第14話 幼馴染とすごいやつ
そもそも俺に『得意』はなかった。
運動も勉強も中途半端。自分は特別などではないし、人よりも優れている人間なわけでもない。
そんな俺でも『好きなもの』はあった。
まだ小学校に上がるより前の頃、日曜の朝に放送されている、戦隊ヒーローが好きだった。
正義の味方で、弱い者を守るヒーロー。そういう姿が、幼い心には魅力的に映ったのであろう。幼稚園の卒園文集には、将来の夢の項目に、『戦隊ヒーロー』とクレヨンの歪んだ字とへろへろの下手くそな線で描いたイラストを載せたことをおぼろげながら覚えている。
そんな俺の憧れは、小学校に上がってからも続いていた。
俺のクラスには、一人、いじめられている女の子がいた。その頃はまだ地味で、人見知りで、世の中を渡っていく術など身に着けていなかった幼き日の深夏がそれである。
自分よりも弱くて儚い存在を、子どもは簡単に排斥する。だから俺は、子ども特有の残酷さにこそ立ち向かおうと、言葉ではなく拳を持って立ち向かった。
それは幼くも純粋な正義感である。
その時の俺は、正しいことをしているのだと、心の底から信じていた。
しかし大人たちは言った。
『隆文くん、それはいけないことです』
『暴力を振るってはなりません』
『それは
喧嘩をするたびに、大人は言った。
誰かを殴るたび、言葉で厳しく諭された。
でも、だけど、だって……幼い言葉で理想とする正義を掲げれば、大人の言葉で封殺された。
いつしか俺は……幼い頃に掲げた正義を、自分の中に持ち続けることができなくなっていた。
***
「それが、漫画を描く理由?」
「どうなんだろ。……分かんね」
線を引きながら、俺は深夏に向かってかぶりを振る。
自分の中に掲げた正義を大人の理屈で潰されるようになった頃には、俺は漫画を読むような年齢になっていた。
漫画の世界では、俺とそう歳の変わらない主人公が、青臭い正義や理想を掲げて、『世界』に立ち向かっているのが爽快だった。
本当は理想としていた、しかし結局は折られてしまった自分の在り方が、そこでは許されるような気がしたのだ。
今にして思えばただの逃避だ。
現実の、情けない自分から目を背けて、漫画の主人公こそが自分の本来の姿だと思い込もうとしていた。そうすることで、自分もかっこいい男になれたような気分になっていたのだろう。
そう思って、自分でも描き始めてみた漫画。
拙いなりに引いた線で、憧れた『自分』を表現しようと、必死になって頑張った……つもりだ。
「でもなんか、ちげーんだよなぁ」
「違うって?」
4Bの、鋭く尖らせた鉛筆を寝かせるようにして、顔に陰影をつけていく。
デジタルにはデジタルの良さがあるが、アナログでは陰影を使った表現の幅が豊かなところが俺は気に入っていた。
「主人公がさ。カッコよくねーんだ」
絵の中の深夏に語りかけるようにして、俺はぼそりと呟いた。
「最近、気づいたんだよな。かっこいい主人公を書けるのは、生き方までかっこいいやつだけなんだって」
「……」
「俺はどうやら、そういう人間じゃなかったらしい」
いじめを見ても、見なかったことができるようになった。
挑戦するべき時に、二の足を踏んでしまう安全感覚を身に着けてしまった。
必死で頑張ってるつもりでも、ふと気づいた時にはどこかで少しずつ手を抜いている。
そういう自分を変えたいといかに願っても、これまで積み重ねてきた俺の足跡は変わらない。
自分の
そう、深夏に
「……悪い。自分語りが過ぎた」
「や、別に? あたしから聞いたんだし。ってか」
不思議そうな目つきで俺を見ながら、深夏がきょとんと首を傾げた。
「それってそんな問題かな?」
「……は? 問題って、なにが」
「や、隆文は確かに、別にかっこよくはないかもしんないけどさ。すごいじゃん」
思わぬセリフに、線を引く手がぴたりと止まった。
それはいったい誰のことだ? まさか俺か? 俺のことを言ってるのか?
「や……お前、深夏……ハハ、なに言ってんだお前……。そりゃお前、本当にちゃんとすごいやつを知らねえからそういうこと言えるんだっての」
「本当にすごいやつって?」
「そりゃ……師匠とか、あとはそもそも……いるだろたくさん。俺より絵が上手くて、俺より漫画上手くて、俺よりずっと結果出してるやつらなんて全然いくらでも――」
「でもあたしその人たちと話したことあるわけでもないし」
深夏は別に、俺のことを慰めようとして言ってるわけでもないらしい。
その証拠に、彼女は今も、「どこから崩せばいいんだろ……」とかぽしょりと呟いてみせながら、スプーン片手にラテアートを色んな角度から観察している。俺の話よりも、目の前の、クリームで生み出された猫の彫刻の方に夢中らしい。
だからこそ、俺は彼女の言葉が
「あたしからしてみりゃ、なんだろ。あたしの周りで、うん、一番すごいやつだよ隆文って。バカだけど」
「バカは余計だ」
「漫画バカだけど」
言い直すな。
「あたしはやっぱ違うからさ」
「違うってなにがよ?」
「隆文みたいに、やりたいこととか特にないってこと」
だから、と深夏は言葉を続けた。
「あたしは隆文のこと、偉いとかかっこいいとかイケてるとか思ったことないけど、すごいと思ったことならたくさんあるよ」
「……」
俺は、俺のことを、自分ではそんな風に思ったことなんて一度もなかった。
世の中にはすごいやつがたくさんいる。才能がすごいやつ。努力がすごいやつ。センスがすごいやつ。なんかもう色々とすごいやつ。
自分が悪戦苦闘してやってることを、涼しい顔でやっちまうやつがたくさんいる。どんなに足掻いても届かないと思わされるような、そういう人間がいくらでもいる。
だから。
「……お前さ、分かってないよ。全然分かってない。世の中とか、現実とか……全然俺はすごくねえんだよ」
その言葉を、俺は繰り返す。
「あたしがなにをすごいと思おうがあたしの勝手じゃない?」
「だから――取っとけっつーことだよ。その言葉は」
「? 取っとくって、どゆこと?」
「俺は、
そう告げると、深夏はしばし思案顔となる。
それからやがて、納得したように頷くと、
「じゃあ、すごくなった時は言ってよ」
と、これまた然程の興味もなさそうな口調で言うのであった。
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