第19話 幼馴染と口喧嘩

 パンツとズボンの装着は無事に許可が降りた。

 ありがたく脱いだそれを身に着けた俺は、元居た床の辺りであぐらをかいて座り込む。


「正座」


 すかさず深夏がそう言ってくるが、彼女の言葉を無視して俺は話を進める。


「で、真剣な話ってのはなんだ?」


 俺の態度に思うところがあるのだろう。しばらく深夏は不満げな目つきで俺のことを見下ろしていたが、やがて諦めたように話し出した。


「さっきのアレのことよ。どういうつもりであんなことやったの」

「キャラデザをしてたらムラっときてな。作業に集中するために、ちょっくらすっきりしようかと」

「そ、そっちの話はしてない」

「なに、照れてんだよ」


 顔を赤くする深夏に俺は呆れる。

 仮にも深夏とは恋人同士で、実際にセッッッまでした仲だ。しかも最初にシた時は、深夏の方がむしろノリノリだったまである。こんな風にわざわざ恥じらう理由が、ぶっちゃけよく分からない。


 なんてことを俺が考えていると、気を取り直した様子で「こほん」と深夏は咳払いしてから言葉を続けた。


「あたしが言ってるのは、さっきの喫茶店での話のことよ」

「俺、またなんかやっちゃいました?」

「あんたそれ言ってみたいだけでしょ?」

「バレたか」

「ふざけてごまかそうとしてもダメ。あたし怒ってるんだからね?」

「俺が悪かった。君は悪くない」

「だからなんでそうやって適当なこと言ってごまかそうとするの!」

「面倒な話は嫌いなんだ」

「正直なことを言って開き直れって意味じゃない!」

「だったらなんて言ってほしいんだ?」


 俺の返した言葉に、深夏が押し黙る。

 それからしばらくの沈黙を挟んだ後、ぽつりと深夏は呟いた。


「……あんな風に佐々木さんと村上さんの神経逆撫でするようなことして、あとで悪く言われるのは隆文なんだよ?」


 やはりか、と俺は思った。

 俺が佐々木と村上をわざと怒らせるようなことをしたのを、深夏は非難しているらしい。


「あいつらなら、そうするだろうな」

「それだけじゃない。きっと他のみんなも、『隆文ヤバい、マジできめぇ』みたいなこと言って笑うに決まってる。そうなったら後で孤立するのは隆文の方なんだよ」

「もうすでにそうなってるだろ」

「そういう話じゃないってこと、分かってるでしょ?」


 彼女の言うことも確かに間違ってはいないのだろうと思う。

 今は単純に、俺は学校で無視をされているだけだ。誰の関心も引いていない、空気のような透明な存在。


 でも、佐々木や村上が俺にされたことを広めれば状況は変わる。

 もっと分かりやすく、学校という場所は俺の居心地が悪いものとなるだろう。

 物理的な暴力を用いなくても、人間という生き物は他人を傷つける術をとてもよく心得ている。暗黙の了解やルールを破った人間に対して、集団は非情で冷淡だ。そのことを、俺は……俺たちは経験から知っていた。


「ねえ、隆文。ほんとに――なんであんなことするの?」


 深夏はそう言って、なおも俺に問いかけてきた。

 仕方なく俺は正直に答える。


「あの時も言っただろ。ちょっと怒らせてみたかっただけだ。それ以上でも以下でもない」

「嘘つき」

「本当に嘘だと思うか?」

「……」


 再び、ムッとした様子で深夏が黙り込む。

 それから椅子から降りると、今度は彼女は俺の隣に膝を抱えるようにして腰を下ろした。


「……隆文には分からないんだ。あたしがあのあと、佐々木さんや村上さんが隆文のことを悪く言うのを黙って聞いてないといけなかったことなんて」

「好都合だろ? 矛先が逸れるぞ」

「やっぱりそういうこと考えてたんじゃん」

「……」

「頼んでもいないことしないで」


 深夏が俺を睨みつけてくる。

 今度は言葉を失うのは俺の方だった。墓穴を掘った。そう思った。


「中学の時のことなんて、あたしは別に気にしてないんだから。隆文が悪者ぶらなくったっていいんだよ……」

「ひとつ勘違いしてるぞ、深夏。俺は実際に性格が悪い」

「知ってるけど、そういうことじゃない」

「ならどういうこっちゃ」

「あたしの大事な幼馴染をバカにしないでって言ってるの」

「所詮は他人のことで、よくそこまで怒れるな。どういう心理なんだ?」


 ちょっと気になってそう問いかけてみたら、頬に強い衝撃を感じた。

 遅れて、熱と痛みがやってくる。どうやら深夏に引っ叩かれたようである。


 見れば、深夏が目尻に涙まで浮かべて、俺のことを睨んでいた。


「あたし、隆文のそういうとこ、ほんと嫌い」

「……痛いじゃないか」


 そう言って俺は唇を尖らせる。

 見れば、視界の端っこにある深夏の手のひらも、腫れて赤くなっていた。道理で痛いわけである。


「……ったく。ちょっとお前の手ぇ見せてみろ。痛いだろ、それ」

「痛くない」

「嘘つけ」

「あ……」


 強引に深夏の手を引き寄せると、彼女の手のひらは熱を持っていた。

 人を殴り慣れていないとこうなることがある。深夏の性格は、基本的には争いごとには向いてない。


「少し冷やした方がいい。氷、取ってくるぞ」

「いらない。自分の顔でも冷やしたら?」

「俺は男だから平気だ」

「隆文のバカ」


 返事にもなっていないセリフを吐いて、深夏はそっぽを向いた。

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