第23話 幼馴染と笑顔の仮面

「う……ん……?」


 昔のことを思い出しているうちに、気づけば寝てしまっていたらしい。

 あまり良くない寝方をした時に特有の、頭にもやがかかったような感覚があった。


 そのせいで、どうにも頭の働きが鈍い。

 軽く首を振りながら時計に目を向ければ、いつもの朝よりも少しばかり早い時刻だ。かといって寝直すという気分にもなれずにベッドから起き上がる。


「……飯作るか」


 凝った首をコキコキ鳴らしながら呟く。

 昨日のあの調子では、いつも通りに深夏がやってくるとは思えない。


 となれば、自分の飯は自分で用意しなければならないことだろう。


 そう思ってキッチンに立ち、味噌汁に目玉焼きという適当な朝食を作っている途中で、家の鍵がかちゃかちゃと開錠される音が聞こえてきた。

 次いで、ガチャリと扉の開く音。


「……なにやってんの」


 そのままいつも通り我が家のダイニングに足を踏み入れた深夏は、台所に立つ俺を一瞥するなりそう言った。


「飯作ってる。深夏も食うか?」


 言いつつ俺は、冷蔵庫から卵をもう一個取り出した。

 そのままシンクの端に打ち付けてヒビを入れ、フライパンの上に割り落とす。


「そんなの見れば分かるし」

「じゃあわざわざ聞くなよ。あ、それと目玉焼き片面焼きでいいよな?」

「ご飯作るの、あたしの仕事じゃん」


 俺の問いには答えずに、深夏は不機嫌にそう言ってくる。

 そこでようやく気づいたが、深夏は手に買い物袋を提げていた。もうすでに買い物を済ませてきたのだろう、中身はパンパンに詰まっているようだった。


「ああ、買い物してきたのか。いくらだ? 払うわ」


 うちで食事を摂ることの多い深夏とは、基本的に食費は折半制だ。生活費用の財布を戸棚から俺が出そうとすると、そんな俺の背中を深夏の声が追いかけてきた。


「なんで……」

「……はぁ?」

「なんで隆文が先にご飯作っちゃうの。あたしがやろうと思ってたのに……」


 深夏の声が震えている。涙を堪えて震えている。


「なんでって……お前、昨日はあんな態度だったし今日は来ねえと思ったし。……っと、あったあった。ほら、レシートよこせ、半分出すから」

「いらない……」

「はぁ? いや、こういうのはちゃんとした方がいいだろ」

「隆文の作ったご飯なんていらないっ!」

「うわっ」


 いきなり、深夏が買い物袋を投げつけてきた。

 びっくりしてそれを避けると、もろに冷蔵庫に買い物袋がぶつかる。

 なにかがひしゃげるような音がして、袋の中身が床にこぼれた。


「おい深夏……食べ物を粗末に、ってフライパンフライパン!」


 俺が動揺している間に、フライパンが焦げ臭いにおいを発し始めた。

 慌ててコンロに飛びついて火を止めると、目玉焼きがやや焦げ付き始めている。どうやらギリギリのところで辛うじて救うことはできたらしい。


 そのことにホッと一息ついた俺は、ようやく床にこぼれた食材の方に意識を向けることができた。

 とりあえずは、ひき肉のパックと玉ねぎ、パン粉を拾い上げて、冷蔵庫と戸だなへとしまう。ひき肉のパックも玉ねぎも、微妙に潰れて歪んではいたが、とりあえずは無事だったようでそのことにもホッと一息。


「ったく……なんだよ朝から。昨日のことでまだ怒ってんのかよ」


 一連の作業を終えたところで、ダイニングの端っこで立ちすくんだままの深夏へと向き直った。

 だけど深夏は、ギュっと拳を握りしめて俺から顔を背けるばかりだ。涙を堪えているその表情は、どうにもこうにも景気が悪い。


 とはいえ、そういう時も美少女というやつは得である。たとえ不景気なツラであろうとも絵になってしまうのだから。


 俺は深夏の頑なな態度にため息を漏らす。

 なにがそんなに気に食わないのか知らないが、このまま互いにだんまりを決め込んでいるというわけにもいかないだろう。


 とりあえず深夏の分まで朝食を用意して、テーブルに並べてみた。

 それから席に腰を下ろす。


「座れって。朝飯、冷めるぞ」

「……」


 深夏は俺をじろりと睨むと、無言で対面の椅子に座る。

 それからやはり無言で手を合わせ、黙々と食事を口にし始めた。


 いかにも渋々といった様子であったが、それでも食べてくれたことに俺も胸を撫で下ろす。


「……」

「……」


 それからはしばし、互いに沈黙したまま食事を進めた。

 思えば、深夏と一緒にいる時に、これほど気まずい沈黙が立ち込めたのは初めてのことかもしれない。初めて深夏にエロ本が見つかって、しかもその内容が幼女の尿道にまつわるものだった時でも、こんなにいたたまれない気持ちになることはなかった。


 かといって、こちらから話題も振りにくい。正直なところ、俺はどうして深夏がこんなにも機嫌を拗らせているのかが分からないのだ。


 最初は昨日の一件を未だ引きずっているのかとも思ったが、どうにもそういう様子じゃない。

 しかし、そうなると、他に心当たりはなかった。


「……さっきは感情的になってごめん」


 ――と、沈黙を断ち切って深夏がぽつりと呟く。


「いいよ、別に。食材も無事だったし」

「……ないの?」

「あ?」

「聞かないの? なんであんな、あたし、感情的になっちゃったか……」

「聞けば教えてくれるのか?」

「……」

「……あー、悪い。や、今の返し方は意地が悪かったな。……うん、そうだな」


 俺は首を軽く振り、俯けていた顔を上げ深夏を見た。


「今日はどうしたんだ、深夏? なんかあったのか?」

「隆文が……」

「俺が?」

「ご飯、作ってたから……」

「朝食は食いたい派だからな」

「あたしが作ろうと思ってたのに……」


 その口調は、どこか切羽詰まったものだった。

 しかし、その理由が分からない。深夏がこんなに感情を揺らがせているのかが知れない。


「……お前、そんなに料理好きだったか?」


 そう聞いてみれば、深夏は「違うの」と首を振る。

 そして――。


「作ろうと思ってたのに……ハンバーグ」

「……」

「隆文の好物作ったら、昨日の喧嘩、仲直りできるって……」


 そんな理由を彼女は口にした。


 ……はっきり言って、俺は彼女の言うことがいまいちピンと来なかった。

 そりゃ確かにハンバーグは好きだけど。好物だけど。

 だからってそれが喧嘩の仲直りのきっかけになる、というのはどうにも理解に苦しむ発想である。


 そもそも俺は、昨日の一件を喧嘩だと認識すらしていない。

 だいたい、喧嘩にすらなっていなかった。怒っていたのは深夏だけだし、ムカついていたのも深夏の方だ。一方的に怒らせたのは俺で、おそらくは謝罪する必要があるのも客観的に見て俺の方だろう。


 だからどうにもポカンとしてしまう。

 その瞬間の俺の気持ちとしては、


『おまえはなにを言っているんだ』


 とでもいったところだろうか。とにかく、唖然としてしまう。


 そんな俺の反応に、深夏は気づいているのかいないのか。

 妙にうじうじとした態度で、


「仲直りしようって……そう思ってたのに、あんな……投げたりして。ごめん……本当にごめん……」


 などと口にしていた。


 そんな深夏の態度は、見ていてあまり気分の良い代物ではない。

 だからなのだろう。次に発した俺の言葉が、どこか刺々しいものになってしまったのは。


「……それってなにを許してほしいわけ?」

「……え?」

「俺、別に怒ってねえけど。袋の中身無事だったし、作った飯もギリ大丈夫だったし。そりゃ確かにびっくりはしたけど、そんな謝られても逆に困るから」

「あ……ごめ――」

「だから、『ごめん』はナシだって」


 言葉を遮るようにして、俺は深夏にそう言った。

 それから、空になった食器を重ねて立ち上がる。


「深夏は謝るようなことをしていない。――もういいじゃん、それで」

「………………………………………………………………」


 長い長い沈黙を挟んで、その間深夏はだんまりと顔を俯けていた。

 立ってる俺と、座ってる深夏。だからそんな風にされると、彼女の表情をうかがい知ることは俺にはできない。


 それからしばらくの沈黙を挟んだ後、深夏がようやく顔を上げる。


「ういうい~。じゃ、どっちもノーサイドってことで~。困らせてごめんちゃい」


 可愛らしく両手を合わせて、俺に向かって小首を傾げながら完成された笑顔を浮かべた。


 その変わり身は、どこか異様だ。あまりにいつも通り過ぎる。


「お前さ……深夏さー」

「ん-?」

「そういうとこだぞ、マジで」

「そういうとこってどこですかぁ?」

「……はぁ」

「ちょ、人の顔見てため息つくなし。失礼すぎない?」

「腐れ縁のよしみだ。許せ。はぁ……はぁ……はぁ……」

「わぁああー、逃げてくぅー! あたしの幸せまで隆文に吹き散らされるー!」


 わざとらしい悲鳴を上げ、軽口を叩いてくるその様は、いつもの深夏。いつものノリ。いつもの距離感だ。

 先ほどまでの、どこか張りつめた彼女の姿は垣間見ることすらできない。


 まあ、だからどうしたという話だ。

 深夏は変わり身が早い。人に合わせるのが上手い。相手によって仮面を使い分けるのに長けている。そういうスキルを伸ばさなければ、そもそもやってこれなかった。


 しかし、だからこそ彼女の真意ほんねは時として非常に見えづらく――。


「ところでさー、深夏」

「あん? なによ」

「深夏が俺と付き合おうと思った理由って、結局なんだったっけ?」

「そんなの、前に言ったでしょー」


 はぐらかすように彼女は笑う。


「なんとなくだよ、なんとなく。別に大した理由なんてないから」


 ――あの日、彼女の語った言葉りゆうを、俺は疑い続けている。


 本音こころを隠して彼女は笑う。


 いつものノリで。いつもの距離感で。


 楽しそうに――ケラケラと。


―――――――――――――――――あとがき―――――――――――――――――


えー、あとがき失礼します。

ようやっと物語の真ん中ら辺まで来ました。とりあえずこの辺から、この物語でやりたいと思ってたことができると思うので、なんというか、読者の皆様方にはついてきていただければ嬉しいなと。

更新が不定期で大変に申し訳ないとは思っておりますが、今後もお付き合いいただければ幸いでございます。

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