第17話 幼馴染と怒らせ訓練

 先にテーブルに腰を下ろしたのは、小柄な村上の方だった。

 深夏と隣り合うのを避けたかったのだろう。俺の隣の椅子に村上は腰掛ける。それからさりげなく、しかしあからさまに、俺とは反対の方向に尻を滑らせた。


 佐々木の反応はさらにあからさまだった。


「え……いやぁ、デートのお邪魔をするのも悪いし……」


 と、言外に「関わりたくないんだけど」というニュアンスを込めながらそう返す。

 面と向かって、「アンタといるとムカつくから嫌」などとは言えない辺りに、深夏と佐々木との力関係が垣間見えた。


 そんなニュアンスには微塵も気づいていない素振りで、深夏は「お気遣いいただかなくてもけっこうですよ」と、天使のように穏やかな笑顔を崩さぬまま言葉を返す。


「先ほども言いましたけど、進藤さんとは偶然ここで会っただけですから。デートなどではありませんよ」

「あ、へぇ……」


 それならそれで、「どうして一人でこんな店に?」とでも言いたげな顔つきだったが、深夏の笑顔には圧がある。

 疑問を封殺された佐々木は、表面上は笑顔を保ちつつもいかにも不承不承といった態で深夏の隣へと腰掛けた。


 それから店員がやってきて佐々木と村上は注文を済ませるが、それを終えるとたちまち席にはぎこちない空気が漂った。

 佐々木にしろ村上にしろ、深夏のいる場ではどうにも口が重たいようである。といっても、普段からこの二人は、他人の陰口を言って意気投合している節がある。さすがに学園の大和撫子の前では普段通りに振る舞うことも難しいのだろう。


「お二人はどこでこのお店を知ったんですか?」

「あー……ええと、雑誌の特集で」

「まあ! 奇遇ですね、私も雑誌で見かけてこのお店に興味を持ったんですよ」

「あ、へぇ……そーなんだぁ……」

「先ほどいただいたラテアートも、とても可愛らしくてびっくりしました。崩して飲むのが勿体ないほどで……」

「あ、へぇ……そーなんだぁ……」

「雑誌の特集といえば、ご存じですか? この近所にある猫カフェも取り上げられていて……」

「あ、へぇ……そーなんだぁ……」


 佐々木が、「あ、へぇ……そーなんだぁ……」と呟くだけの機械と化した。

 それに対して、村上は佐々木を矢面に立たせることで自分はだんまりを決め込むことにしたらしい。話を聞いている素振りだけは見せているが、実際はなにも聞いちゃいないのだろう。


 そして俺はというと、場の空気など心底どうでも良かったので、スマホ片手にSNSのチェックをやっていた。

 師匠に送った漫画のネームに対する反応はまだ返ってきていない。やはり、忙しいのだろうか。


 そんな風にぼんやりとDearcordを眺めていると、不意に隣から、小声でボソッと吐き出された言葉が聞こえてきた。


「性悪ビッチが。ぶりっこが透けて見えんだよ」


 とんでもない罵倒に、思わず俺は左隣へと目を向ける。

 隠しきれない昏い感情を、村上はその目に宿していた。


 その感情は、おそらく妬み嫉みといった類のものだろう。どろりと濁った、持たざる者が持てる者に対して抱く恨めしさ。


 多分、声の大きさ的に、深夏にも佐々木にも届いてはいないだろう。

 だが、隣にいる俺には聞こえている。


 興味深い、と思った俺は、彼女の言葉をあえて拾ってみることにした。


「村上さん、なんか言ったか?」

「は? なにいきなり」


 村上の表情があからさまに嫌悪に染まる。

 まるでゴミでも見るみたいに、横目でじろりと俺を睨みつけてくる。


「いや、なんか聞こえてきたからさ。なんだっけ、小さな声でよく分からなかったけど、性悪がなんとか」

「別にそんなこと言ってないけど」

「そうかなあ? 確かにそう聞こえた気がしたんだけど」


 さらに追及してみせると、「チッ」と村上が舌打ちをする。

 それからぼそりと、「なにこいつ……」と吐き捨てていた。


「なにって、進藤隆文だけど。村上さんと同じクラスの」

「は? そういう話じゃねーし」

「で、実際のとこどうなの? なんか言ってたよね、水樹さんに対して」

「……うっざ」

「そういうこと聞いてるんじゃないから。言ったことを、言ってないってごまかそうとしてるのは村上さんの方じゃない?」

「……っ、あんたねぇ!」


 キッと村上が睨みつけてくる。眉間には、寄せられたしわが峡谷を形作っていた。


「さっきからなに、ほんと。どういうつもりでそういうこと言ってきてるわけ?」


 それまでは深夏に向けられていた嫉妬の情が、怒りという形で今度は俺に叩きつけられる。

 相手が日陰者陰キャぼっちということもあるのだろう。深夏に対する時のそれよりも、その表現は情熱的だ。


 そんな村上さんに対して、俺も情熱でもって言葉を返した。


「怒らせ訓練」

「……は?」

「だから、怒らせ訓練。わざと村上さんを怒らせてみた」


 俺の言葉に、村上がまた、「は?」と間抜けな表情で呟く。

 そうした反応は村上だけじゃない。佐々木もあんぐりと口を空けているし、深夏はというと「あっちゃあ」という感じで呆れた素振りを見せていた。


「あの、進藤くん、その辺に……」


 空気を読んで、制止しようとしたのだろう。

 深夏が言葉を差し挟んでこようとしたが、それを無視して言葉を続けた。


「俺、漫画家目指してるんだけどさ。師匠によく、『お前は感情が描けてない』って言われるんだよね。水樹さんには美少女を描く練習ってことでさっきまでデッサンさせてもらってたんだけど、それだと感情の方まで補完するのはなかなか難しくて」


 言いながら、先ほどまでデッサンに使っていたクロッキー帳を開いて見せてやる。

 我ながらなかなかの出来栄えだ。このページだけ額に入れて飾ってもいいかもしれない。


「で、師匠には前々から、人を怒らせたり喜ばせたりしてみろってよく言われててさ。都合よく村上さんが怒らせやすそうだったから色々試してみた。どう、怒った?」


 確認も兼ねてそう問いかけると、村上さんの表情から怒りの色がさあっと引いていく。


「き、気持ち悪い……」


 思わずそう呟いた村上は、普段の生活ではあまりお目にかからないであろう表情を浮かべていた。

 それを見て、俺はスマホを取り出してカメラモードにすると、レンズを村上の顔へと向ける。


「それ、いい顔だと思う。資料として撮らせてもらってもいいかな?」

「ヒッ」


 村上がギョッとした様子で身を引こうとして、そのまま椅子ごと床に倒れる。

 人と物体が倒れるけたたましい音が店内に響いて、「大丈夫ですか?」とすぐさま店員が近寄ってきた。


「あ、大丈夫です。別に大したことじゃないんで」


 店員にはそうやって言い訳をしつつ、冷ややかな視線で村上を見下ろす。

 佐々木の方はというと、どうしたらいいのかとおろおろしているようである。表面上、冷静さを保っているのは、俺の他には深夏だけだ。


 俺は村上からすっと視線を外して、どこを見るともなく呟いた。


「あー、俺なんかやっちゃったかな? ちょっとした取材のつもりだったんだけど」


 それから頭を軽くガシガシと掻いてから、踵を返す。


「なんか空気悪くしちゃったみたいだし、俺帰るわ」

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