恋愛感情のない幼馴染とノリで付き合ってみた

月野 観空

第1話 幼馴染のある提案

「あ、隆文」

「あー?」

「あたし達付き合ってみない?」

「はー?」


 その日、うちに来ていた深夏みなつが、出し抜けにそう話しかけてきた。

 俺は読んでいた漫画から顔を上げ、まじまじと深夏の顔を見る。


「……え、なんで? 俺のこと好きなん?」

「まあ、気の合う幼馴染的な意味では、割と」

「ふーん。……恋愛感情的な意味では?」

「う~~~~~~~~ん」


 深夏が、ホットパンツから伸びるしなやかな足であぐらをかきながら、腕を組んで唸り出す。

 こうして見てみると、深夏は美少女という言葉のふさわしい女の子だと思う。腰まで伸びたストレートの黒髪はキューティクルに至るまで完璧だし、よく整った目鼻立ちは妖精のようだと人からはよく褒められる。

 おまけに品行方正で、容姿端麗でありながら楚々とした立ち居振る舞いに品があると学校ではもっぱらの評判だ。


 ……と、言っても、それはあくまで深夏の取り繕った外面の話。

 幼馴染で、もう十年来の付き合いになる俺の前では、無防備な上に時々思いつきで妙なことを口走る変なやつだ。


 その変なやつが、長い「う~ん」の後に、口を開いた。


「ないかな……」

「ないのかよ」

「逆に隆文はあたしのこと好き?」

「そりゃ、まあ、浅からぬ仲の幼馴染的な意味では」

「恋愛的な意味では?」

「最近の推しはユカリさんかな」

「ソシャゲのキャラじゃん」

「あとはココロたん」

「ロリじゃん」

「宴おばさんも好きだぞ」

「ババアじゃん」


 失敬な。宴おばさんはまだ二十代だぞ。


「でもまあ、今さら深夏を恋愛的な目では見れんな。美少女だとは思うけど」

「分かる。まあ隆文は美少年と言うにはちょっとだけレベルが足りないけど」

「失敬な」

「100レベル換算であと101レベルぐらい上げたら美少年を名乗ってもいいぐらいには整ってるよ」

「……さすがに冗談だよな?」

「え、なにが?」


 きょとんとした目で深夏が首を傾げる。おい、否定しろよ。


 思わず俺が胡乱な目つきになっていると、深夏が続けて口を開いた。


「それで、どうする? 付き合ってみる?」

「えー……じゃあ、まあ、そうしてみるか」

「ん。じゃ、今日からよろしくね、彼氏さん」

「ういうい」


 こうして俺たちは、なんとなくノリで『彼氏彼女』となった。

 ……ところで、彼氏彼女ってなにをするんだぜ?


  ***


 付き合い始めてから、五分後のことである。


「で。なんでいきなり、付き合ってみようなんて言い出したんだ?」


 読み終えた漫画を閉じながら、俺は深夏に問いかけた。

 深夏は、「ん-」とswitchから顔を上げないままに返事をすると、(俺の)ベッドの上でぱたぱたとバタ足みたいに足をバタつかせる。


「なんていうか……なんとなく?」

「なんとなくってなんだよ」

「色々だよ。色々」


 ごまかすような、気のない返事だ。

 なにかあったのか、ないのか、いまいち判然としない。それからもしばらく問いを重ねてみたものの、深夏の返事は「なんとなく」の一点張りだった。


 ここまで「なんとなく」を重ねられると、別に理由があるのではないかと勘ぐりたくもなる。だが経験上、それをしたところで口を割らないだろうことは知っていた。


「まあなんでもいいけど。なんかあったら言うだけ言えよ」

「ん-、それじゃ五億円ほしい」

「それは俺もほしいわ」


 そう返したところで立ち上がり、隣室へと続くふすまを開いた。


「これから作業?」


 俺の動きに気づいた深夏が、ゲームの画面から顔を上げこちらへと視線を向けてくる。


「おう」

「そか。がんば」


 そう言って深夏は軽く笑うと、再びゲームに熱中し始めた。

 そんな彼女を後目に、俺はそのまま隣室へと入る。


 襖を閉じるその間際、「気を遣ってくれてありがと」という声が聞こえた気がした。


  ***


 隣室……作業部屋に入った俺は、部屋の片隅に置いてある机へと向かった。


 俺は今、親の海外転勤を機に2年前から2DKのマンションで一人暮らしをしている。そして、二部屋あるうちの片方を寝室として、もう片方を作業部屋として使っていた。


 そして、作業部屋でいったいなんの作業をしているかというと、だ。


「……っし。今日もやるか」


 液タブを起動し、スリープ状態だったPCの画面もつける。

 タッチペンを握ると、身体の奥底から活力が漲ってくるような気がした。


 液タブに、頭の中でイメージした映像を刻んでいく。そうして刻んだ映像は確かな軌跡をモニター上に残し、次々に形となっていく。

 自分の中にあるイメージが具現化していく、この瞬間が俺は好きだ。言語化しきれないものを、形にしてくれるのが好きだ。そして何より、この『好き』に没頭している時間が他の何物よりも俺は好きだ。


 こうやって作業に没頭している間は、時間の流れすら忘れてしまう。それほどまでに、俺はこの『漫画を描く時間』が好きだった。


「……ふう」


 ネームを五枚程度描いたところで、身体の凝りをほぐすように背中を伸ばす。ごりごりと音を立てて筋肉がほぐれるのを感じながら、ふと、先ほどの深夏の言葉を思い出していた。


『色々だよ。色々』


 そう言った深夏の声は別に普段と変わりなかった。

 だが、普段と変わりがないからといって、きっとなにもないってわけじゃない。


 ここしばらくの深夏は平穏に日々を過ごしているけれど、少し前までは色々とあった。


「……」


 本当に色々と・・・あった。

 そこまで考えたところで俺はかぶりを振る。あれはもう終わったことだし、どうしようもないことだ。


 それよりも、今はネームに集中したかった。時々、意識が散漫になるのは、俺のあまり良くない癖だ。線が乱れる。構図が崩れる。

 一つ、深呼吸をして、俺は頭の中から意識的に深夏のことを追い出すのであった。

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