君への日記
甘木 銭
君への日記
君がこの日記をここまで読み進めてくれたことを嬉しく思う。
私であれば他人の日記など退屈に感じ、途中で投げ出してしまっているだろうが、君は案外面白がって読んでくれたかもしれない。
そうであることを願う。
さて、ここまで読んでもらったのは、私の一年分の日記だ。
こんなものをいきなり送り付けて、混乱しているかもしれない。
そして、これから伝える内容は更に君を混乱させることになるかもしれない。
しかしそれでも、君には伝えなければならない。
私は君だ。
君が私でなくなってからどれくらいの時間が経ったのかは知らないが、君は確かにかつて私だったのだ。
君には子供のころから今までの記憶がある。
そして、この日記に書かれた通りの行動をとった覚えなど無いはずだ。
だから、君が私であることはあり得ないと、そう思うだろう。
私も全く同じ状況であればそう考える。
頻繁に通っていた本屋も、毎日つまんでいた菓子にも覚えがないだろう。
しかし記憶というものは単なる情報にすぎない。
日常的な勘違いが多く起こることからも明らかなように、人間の記憶とは不確かなものなのだ。
そう、勘違い。
今はまだ、大いなる勘違いくらいに思っていてくれて構わない。
君にはかつて私であった記憶はない。
この日記に書かれた通りの日常など送ってもいない。
しかし、君には日常の中でちょっとした違和感を覚えることは無いだろうか。
経験したことのないはずのことを経験したような気がしたり、初めて見るものでもすでに見たことがあるような気がしたりすることは。
それは、封じ込められた私の記憶がわずかに顔を覗かせているのだ。
文字でしか君に伝えられる手段がない以上、これ以上の方法で君に事実を伝えることはできない。
君はまだここに掛かれていることを疑っているかもしれない。
しかしそれでも、私はこの真実を君に、未来の私に伝えたい。
私はこれから、とある実験を受ける。
君は、その実験を受けた後の私だ。
私が受ける実験は、簡単に言ってしまえば人間を全くの別人に作り替えるものだ。
被験者、つまり私の記憶を消去し、新しい全く別の人間として人為的に作られた記憶を脳に刻み込む。
そして、その記憶と矛盾しない環境を形成するのだ。
もしかしたら、性別や年齢、見た目すらも全て変えられているかもしれない。
携帯やアルバムに残る写真も、君の過去を示すものにはなり得ない。
家や所有物、そして家族や友人でさえも。
君の周りは偽物であふれている。
受け入れなければ、信じてくれなくてもいい。
残酷なことを伝えている自覚もある。
だが、これが事実だ。
君が事実を知ることを望まないならば、ここでこの日記を閉じてくれても構わない。
しかし、そうはならないことを祈って続きを記す。
全く別の人間としてクラス君に、どうして私がこんな記録を送れているか、不思議には思わなかったろうか。
この実験の趣旨は、人間の「個」を決めるのは何かという定義を決めることだ。
君と私は同じ人間であるが、もはや全くの別人なのだ。
全てが書き換えられたデータであり、テセウスの船のような物だ。
そしてこの実験の主催者たちは、特に記憶というものを重視している。
記憶とは経験につながり、経験が人格の形成に最も作用すると考えるからだ。
その為に、私の一年分の記憶を、記録し、君に送ることにした。
君がこの日記を読んで、記憶を取り戻さないまでも、我がことのように思うのならば。
それならば私と君にはまだ繋がりがあるのだと言える。
時々除く記憶の欠片が、見る見るうちに君の前に広がるかもしれない。
しかし、君がこの日記を読んで尚、私を自分だと思えないならば。
これは全くの他人がでっち上げたデタラメだと思うのならば。
その時点をもって、君は人工的に全くの別人になったのだと判断される。
実験の成功だ。
実験が終了した時、君がどんな扱いを受けるのか私は知らない。
この日記を読んだ記憶まで消されて日常生活に戻されるのか、そのまま元の生活に戻るのか。
もしくは、処分されることもあるかもしれない。
こんな実験に参加した私のことを、君は軽蔑するかもしれない。
しかし、この一年の日記を読むだけでも、私が実験に参加せざるを得なかった理由が分かってもらえるだろう。
さて、そろそろこの記録も終了だ。
君の記憶は戻っただろうか。
君がこれからどうなるのかは分からない。
この記録を読んだ後、どのような人生を歩むのかも。
私の最愛の母と。
そして、未来の私の人生に、幸があらんことを。
君への日記 甘木 銭 @chicken_rabbit
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