日記をやめることの勧め

高村 樹

日記をやめることの勧め

日記は、大きく二つに分類することができると思います。


一つは自分のために書く日記。

もう一つは自分以外の誰かに読ませるための日記。


もしあなたの書いている日記が前者であるならば、即刻やめることをお勧めします。

なぜなら日記は自分のためには決してならないというのが私の結論だからです。


幼少のころから今日に至るまで様々な日記を書いては処分してきました。

一番最初に書いた日記のタイプは日々に起こった出来事を素直な感想と共に書くという標準的な日記でした。

この日記はさぼってしまったことも度々あったんですが小学校低学年から卒業まで続いて、普通横罫の中学生や高校生が使うようなキャンパスノートで三冊ほどになりました。

しかし、この日記は両親にこっそり読まれるという憤死したくなるほど恥ずかしい事件が発生し、親子喧嘩の末、破いて処分する羽目になりました。


このように日記には他者に読まれてしまうリスクがあるのです。

日ごろからどんなことを考えているのか、何をしているのか、誰かに読まれてしまった場合、その人にあなたの人格や行動の大部分が把握されてしまいます。


もし、大人になってもこのタイプの日記を書いている人は、自分が事故や急病で亡くなった場合、家族や友人たちに日記を読まれてしまうリスクを覚悟しておいてください。


他にも私は様々なタイプの日記を書いては途中で様々なことに気付き、断念することを繰り返してきました。


毎日1個以上ポジティブな出来事を書く日記。

そんなに毎日ポジティブな出来事は起きません。


起こった事実だけを感情を交えず記録する日記。

途中で何のために書いているのかわからなくなります。

ボケるにはまだ早い。


気持ちを整理するためにその日に起こったネガティブなことについて書く日記。

日記に書いても気持ちは晴れないし、解決もしません。

誰かに読まれたら、余計にネガティブになります。


他にもいろいろ試しましたが、途中で日記をつけることの意義に疑問を持ち、全て途中でやめることになりました。

ノート代と時間の無駄でした。


人が日記を書く目的は、「自分が人生のどの位置にいるかを見定めるため」だと言われています。

しかし、書き連ねた日記を振り返って全部読むなんてことをするのは、よっぽど暇な時か、人生に行き詰ってどん底にいる時くらいでしょう。

もし、そんな危機的状況にあるなら、日記なんか読んでないで、脱却する努力を何か始めるべきです。

日記に書かれている内容があなたの人生を好転させてくれる可能性は限りなく零に近いと思います。


もし、あなたが書いている日記が自分以外の誰かに読ませるための日記であるなら、やめる必要はありません。それはもはや日記というより、目的を持った創作物であり、自分の死後も有益である可能性があります。

後世の資料になったり、文化的な価値が出るかもしれません。

自分がこの世を去った後に特定の相手にダメージを与えるなんて目的のために書かれることもあるかもしれません。恨み言、誰かの暴露話なんていうのがこれに当たるのではないでしょうか。

ただこれらの日記は厳密な意味でいうところの「日記」ではないというのが私の見解です。


日記とは自分のために書かれるべきであり、そうであるからこそ他者に読まれると耐え難く、願いが叶うのなら自分の心臓の鼓動の停止と共に、「爆散」してほしい存在なのです。


ここまで長い駄文を読んでくださった皆様、私は真実ではないことを書きました。

心から謝罪申し上げます。


私は紙媒体で日記を書いたことは一度もありません。


本当にすいませんでした。嘘こきました。


(だって、ネタ切れだったんだもの)


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