第2話 幼馴染と夕ご飯

 それからはたっぷりと集中してネームを続けたが、どうにも展開に詰まってしまったところで手が止まる。

 今描いているネームは、物語としては初めて取り組むジャンルだった。不慣れな分、ストーリーを考えるのにどうしても時間がかかってしまう。


 これまでインプットしてきた映画や漫画の中で参考にできそうなシーンがないか考えていると、不意に鼻先を食事のいい香りがくすぐった。続いて、こんこんと作業部屋の扉が叩かれる。


「ご飯できたよー」

「おう」

「隆文の分は作ってないけど」

「マジかよ」


 雑に混ぜられた嘘に適当な返事を返しながら、作業を中断して椅子を立つ。

 ダイニングには、しっかり二人分の夕食がテーブルの上に用意されていた。


「あるじゃん、俺の分」

「どっちもあたしが食べるの」

「食いしん坊だな」

「ジョーダンだよ」


 くすくすと笑いながら深夏が席に着く。


「そんなに食べたら、太っちゃう」

「安心しろ、肥えたら指差して笑ってやるから」


 そう返しながら対面の椅子に座ると、「隆文、性格わるー」と深夏が唇を尖らせる。

 それから二人で「「いただきます」」と手を合わせた。


「んまいな、やっぱ深夏の飯」

「隆文は好き嫌いがないだけでしょ。作る側としては楽だけど」

「いやいや、ほんとほんと。いつも悪いな、作ってくれて」

「どうせ言うなら、悪いな、じゃなくて、ありがとうって言ってほしい」


 ジト目でそう言われたので、素直に「ありがとう」と俺は返しておく。


「……それに、あたしもここで食べてった方が都合良いしさ」

「そうか」

「うん。……って、あ、いやごめんなんでもない。今の忘れて」

「安心しろ。深夏の言葉は普段から右から左に聞き流している」

「なんだとこのやろー」


 けらけら笑って、深夏がテーブルの下で俺の膝小僧を蹴り飛ばしてきた。けっこう痛い。


「それよりさー。隆文、作業の方は順調なの?」

「ん-、どうかな。なんかちょっと」


 カタリ、と手に持った椀をテーブルに置く。


「ちょっと……そうだな。行き詰ってる」

「ふーん? 今描いてるのはどんな話?」

「恋愛モノかな。ラブコメ、みたいな」

「ラブコメねえ」


 深夏が珍しいモノでも見るような目を向けてきた。


「珍しいじゃん。これまでジャ○プのパクリみたいなのばっか描いてたのに」

「お前ジャ○プをなんだと思ってんだ」

「友情、努力、勝利」


 ……だいたい合ってるような気がするんだよなあ。


「どちらにしても珍しいじゃん。恋愛モノ書こうなんて。もしかして、学校に好きな子でもできたとか?」

「いねえよ、そんなもん」

「でも中学の時に3組の奈々子ちゃんをヒロインにした漫画描いて告白して玉砕してたじゃん」

「人の黒歴史を掘り返すのはやめろ」


 人にはできれば思い出したくない記憶というものがある。暴走した思春期が晒された時の精神的ダメージとは、時として単純な暴力にも勝るのだ。


「……まあ、師匠に言われたんだよ。『お前の描くバトルはクソだなー』って」

「師匠? あー、桔梗さん?」

「そう。あのクソ女」

「クソ女て」

「あんなのクソ女でじゅうぶんだろ」

「本人には直接言えないくせに」

「ほっとけ」


 クソ女こと桜木桔梗ききょう

 ネットを通じて知り合ったプロ漫画家で、俺の師匠でもある。


 口癖は『クソだなー』。趣味は人を煽り散らかすこと。

 人格者とはとても言い難い人間だが、実際に描いてる漫画は面白いし売れてるしなんなら最近アニメ化までされている。


 悔しいことに、『クソだなー』のあとに続くアドバイスも参考になることが多い。


 だから俺にとっては、敬愛するべき師匠でもあり、ぶっ潰してえ目の上のたんこぶ的な存在だった。


「で、まあ、『お前の描くバトルモノは全部カスみてえなのばっかだから別のもん描いてみたら?』って言われまして」

「それでラブコメ描き始めた、と」

「まあ、そんな感じっス」


 師匠のことをクソ女とか言いながらも、結局アドバイスに従ってしまっているところが妙に気恥ずかしくて、誤魔化すような言い方をしてしまった。

 スープを飲んで、表情を隠す。うん、深夏の作る卵スープはやっぱ格別だな。


「じゃあ明日、学校終わったらデートしよっか」


 と、深夏がさらりとそんな言葉を口にした。


「デート?」

「うん、デート。漫画の参考になりそうじゃない?」

「やー……でーとなぁ……」

「なによ。なんか問題あるわけ?」

「や、問題っつーか、別に深夏に対して恋愛感情とか特にないからそんな参考にならないんじゃないかなーって」

「それはあたしもそうなんだけど、ほら、一応あたしら、三時間ぐらい前から彼氏彼女じゃん」


 そういやそうだった。


「恋愛感情がなくても、『彼氏彼女』同士ならラブコメ漫画を描く時の参考にできそうじゃない?」

「うーん……まあ、そっかぁ……」

「それじゃ、そういうことで。明日の放課後、空けといてよ」


 クールにそう言い放ち、深夏が食事を再開する。


 それにしても、だ。


「『初彼女』との『初デート』前夜……こんなにも心が躍らないとは……」

「お互い様でしょ」


 また膝小僧を蹴っ飛ばされた。痛い。

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