第20話 幼馴染のいない夜
手のひらを冷やし終えた深夏は、モノも言わずに、しかし夕飯だけはきっちりと作ってその日は帰った。
どうやら俺と一緒にいる気分にはなれなかったらしい。その割には、ご飯の用意だけはしっかりとやっていくのだからよく分からない女だと思う。
そんなことを考えながら、深夏の作っていったドライカレーを黙々と食べる。
食べながら、ふと、
「……そういや、一人で食う飯って久しぶりだな?」
などということに気づいた。いつもは深夏がいるからそんなことは気にしたこともなかった。
それから食べ終えたお皿は簡単に洗って、残っていたカレーは鍋ごと冷蔵庫へ。普段は深夏のやっていることだが、いなければいないでどうにでもなった。
食事にしろ洗い物にしろ、あるいは他の家事にしろ、俺が頼んで深夏にやってもらっているわけじゃない。あいつが勝手に家にいて、勝手にやっているだけだ。
しかし、それがいつの間にか俺にとっては『当たり前』のことになっていたのかもしれない。困る、というほどではないが、それはそれとして手間ではあるなと俺は思った。
「ま、できないってほどでもないけど」
むしろ、深夏が極端に俺の部屋に入り浸りすぎというのもある。
こうしてたまに家事に手間がかかるぐらいの方が、お互いにとって健全なことのように感じられた。
そのようにして、深夏のいない食事と家事を終えた俺は、中途で止まっていたキャラデザの方に改めて取り掛かることにする。
その時、机の端っこで親友がくたっとしたカワウソみたいな姿勢で寝そべっているのを見つけたが、少し考えたあと、元の場所に仕舞っておくことにした。
どうにもムラムラとした気分はどこかへ行ってしまった。端的に換言すれば、萎えた。
「はぁ……」
ため息交じりにタブレットに向かう。
気分のアガらなさは絶妙だ。些細なことで左右されるモチベーションの繊細さが、煩わしくて仕方なかった。
師匠の言葉を借りるなら、やる気やモチベに左右されているうちは三流だとのことらしい。
ならばどうなったら一流なのかと師匠に聞いてみたのだが、その疑問は「知らん」の一言で切って捨てられたのである。
クソ女こと、桜木桔梗という漫画家にはそういう適当なところがあるのである。
「はぁ……じゃあどうしろってんだよ」
深夏と話をするまでは順調に進んでいたはずの作業が、今はどうにも進まない。
芳しくない進行状況に、俺はタブレットペンを放り出して天井を仰いだ。生活費を切り崩してようやく買った、ちょっとお高いワークチェアがギシリと音を立てる。その音が、作業もしないでボーっとしてる俺を責めているかのように感じられた。
途中まで描いた絵を見ていると、頭の中でぐるぐると回り出すのは深夏のことだ。
さっき俺の顔を叩いた深夏の表情は、今描き進めている絵とは似ても似つかない。
いや、正確には、パーツの形が似ているだけで、表情や視線のやり方に違和感があるのだ。
深夏であって、深夏ではない。そんな、見ているとなんだかそわそわとするような微妙な差異……。
「って、なに言ってんだ、俺」
よくよく考えてみれば、深夏ではないのは当然である。
これは俺がこれから描こうとしている漫画のキャラクターで、見た目が深夏に似ているだけで彼女とは意識も人格も異なっているのだ。
そうやって独立していたはずの人格なのに、なぜ深夏のことをこのキャラに重ねようと俺はしているのか。
その理由は皆目見当もつかない。ただ、なんとなく……このまま作業を進めたところで、なにか大事なものがどんどんズレていくということだけは分かった。
「……深夏の野郎、とんでもないことしてくれやがって」
思わず悪態をつく。
別に深夏が悪いかと言われればそんなことはまるでない。むしろ、常識の範疇から外れた行いをしたのは俺の方だし、深夏はそんな俺の心配をしてくれただけだ。
それについて、否定も肯定も俺の方からは特にない。ああ、深夏はそういうのを気にする人間なんだなと、どこか乾いた感情を覚えるだけである。
「ったく、やってらんねー」
結局作業を放り出した俺は、部屋を出てベッドに寝転がる。
そして読みかけのまま放置していた漫画を手に取るが、その内容もまるで頭には入ってこない。やっぱり胸の真ん中には、宿題をやり残したまま新学期を迎えた時のような、居心地の悪い感情が居座っていた。
「はぁ……だりぃ」
漫画まで放り出してしまった俺は、白く光る蛍光灯をぼんやり見上げながら、中学の時までのことを思い出していた。
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