第22話 幼馴染にあったこと②

『ヤリマン』『ビッチ』『サセ子』


 という言葉が深夏の周りで飛び交うようになり始めたのは、中学に上がって半年ほど経った頃のことであった。


 小学生から中学生になったことで、深夏の輝きはさらに磨かれ増していた。派手な格好や髪型をしているわけではない。化粧で飾っているわけでもない。しかしそれでもなお、彼女の容姿は他人の目を惹きつけてやまず、それ故に誰よりも彼女は目立った。


 それに加えて、人見知りの激しいきらいのある彼女の性格も、『謙虚で控えめ』という好意的な形でクラスメイトや教師には受け取られていた。

 気質も温厚で、自己を過度に主張することもない。

 むしろ、他人をよく立て、自身を見せびらかすような振る舞いをしない深夏は、まさしく『大和撫子』であると入学してすぐに学校中の評判になった。


 誰もが、深夏の方向を向いていた。

 誰もが、深夏の一挙一動に注目して、その『大和撫子』ぶりを称賛した。


 だから本当なら、『大和撫子』の称号に似つかわしくないレッテルを彼女が貼られることもなかったのだ。

 たった一人……その『大和撫子』の幼馴染の存在さえなかったら。


 最初にそれ・・に気づいたのかを、俺は知らない。

 ただ、俺が気づいた時には、『どうしてあいつが?』という視線が向けられるようになっていた。


 水樹深夏は人見知りが激しい。

 だけどそんな彼女が、親しげに、気安げに話しかける人物が一人だけいた。


 放課後に笑って帰り道を歩く人間が一人だけいた。

 授業のノートを貸し借りする人間が一人だけいた。

 ふとした瞬間に、拳で肩を突いたり、突かれたりする人間が一人だけいた。

『大和撫子』の仮面を脱ぎ捨てて接することのできる人間が……学校中でたった一人だけ存在していたのだ。


 その人間の名は進藤隆文。

 まあ、要するに――俺である。


『あいつらってさ……なんで一緒にいるんだろうな?』


 最初にそう言い出した人間が誰なのか、俺は知らない。

 あるいは、そんな人間なんていないのかもしれない。深夏の押し付けられた『大和撫子』という理想の人間像に、俺という幼馴染の存在を『集団の空気』は必要としていなかった……ただそれだけのことなのかもしれない。


 けれど気づかれてしまえば、色んな憶測は、噂は、またたく間に人の間で囁かれるようになっていた。


『付き合ってんの?』『――それはない』

『釣り合わないよな』『なんであいつが?』

『恨めしい』『妬ましい』『大和撫子にふさわしくない』


『――っていうかさ、っていうかさ』

『大和撫子も大したことなくね?』


『だって、あんなダサいのとつるんでるし』


 人間関係はファッションでありアクセサリーだ。

 だから誰もが『大和撫子』というアクセサリーを身につけることを求めて深夏に近づき、その一方で『大和撫子』の人間関係にほつれがあればそこを突っつく輩もいる。


 それは妬みか、嫉みか、あるいは面白半分か。


 悪意の有無は関係ない。この場合、もっとも重要なことは、そうやって突っついてくる人間は、些細な情報を面白半分に演出して吹聴する癖があるということだ。


『水樹さんの家って、実は貧乏なんだって』

『お母さんが風俗で働いてるんだって』

『じゃあ夫婦仲も最悪なんじゃない? 意外と家庭崩壊してたりして』

『弟が手のつけられない不良らしいよ』

『家が貧乏だから援助交際してるんだって。可哀想だよね』

『じゃあ一発いくらでヤれんの? 貯金下ろしてくるわ』


 あること、ないこと、あること、ないこと……勝手に広まり始めた噂はすぐに一人歩きを開始して、もはや誰が言い出したのかを追うことすらできなくなる始末。


『両親は共働きで、母親はスナックの雇われママをしている』というだけの事実に脚色を加えに加えた結果がこれである。まったくもって手に負えない。


 さらに言えば、もともとは『大和撫子』の親しくしている唯一の相手が、地味で陰キャで冴えないオタクの俺だけだった、というところから始まった噂だ。そこからどのように展開すれば、こうも事実が歪められるのかまったくもって理解に苦しむ。


 しかしそれが、『空気』というものの特徴らしい。


 色々言ってもいい感じの『空気』

 みんなの理想の『大和撫子』じゃなかったから批判してもいい感じの『空気』

 他人をダシにして面白がってもいい『空気』

『ヤリマン』『ビッチ』『サセ子』……みんなが言っているんだから、きっとそれが事実なんだろうという『空気』


 そしてなにより、そういう『空気』になったから、みんなで 『大和撫子』のことをああだこうだ言わないといけない感じの『空気』

 そういう空気が出来上がってしまえば、それに従わないわけにはいかない。一度出来上がった『空気』に逆らえば、今度はその空気が自分に向かって牙を剥くから。


 まだ幼かった頃に、テレビの向こうで俺の憧れたヒーロー達も、『空気』の倒し方は教えてくれなかった。最後には怪人が現れて、必殺技でぶっ倒す――そういう単純明快な敵ばかりではないことを、俺はこの時に初めて知った。


 そして、深夏を取り巻くそんな『敵』に対して、当時の俺ができたのは……彼女自身から距離を置くことだけだった。

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