美術室の白鳥 中編


 「はーい、終わりです。お疲れ様でした〜」


 ピピピピッと電子音をひびかせていたタイマーを止めながら部長がゆるく告げる。


 みんなは「疲れたぁ」とか「今回はいいかも!」とか好き勝手に言いつつ、一斉いっせいに片付けを始めた。


 私、東雲高校1年生にして美術部員である古海汐里は立ち上がることが出来ず、ただ自分のデッサン用紙を見つめていた。



 「ぬうううぅぅぅ――!!」



 うわっ、悔しすぎてヘンな声出た。恥ずかしい……。

 隣のスペースで同じくデッサンをしていた吉野先輩がびっくりした顔でこちらを見ている。



 「古海さん、大丈夫?」


 「ええ! なんとか致命傷で済みましてよ、おほほっ!」


 「それは駄目だったってことだねぇ、ドンマイドンマイ」


 「コレ見てくださいよ〜。全っ然完成しなかったんす、マジ時間たんねーって感じで」


 「本当だ。ここにある紐なんて存在自体がにされてるね……!」



 ………………目敏めざとい。

 間に合わないから消しちゃえ〜☆ と完全にほうむったのにバレちゃった。まぁほぼ同じ位置で同じ物を描いたのだから当然っちゃ当然だけども。



 「でもこの瓶の質感はすごくよく出来てるよ。ここに時間掛かっちゃったんじゃない?」


 「ん……そっすね。私なりにスーパー頑張ったっていうか。ここだけはイケてね? みたいな」


 「うん、かなりイケてる」



 吉野先輩がすごいフォローしてくれる。角刈り頭な大男のクセに優しいヤツめ〜。



 「僕も……まだまだ描き足りないなぁ。もっと時間あればいいのにね」


 「先輩のは〜、どんなカンジっす………か……………ぉぉぅ……」



 ひょいと立ち上がって、吉野先輩の後ろに回ってキャンバスを覗き込んでみた。





 …………ヤバいヤバいヤバいーー!!!


 う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜まっっっ!!!!??




 私は思わず天井を仰ぎ見た。



 「先輩マジめちゃうま過ぎません? 前世は葛飾北斎かつしかほくさいかよって感じっす」


 「北斎の時代にビール瓶は無かったと思うけどね」


 「じゃ令和の北斎? いよっ、『画狂大和卍がきょうやまとまんじ』ィーーー!!」


 「ええーっ!? そんな中学生がMMORPGするときのハンドルネームみたいな名前イヤだ!」


 「ん、いやこれ北斎が実際に名乗ってたものっすよ。我は画狂老人卍であるぞ〜って」


 「どうなってんの北斎…………」



 吉野先輩がお腹を押さえて笑っている。私はコホンッと咳払いすると、少し声のトーンを落として真面目に言った。



 「ホント、上手ですよ。表現がすごく繊細で素敵っていうか…………前に展覧会で見た白鳥を思い出しちゃったっす」


 「あぁ、見てくれたんだね。1年前の作品だしちょっと恥ずかしいな」


 「あの出会いがなかったら今頃美術部には入ってないかもですねぇ」


 「…………そっかぁ」



 ……ん!? まてまて、何言ってるんだ私! ヤバっ、先輩も気まずそうにしてる。


 そりゃいきなり、「あなたのおかげ(せい)で今のわたしがいるの!」とか言われても「いや激重ーーーーーッ!!!!!」ってなるわ! そりゃそんなリアクションなるわ!



 ふと気が付けば、いつの間にか他の部員たちは帰ってしまっていて、私と吉野先輩だけの空間がそこにはあった。



 何となく気恥ずかしくなってしまった私はしばらく無言で片付けをしていたが、帰る間際まぎわになって、1つだけ質問してみたい気分に囚われた。


 部屋のドアに手をかけたまま。

 ドアの方に体を向けたまま、宙に言葉を投げかける。



 「先輩って、絵を描くのが好きなんすか」


 「もちろん好きだよ」



 ――即答だった。どんだけ好きなの。



 「古海さんは、絵を描くのが好き?」


 「あー……私は…………」



 答えてしまっていいのだろうか。自分の心の柔らかい部分を他人にさらけ出すのには物凄い勇気が必要だったけど、ここで嘘を付く気にはなれなかった。



 「私は、あまり、好きじゃないかも……っす」


 「どうしてそう思うの? デッサンしてるときの古海さん、すごく楽しそうだった」


 「……その、楽しく、ないわけじゃないっす。でも――」



 ドアにかけていた手を力なく下ろす。行き場を失ったその手で、スカートのすそをキュッと掴んだ。



 「吉野先輩や部長たちを見てると、私の"好き"っていったい何なんだろうって思うんです。本気で絵に打ち込んでいて、すごく輝いていて、そして上手で。そういう人たちと比べたら、私は絵が好き〜だなんてとても言えないっすよ、にゃはは……」


 「古海さんそれは「それじゃ、お先に失礼しまーすっ!!」



 先輩の返事を聞く勇気までは持ち合わせていなかった私は、ドアを勢いよく開け、夕方を通り過ぎてもう暗くなり始めた廊下へと飛び出したのだった。



【後編へ続く】

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