理めっちゃイってたもん!」
「あはは、そーだね。凄かった」
楽しいなぁ。友達と話して、彼氏と共感して。
やっぱり、皆といるのが一番良い。
『いつも気持ちを抑えて、ヘラヘラと楽しくもねえのに笑いやがってよ!気持ち悪りいんだよ!』
うるさい。
黙ってよ!
これで良いんだ。
これが一番良い。
皆、幸せ。皆、嬉しい。
これの何がいけないの?
ちょっと我慢するだけで、こんなにもたくさんの幸せがある。
逆に我慢しなければ、待ってるのは孤独だけ。
それだけはもう、嫌なの!
もう傷つきたくない!
皆いるのに、誰もいない教室になんていたくない!
何も残らなかった。
中学時代、耐えに耐えて手元には何もなかった。
中学時代を無駄にした事実と、親友からの裏切り以外
私の中学生活は何も残ってない!
毎日いたたまれなくなって、トイレの中でお母さんの弁当を食べる日々。
修学旅行を一人で過ごしたあの屈辱。
お母さんに心配させないように、友達と遊ぶフリをして、図書館にこもってた休日。
そんな全てが、もう心底嫌になったんだ!
あれもこれも全て、あの日、あの時に空気を読まなかったから。
無駄に立ち上がって、親友を助けようとしなければ、私はあんな目に遭うことなんてなかった。
傷つくことなんてなかったんだ。
だから、高校に入ってから私は生まれ変わることにした。
最新のファッション、最新の流行りを網羅した。
必死にクラスに溶け込めるように頑張った!
みゆきちゃんに言われた一言。
「絵理って結構天然じゃね?」
その一言で、私は天然になった。
周りをイラつかせない範囲で失敗をし、必死で与えられた役目を演じた。
情けないこともした。
バカにされて、周りから笑われても、自分が笑わせていると自分に言い聞かせた。
みゆきちゃんのいう通りの男の子とも付き合った。
その結果、私はリア充になれたんだ!
クラスのヒエラルキートップのグループに入り、彼氏もいる。
弁当はヒエラルキートップのグループたちと一緒に食べて、休日は皆とカラオケ行ったり、ボーリングとかで楽しんでいる。
そんな私を見て、お母さんも喜んでる。
何も不自由はない。
昔に比べたら天国なんだ。
だから、私は今幸せなんだ。
なのに、それなのに
ズケズケと人の心の中に入って、好き勝手言わないで!
迷惑だ。
あんたは何も持ってないじゃない!
友達も、恋人も、楽しい休日も。
私があんたに負けてるところなんて、一つもない!
これが現実。
これが現実なんだ。
それなのに、あんたはいつも私の心をざわつかせる。
あんたを見てると、いつもムカムカしてしょうがない。
初めて会った時から、あんたが大嫌いだった。
いつも一人でいて、周りの空気なんて読もうともしないで、皆に嫌われている。
意味わかんない理由で授業を抜け出して、先生を困らせるし
女の子を助けようとして、泣きまねされた挙句、男子たちにボコボコにされるし
懲りたかと思いきや、次の日の昼にはチョコフォンデュをしだして
そして、また怒られる。
あんたを見てるとムカムカする。
けど、
それと同時に...
その眩しいぐらいのまっすぐさに
救われている。
バカみたいに素直で、思ったことをそのまま口にして、
したいことを空気も読まずにやってさ
そのせいで傷ついてるのに、それを必死に隠して
それでね
たまに優しくしてくれる。
そんな行動の一つ一つに、心が救われるんだよ。
だって、君を見てると昔の自分は間違ってないって思わされるから。
ありのままの自分でいて良いんだって、言われてるような気がして。
君のね、その幸せそうにしている顔を見ると、
私まですっごく嬉しくなるんだ。
『行くな、絵理』
そっか。
そうなんだ...
私は、そんな君のことを...
☆ ☆ ☆
「え、絵理...?」
近づく宮崎くんの顔を、必死で両手で押さえ込んだ。
そして、ベッドから素早く立ち上がる。
「ごめんね、宮崎くん。私、あなたとはしたくない」
胸の内にあった言葉を、やっとで口にすることができた。
「な、なんでだよ?ここまできて、それはないだろ!空気読めよ!」
宮崎くんが激怒している。
それはそうだよね。
事前にそういうことをするって言って、家まで来させたのに、結局なにもなかったらそれは怒って当然だよね。
そこで何もしないなんて、空気の読めないひどい女でしかない。
全くもって、普通じゃない。
「ごめんね。私、実は好きな人がいるの」
「は、はぁ?好きなやつ?俺じゃねえの?」
宮崎くんは、心底意外だという反応をしてる。
「ううん。宮崎くんほど、素敵な人じゃないよ」
もっとダサくて、ちょっとカッコ悪い。
そんな人を、私は好きなんだ。
「ちょっとごめん。何言ってるのかわかんねえわ」
「そうだよね。私の方こそ、本当にごめんね。また明日ちゃんと謝るから」
頭を下げて、部屋から出ようとした。
その時、とてつもない力で腕を握られた。
「行くなよ、絵理」
握る人とで、こんなにも感じ方が違うと初めて知った。
「い、痛い。離して!」
「離さねえよ。この際お前が、誰が好きかなんてどうでもいい。初めから別にお前とは好きだから、付き合ってねえからな。ただ、やることはやってもらう」
手を振り解こうとするも、まったく離せる素振りもない。
人がどうなろうとも構わない強さで握ってるんだ。
もう私は、この人の目には人としては映ってはいないらしい。
「た、助けて!誰か!」
「いくら叫んでも意味ねえよバカ。言ったろ?今日は俺しかいねえんだよ」
怖い。本当に、怖い。
殺されるのではないかと思うほど、そのぐらい宮崎くんからは鬼気迫るものを感じる。
「暴れんな!殴るぞ?」
目を血眼にして、鼻息を荒くする宮崎くん。
いつもの人懐っこい姿は見る影もない。
ただ、自分の欲望を満たそうとしている獣か何かのようなものにしか見えない。
怖い。
怖い...!
ピンポーン♪
突然、インターホンが鳴り響いた。
「あ?誰だこんな時に」
「で、出なくていいの?」
絞り出すようにそう聞いた。
頼むから、私から離れて欲しい。
頼む。
「無視すりゃ、止むだろ。さあ、こっちに...」
ピンポーン♪ピンポーン♪ピンピンピンピンポーン♪
インターホンが異常なぐらいに、連打されている。
それがずっと繰り返されている。
「クソ!うるせえ!萎えるじゃねえか!ちょっと、行ってくるからここで待ってろ。ここ二階だからな。窓からは逃げられねえから大人しくしとけよ」
そう言って、宮崎くんは階段を降りて、玄関へ向かって行った。
私は、腰を抜かしてしまってその場に尻餅をついた。
徐々に目尻から涙が浮かぶ。
「逃げなきゃ...」
震える足を必死で押さえて、とりあえず部屋の窓から外を見た。
「降りられない...」
大きい家だけあって、地面まで結構な高さだった。
とてもじゃないけど、無理だ...。
無事じゃ済まない。
なら、階段を降りるしかないけど、降りた先はすぐ玄関となっている。
つまり、宮崎くんがいる。
「逃げられない...」
用事が終わったら、宮崎くんがすぐに昇ってくる。
そして、今度こそ私を...。
「私が悪いのかな...」
また、私は間違えたのだろうか。
自分の気持ちを殺し、空気を読んでいれば少なくても無理やりやらされる事態にはならなかった。
学んだはずなのに...。
また同じ失敗をした。
だから、これは罰なんだろう。
私が自分の気持ちを、優先させたから。
だから...
「...り...だ...ろ!」
部屋の外から誰かの声が聞こえる。
部屋の扉に手をかけた。
さっき掴まれた腕に痛みが走った。
ここを出て、宮崎くんに見つかったらきっとタダじゃ済まない。
怖い。
怖いよ...。
「あり...で...い!...る...ろ!」
また、部屋の外から声が聞こえた。
恐る恐る、ドアノブを回す。
回して、そのままにする。
後、引くだけなのに手が震えてそれができない。
こんな事なら、あの人を好きだなんて知るんじゃなか...
「あ...い!こっ...にこい!...
蟻女...!」
勢いよく扉を引き、廊下を全力で走った。
急いで階段を降りて、玄関にいるはずもないあいつと目があった。
「やっぱりいるじゃねえか。蟻女」
「田仲くん...」
なりふり構わず、私は彼を抱きしめた。
自然と目から、涙がどんどん溢れていく。
もう二度と、離したくない。
「ごめんだけど、早くここから出るぞ。あいつが戻ってくる」
そう言って田仲くんは私の手を取り、玄関から飛び出した。
靴を履いてはいなかったけど、そんな事を思い出す余裕が私にはなかった。
田仲くんに連れられ、近くの公園へたどり着きカエルの形をした滑り台の、カエルの中に一緒に隠れ、やり過ごすことにした。
どうして彼がここにいるのか。
なぜ、宮崎くんが玄関にいなかったのか。
どうやって彼は私を見つけられたのか。
疑問符は尽きなかったけど、私はただ彼の胸に顔を埋め、なるべく小さな声で泣きじゃくった。
落ち着くまで、彼は私の肩を抱き寄せ、頭を優しく撫で続けた。
それが更に涙を加速させていく。
私はこの日、初めて人の温もりの心地よさを知った。
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