美術室の白鳥 後編



 「汐里しおりちゃんの芸術高校ライフ、はやくも終了のお知らせでありま〜す……」



 東雲高校の屋上にある休憩スペースで、私こと古海汐里はひとりうなだれていた。柵越しに見える景色は青々とした山ばかりであり、夏の熱気をほのかに含んだ風を運んできている。


 グラウンドからは運動部員の声。第2校舎からは吹奏楽部の楽器の音色。みんな頑張ってるんだなぁって思う度に、胸の奥がチクリと痛んだ。



 「いやぁ……どうしていつもこうなんでしょうな〜」



 買ってきた『い・ろ・〇・す』のペットボトル(桃味が私のジャスティス!)をカシュッと開け、かわいた喉に流し込む。冷たい水が全身にしみてく感覚に、沈んでいた気持ちが少し楽になるような気がした。




 ――あの日から、美術部に顔を出せないまま1週間が経とうとしていた。


 吉野先輩との件で妙に気まずくなったのはあるが、それ以上に、何事も本気で好きになれない空っぽの自分自身に嫌気いやけがさしていたのである。


 とはいえ放課後にすぐ帰宅するのも何となく気が引けるということで、こうして誰もいない場所で時間を浪費ろうひするようになった。



 私は、飲み終えて空っぽになったい・ろ・〇・すを両手でにぎにぎ潰して遊びながら、少し昔のことを思い出していた。




 *




 「セーンパイ、そこどいて貰えません? あたし朝練あされんしたいんで」


 「……えっと、先に来てたの私だし待っててくれないかなぁ。それに、もうちょっとでサーブが上手くなる気がするんだよね」



 まだ生徒はまばらにしか来ていない中学校。寒さが床下からい上がってくるような朝の体育館で、2人の女生徒が対峙たいじしている。


 先に来て練習していた先輩を、信じられないものを見たかのように後輩がにらみつけていた。


 背が高く、歳下であることをまるで感じさせない雰囲気をまとった彼女は吐き捨てるように言う。



 「サーブ練して何になるんです?」


 「ほら、あなたみたいにカッコ良く活躍したいなって思って」


 「絶ッ対に無理。センパイには一生掛かってもあたしみたいにはなれない」


 「そりゃあ……子どもの頃からバレーボール頑張ってきた人にはすぐ追い付けないかもだけど、私もこれからたくさん頑張ればっ」



 後輩はダルそうにボールを拾い上げ、深いため息をついてから腕の上で器用に転がし始めた。



 「――センパイには、あたしがそういう風に見えてるのかも知れませんケド。あたし、生まれて1度もバレーをなんてないんですよね。本当に楽しいから、心から大好きだから自然とやってるだけです」


 「すごいね、羨ましいなぁ」


 「センパイはバレーするのが好きですか?」


 「う、うん。やってて楽しいし、好き……だと思う」


 「頑張るって言うくらい苦しさを感じてるクセに、本当に、好きなんですか?」


 「………………えっと……」



 足もとがふらつく。彼女と話していると、自分の中にある好きがどんどん揺らいで崩れ落ちてゆくのを、先輩である女生徒は強く感じていた。



 「あたし毎朝ここで練習してるのに、変な思い付きで邪魔されても迷惑なんですよね。もう一度言いますけど、センパイ、そこどいて貰えません?」




  *



 ――ザッ、ザッ。

 後ろから聞こえてきた足音に気付き、私は苦い思い出を頭から急いで追い出した。だめだめ、あんまり考えないようにしないと!



 「良い天気だね。もう夏に片足突っ込んでるって感じ」


 「おおー、部活の時間なのに吉野先輩はサボりですかにゃ〜?」


 「まぁね、そんなとこ。古海さんほどサボりまくってる訳じゃないけどね」



 そう明るく言って、吉野先輩は私のベンチに並んで座る……かと思いきや2メートルくらい離れた地面によいしょと腰をおろした。


 黒い制服は流石にもう暑いのだろう。白いカッターシャツ姿で腕まくりしている。所々、汚れているのが見えた。爽やかな風に混じって絵の具の匂いがする。



 「――あれから、ちょっと考えてたんだけどさ」


 「何をっすか? あっ、ついに『画狂大和卍』に改名する決心をしたとか!」


 「ってそんなわけないだろ!? 死ぬまで今の名前でいさせてよ!」


 「じゃあ〜汐里ちゃんにプロポーズ♡のコーナーとかっすか?」


 「……はぁ、あれから部室に来ないから心配してたのに元気そうだね」


 「いえ? めっちゃ落ち込んでるっす、塞ぎ込んでるっす、はい人生オワター! って状況すね」


 「……そっか」



 私は両足をベンチの上に乗せて体育座りの格好をする。前で組んだ両腕に顔をうずめて、聞こえないように小さくため息をついた。



 「古海さんは絵を描くのが好きじゃないって言ったけど、他人と比べることで本当の自分を見失わないで欲しいなって僕は思うんだ」


 「……本当の自分?」


 「そう。やってて楽しい、出来て嬉しい。もっと挑戦してみたい。そういうことを少しでも思ったのなら、好きだと胸を張って言えばいいんじゃないかな。絵に限らずだけどね」


 「絵を描くのが好きだって、もっと上手くなりたいって、私、言っていいんすか?」


 「いいよ。どんどん言ってこ」


 「途中でつまずいたり、しんどくなって休憩しても、それでも好きでいていいんすか?」


 「いいよ。どんどん休んでこ」




 いいのかな。この気持ちにふたしなくても、いいの……かな。




 あのときの後輩の顔が、視界の隅にチラつく。





 私は、もはやぐっしゃぐしゃに潰れたペットボトルを、後輩の顔めがけて全力で投げつけてやった。






 「――吉野先輩、本気にさせた責任は取ってくださいね」


 「えっ? どういうこ「うううぅおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉッ!!!!!!」



 勢いよく立ち上がりベンチの上に両足でしっかり立つ。

 

 古海汐里はここにいる!!


 もう1度、やったりましょう!!









 「好きだああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」






 グラウンドから、ヒュー! とはやし立てる声が聞こえた。……いや、違うってば。




  *




 東雲高校に今年も春が訪れた。


 見慣れた校舎の3階部分。肩に桜の花を乗せた生徒が、誰もいない美術室のドアを開けて入ってくる。彼女は、卒業証書のつつを脇にはさみ、両手では1枚の絵画を抱えていた。


 寂しげな表情で部屋を見回した後、壁の一角を目指して歩き出す。そこは、歴代の部長が自分の作品を1枚ずつ残してゆくスペースである。



 「お世話になりました」



 そう呟くと抱えていた絵画をゆっくり壁に掛ける。愛おしそうにそれを優しく撫でると、彼女は静かに立ち去って行った。



 ――その絵は、以前に美術展覧会で見たもののように洗練されたものでは決してなかったが、この世の誰も真似することの出来ぬ、自信と勢いに溢れた、力強い白鳥の絵だという。




【終わり】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美術室の白鳥 久世れいな @QzeReina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ