なう
………。
先程の台詞は前言撤回する、老神様は悪魔であり鬼の様な存在だ。
「早くしなさいよ、まだ全然走れるでしょう?」
「ぜぇ、ぜっーッ」
屋敷の周りを全力疾走で駆ける俺、スマホを持ってストップウォッチとして扱いながら周回を確認している老神紅姫は、俺が少しでも遅れているとみるや否、俺の尻を竹刀で叩きつけてより早く走る様に命令する。
「(なんで、こんなに、走らされなきゃッ、ならないん、だッ)」
早朝に叩き起こされて、そのまま三時間はずっと走りっぱなしだ。いや、四時間だっけか?今、自分が何週しているのかが分からない。確か十五週くらいまでは数えていたが、一度限界を悟って倒れた時に、自分が何週していたのか忘れてしまった。その後は老神紅姫にケツを蹴られて再び走り出している。
「ひぃッ。ひ、ッ」
もうなりふり構っていわれない、涙と鼻水で顔面をグチャグチャにしながら俺は走り続けた。
「ふふ、ほら、早くしなさい」
老神紅姫は俺の顔面を面白そうに笑いながら尻を竹刀で叩く、なんていう鬼なんだ、この女は。
「はー…きっしょい顔ねぇ、ふふふ」
お昼になるまで走らされた俺は衣服を汗と尿で濡らしながら、全身汗だくで息を荒げる。
道路のど真ん中であると言うのに、俺は車の邪魔になる事を理解しながらも、もう一歩も動かないから、大の字のまま空を仰いだ。
「はー、面白かった」
老神紅姫は堪能したのか、俺を放って屋敷の中へと戻っていった。
「お疲れ様です」
入れ替わりで美利さんがやってくると、俺の為にタオルを持ってきてくれた。
俺はそれを受けろうとするが、腕が上がらない。走っている最中に腕を大きく振り回していた為に、腕の筋肉が酷使された様になったらしく、腕が思う様に動かなくなっていた。
「ひぃ…ひぃ……」
言葉にすらならない、呼吸をするだけで喉が張り裂けそうな痛みに悶えてしまう。
「とりあえずは屋敷の中に入りましょう」
そう言われて、俺の体は美利さんに抱かれると、そのまま屋敷の中へと戻される。
数十分程、空調の効いた部屋の中で休息していた俺は、ようやく喋れる程に回復すると、改めて美利さんに感謝の言葉を口にした。
「ありがとうございます、美利さん」
にこやかな笑みを浮かべる美利さんは、別段感謝の言葉など必要無いと言った様子で、しかし、俺の言葉を有難く受け取る様に、軽く会釈だけをしてみせた。
「老神様の我儘を、聞いて下さってありがとうございます」
美利さんがそう言って俺は首を傾げた、我儘って一体何の話なのだろうか。
「さっきのは、何らかの訓練でしょう?」
「いえ、あれはただ、老神様の嫌がらせの様なものですよ」
え?…あの全力疾走になんの意味も無いの?霊力を鍛えるとか、身体能力のコントロールとか、そういうのじゃ?
「少なくとも、霊力の訓練はその様なものではないと思います。精々、肉体の活力が強化される程度ではないのですか?」
ウソだろ。じゃあ俺は、ただ数時間も走り続けただけって事なのか?
「無駄じゃん…」
俺は嘆き、息を漏らす。やはりあの女は悪魔だ。俺の苦しむ姿を見て楽しんでいる。
「しかし、あれ程までに楽しそうな表情を浮かべる老神様も中々お目に掛かれないものでした」
楽しそうって…毎日そうしているんじゃないの?主に『
「基本的に、老神様は峪様と鹿骨様以外には心を開きません。私は必需品として傍に置いて下さいますが、基本的に他の人間とは一線を引いているのです」
そうなのか…てっきり、誰に対してもあの暴虐さを露見させているのだと思ったけど。
「だから、あの様に年相応に無邪気にしている老神様は初めてなのです、貴方を引き取る様に言って下さった老神様ですが、きっと、貴方を気に入っているのでしょう」
気に入っている…か。そう思わなかった事はない。
お気に入りでなければ、霊力を増やす様な真似なんてしないし、わざわざ俺を指名して買うなんて真似もしないだろう。
「なので、どうかこのまま、老神様の為に道化を演じて下さいね」
…いや、流石に今回の様な真似は御免被る。
俺が老神様の元で飼われ始めてから二週間ほどが経過した。
基本的に外出する事は出来ないが、屋敷の中を動き回る事が出来る様になったが、俺は術式を持たぬ『
鍛練を終えた小休憩の時間帯で、俺は他の兵器者の皆様方の為に軽食を届ける任務を受けた。つまる話がパシリである。厨房へと走って行っては、握られたおむすびを持っていく。これを十往復ほど繰り返さなければならない。
俺が食事にありつけるのは、十往復をした後の事だが、腹を空かせたオッサン連中は遠慮無く飯を喰らうので、早くしなければ俺の分が無くなってしまう。
因みに、おにぎりの運搬は九往復目で終わるので、残り一周は最初に平らげたおにぎりの皿を厨房に返却する役目だ。
新人いびりと言う奴なのだろうが、俺が前回の頃で受けた仕打ちに考えれば可愛いものだ。何せ無料同然で購入した腐った野菜を塩すらいれず鍋にぶち込んだ素材の味野菜スープしか食わせて貰えなかったからな。それに比べれば何という贅沢な暮らしだろうか。
「ふごっ…ふごッ」
運搬途中で俺は握り飯を喰らう。中身は何も入っていない塩だけのおにぎり、腹を空かせている俺は早急に自らの分を喰らいながらオッサン連中の元へと運んでいく。
何も、運搬している最中に握り飯を食ってはならないとは言われて無いからな、ただあまりに遅過ぎると腹を空かせたオッサンたちがキレて怒声を響かせるので、走りながら飯を食う。
また、この行為はおっさん連中には知らせていない、報せたら根性論を発現して禁止にされる可能性があった。
だから俺は誰にも見つからない様に周囲を見渡しながら握り飯を頬張るのだ。
「なう」
「ぶふッ!?」
そして唐突に背後から猫の鳴き声が聞こえて来て、俺はおにぎりを喉に詰まらせた。
「ごほッごッ…ひぃ、ご勘弁をぉ!」
兵器者の誰かが、俺の運搬が遅いから様子を見に来たのだろうか、そう思った俺はお盆を持ったまま平謝りをした。
しかし、後ろを振り向けば、其処には少女が居た。俺と同じ身長くらいだろうか、二つ結びをしたジト目の女の子が俺を見詰めている。
「え、えぇっと…」
確か、彼女は…
後生大事に抱えている、一振りの刀に注視してしまう。
「鹿骨様、何か?」
立場上は、彼女の方が上だ。
俺が下位の兵器者であるとすれば、彼女は
幾ら霊力が高い兵器者が存在しても、術式を所持する武芸者には適わない、その間には絶対的な差が存在し、また武芸者の方が希少であるが故に重宝される事が多い。
「おにぎり、なう」
猫の様な鳴き声を語尾にして、鹿骨様がおにぎりを見詰めていた。
…一つ欲しいのだろうか?
「食べます?」
俺はそう言ってお盆を彼女の前に差し出すと、鹿骨様はゆっくりと頷いて手を伸ばし…そしておにぎりを取った。皿丸ごと。
「え?」
おにぎり一つだけかと思ったが、彼女は皿ごと持って廊下を走り出した。
「あの、ちょッ!」
おにぎり全部とは言って無いんですけどッ。
そう言おうとして、彼女は足を止めると、此方の方に顔を向けて。
「ごちです、なう」
頭を下げた。…いや、感謝の言葉を欲したワケじゃない。おにぎり、俺がおっさんらに怒られるんですけどッ!?
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