第2話 蟻女と宮崎くん
「なあ絵理、俺たち付き合い始めてから結構経ってるよな?半年ぐらいか?」
「う、うん。そんぐらいだね」
まだ、二ヶ月しか経っていない。
「そろそろ、さ...。その、なんだ。恋人らしい事しねえか?」
「宮崎くん...」
宮崎くんは顔を赤らめながら、そう口にした。
私たちは、付き合っている。
「ほら、俺たちの中でまだしてねえの俺だけなんだよ。絵理ならわかるだろ?話についていけない辛さとかさ」
「そうだけど...」
みゆきちゃんのグループで恋人がいないのが私と宮崎くんだけだった。
『二人付き合えば良いじゃん』
みゆきちゃんのその一言で、私に彼氏ができた。
「ずっと童貞って馬鹿にされるのもう嫌なんだよ。絵理だって、処女のままは嫌だろ?」
「う、うん...」
ここ最近の帰り道、宮崎くんは決まってこの話をするようになった。
グループのみんなはもうやっている。
まだやっていないのは、私達だけ。
正直気持ちはわかる。
「明日さ、たまたま俺ん家親いねえんだよ」
「そうなんだ」
「こんなチャンスは滅多にない。ホテル行くのも金かかるじゃん。だからさ...」
そう言いながら、私の胸に視線を送る。
宮崎くんは明るくて、コミュ力もある。
話してて楽しいし、周りの気配りも欠かさない。
誰かさんとは大違い。
一瞬、胸に鋭い痛みを感じた。
「わ、わかった。家に行くだけなら...」
「ほんと!?マジありがとう!さすが絵理、めっちゃ空気読めるわぁ」
初めてできた彼氏は、私の好きな人ではなかった。
「えへへ、でしょー。それだけは得意だからね」
そして、またしても好きじゃない人と、初めての体験をする事になるんだ。
「笑った顔、かわいいじゃん」
気分を良くしたのか、付き合ってから初めて聞いた宮崎くんの褒め言葉。
へばり付いた私の愛想笑いを、可愛いと、はにかみながら口にした。
本当、誰かさんとは大違い。
☆ ☆ ☆
「そろそろ、このクラスの委員きめるぞ。やりたいやつはいるかー?」
朝のホームルーム、私たちが二年生になってから数日経った事もあり、そろそろクラス委員を決めるらしい。
当然、誰もやりたがらないわけだけど。
「はい、先生!俺やります!」
一人のバカを除いて...。
「た、田仲。いいのか?クラス委員だぞ?」
「大丈夫です」
何考えてるの、あのバカ。
ただでさえ、嫌われてるんだから目立つことなんてしなきゃいいのに。
「お、おう。じゃ、クラス委員長は田仲に決まりだな。皆拍手」
ペチペチとクラス内に拍手が鳴り響く。
それを聞きながら、あのバカはやりきった顔をしている。
まさか、この状況を作るだけのためにクラス委員長になったんじゃないんでしょうね。
少し頭が痛くなった気がした。
「よし、次は副委員長だな。これは女子がいいんだが...」
先生のその言葉の後、女性陣から悲鳴に近い声がクラス内を覆った。
まさに、ゴキブリを見た時と同じような反応だった。
「こら、お前たち!そんな反応をするな!」
「だって!ねぇ?」
「うん、さすがにちょっと...」
どんな顔をしているのかを楽しみに田仲くんの方を向いた。
予想通り、気にもしていないような顔をしているように見えた。
ただ、その瞳の奥には一筋の悲しみの光が映っているようにも見えてしまった。
「あ、あの先生!」
気がついたら、私は声を上げていた。
「お!どうした佐々木?」
「い、いや。その...」
完全な見切り発進。
クラス中が私に注目している。
やっぱり、心がままに動くとろくなことがない。
「...」
田仲くんの方へ目を向くと、驚いたような表情でこっちを見ていた。
悔しいけど、
ちょっと嬉しかった。
「私、クラス委員やります」
☆ ☆ ☆
「ちょっと絵理、どうしたん?クラス委員なんてやりだして」
昼休み、私が買ってきたパンを食べながらみゆきちゃんがそう口にした。
「い、いや、みんなやりたくなさそーだったから。空気読もうかなって。あはは」
「ふーん。別に良いけど」
何も頼んでもいないのに、みゆきちゃんの許可が降りた。
「ただ、あんまりあいつと一緒にいるのやめてね。絵理なら何が言いたいかわかるよね」
「う、うん。わかってる。心配してくれてありがとう、みゆきちゃん」
「絵理は友達だからねー」
そう言って、また私が買ってきたパンを頬張った。
少なくても、みゆきちゃんが心配してるのは私じゃない。
私を心配する人なんて、ここにはいない。
「ちょっとなにあれ...?」
「またあいつか...」
教室中が騒めきだっている。
誰の仕業かもう簡単に想像できる。
田仲くんの方を見た。
「うまっ」
チョコフォンデュにマシュマロをつけて、美味しそうに食べていた。
どっから持ってきたんだろう。
「ぷふっ」
吹き出しそうになった口を必死で抑えた。
本当、何でそんなものをわざわざ持ってきて、ここでマシュマロを食べる必要があるのか。
ただ、幸せそうにチョコレートをつけたマシュマロを食べてる彼を見ると、色々悩んでる自分が、バカらしく思えてくる。
「でも、ちょっとうまそー」
みゆきちゃんが、ふとそう口にした。
「え、みゆきちゃん?」
「い、いや、なんでもない。マジきもい」
そう言って、再びスマホをいじり始めた。
ただ、時折チョコフォンデュの方に目をやっていたことは見逃さなかった。
☆ ☆ ☆
「じゃ、田仲と佐々木、後はまかせたぞ」
「はい」
放課後、私と田仲くんは初のクラス委員の仕事である、なんだかわからない書類をホッチキスで留めるという作業を先生に命じられた。
正直、今日は帰りたくなかったから助かった気分だ。
「あれ、絵理まだ帰れんの?」
宮崎くんが私の教室に顔を出し、そう聞いてきた。
「ごめん!この作業終わらせないと帰れなくて。先帰ってて、後で行くから!」
「お、おう。楽しみだな。それじゃ!」
ニヤけた顔のまま、宮崎くんは教室をあとにした。
少なくても、この作業が終わるまではあの人の家には行かないで済む。
「そんな大した量じゃない。一人でもできる」
作業をしながら、田仲くんがそう口にする。
「なに、それ?」
気遣いなのはわかってる。
ただ、無性に腹が立った。
「さっきのやつ、彼氏なんだろ?早く行ってあげた方が良いんじゃないか?」
「田仲くんには、関係ない!」
ホッチキスで書類を強く締めた。
「俺はな、ただ...」
「うるさい!話しかけないで!」
本当にムカムカする。
一言一言に、頭に血が昇るのがわかる。
そんな優しさなんか、いらない。
「また拒絶かよ。本当、下らねえ」
田仲くんに手を払われた時の感触がよみがえる。
そんなつもりはなかったけど、また田仲くんに同じ痛みを与えてしまった。
「ち、ちがうの。ただ...」
「...んだよ?」
ただ、その声であの人のところに行けって言って欲しくなかった。
なんて、言えるわけない。
「ごめん、けど、大丈夫だから...」
「あ、ああ。わかった」
それからしばらくは、互い無言のまま作業を続けた。
静かな教室に、ホッチキスの閉まる音だけが鳴り響いていた。
その音が鳴るたびに、気分が徐々に重くなるのを感じた。
書類の量が刻一刻と、確実に減っている。
「...あいつの家で、何するんだ?」
そんな中、口ごもりながら田仲くんがそう言った。
「え?」
ちょっとだけ、嬉しかった。
「いや、わるい。なんでもねえ。忘れてくれ...」
「う、うん...」
彼はいつもより少し乱暴な口調で、頭を掻きむしりながら、床の方向を向いている。
空気を読むなんて、らしくないのに。
「もうちょっとで、終わるな」
「そうだね」
彼も私と同じ気持ちらしい。
少なくても、そうだと良いなとは思っている。
「付き合ってから、結構長いのか?」
「二ヶ月ぐらい」
「そっか...」
「うん。そう」
また静寂に包まれ、そして、作業が終わってしまった。
煮え切らないままの、私たちを残して。
「先生に用事もあるし、これ俺が持って行くよ」
田仲くんが、書類の山を持ちながらそう言った。
「用事って?」
「ちょっと、昼間のことで話があるみたいだ」
それってもしかして...
「チョコフォンデュ?」
昼間のことを思い出し、半笑いでそう聞いた。
「先生も食べたかったのかな...?」
「いや、どう考えても説教でしょ。普通あんなのありえないから!」
「先生、マシュマロじゃなくて、バナナ派だったか」
「そんなんで、わざわざ呼び出して怒らないよ!」
しばらくの沈黙の後、互いを見つめ、私たちは吹き出すように笑い合った。
「そもそもなんで、チョコフォンデュを学校でしようとしたの?本当、バカね」
「うるせえ。ほっとけ。あとバカって言うな」
「バカにバカって言って何が悪いの?」
「黙れ、蟻女」
「またそれ?語彙力ないんだね、ゴキブリ男」
ふん、と互いにそっぽを向く。
ただ、頬は緩んでいたけど。
永遠にこんな時間が続けば良いのに。
「お、お前さ...」
彼の言葉を遮るように、私のスマホの着信音が鳴り響いた。
一瞬にして、現実に引き戻される。
どうしようもない、現実に。
「もしもし...」
「絵理ー、まだぁ?いつになったら来んの?」
「ごめんね、宮崎くん。もう終わったら、今から向かうね」
「おー、早くして。ゴムは買ってあるからな。楽しもうぜ!んじゃ、待ってるわー」
「う、うん...。じゃね」
ツーツーツーという音が、鳴り響く。
この音は、何かが終わる音。
「じ、じゃ...。私行くから...」
「お、おう...」
気まずさに耐えかねて、席を立ち、教室の扉へ向かう事にした。
もうこれ以上、こんな顔、彼に見せたくなかった。
もうこれ以上、彼のあんな顔、見たくなかった。
教室の扉まで歩き、取手に手をかけた。
ーーー「行くな、絵理」
彼が、聞こえるか聞こえないぐらいの声で、そう言いながら、私の腕を遠慮がちにそっと掴んだ。
掴んでくれた。
「田仲くん...?」
「わ、悪い。なんでもねえ!忘れてくれ...」
手を離し、今にも泣き出しそうな顔を見せまいと素早く私に背を向けた。
いつも自由奔放で、ムカつくぐらい素直な彼の
そんな表情、どう忘れれば良いんだろう。
そんなことを思いながら、私は教室をあとにした。
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