登校
学校なんて久しぶりだ。
中学なんて記憶にない、それもそうだろう。俺は小学生の頃に下位として人身商人にその身柄を買われてしまったのだから。
「おはようございます」
教室に入ってきた教師が挨拶をしながら入って来ると、教卓の前に立ち、一人一人の名前を聞いて来る。
出席を取っているのだろう、教師の声に反応しなかった生徒は教室に居ても出席している事にはならないと言う謎ルールがあるのを思い出した。
「卯月倫さん」「はい」「越前大五郎くん」「はーい」「柿本雄太くん」「はいあい」「はいは一回で宜しいです」「はーい」
なんて台詞を聞きながら俺は自分の番を待つ。
その間に今後の事をどうするか考える。
このまま時間がいたずらに過ぎてしまえば、俺は人身商人の元に戻り、あのバッドエンドの歴史を繰り返してしまうだろう。
「
一先ずは、俺がどれほど術儀を扱えるか調べてみるか。
しかし…今の俺に術儀は扱えるのだろうか、俺は下位として判断されて、肉体を改造して無理矢理武芸者として運用していたにすぎない。つまり、今の俺には何の能力も持っていない状態にある。そんな俺が術儀を発動させる事なんて不可能なんじゃないのだろうか?
「なんですかその態度は」「うっせーな…はげ」「老神さん、貴方、態度が悪いですよ」
…ん?なんだ騒がしい。
俺は思考をいったん取りやめて教室の中を見る。
すると、教師が出席簿を教卓に叩きつけて一人の少女の元へと歩いて机をたたく。
「来るなよハゲ」
「それが目上に対して使う言葉ですかッ」
教師が怒り狂っている、恐ろしい鬼の形相を浮かべる教師に他の生徒たちは恐ろしいと恐怖の表情をするが、俺の視線は教師ではなく、怒られている少女の方に向けられていた。
「(あれって…)」
チョコレートの様な色をした髪を持つ、瞳の赤い目付きの悪い少女。
私服登校である筈なのに、小中一貫のお嬢様学校の制服と帽子を被っている。
俺が知る中では、その少女の片目は潰されていて眼帯を装着しているのだが、其処に座っている妖精の様な可憐な少女にはそれがない。
「老神、紅姫…」
その名前を俺は口にした。
老神紅姫。別の通り名があるとすれば、それは『呪血皇』と呼ばれる異名つきの武芸者。
「(ウソだろ…まさか、この学校に通っていたのか?)」
なんという偶然だろうか、おまけに、同じ教室で授業を受けていただなんて。
しかし、小さい頃からなんという口の悪さだろうか、あれでは誰だろうと反感を覚えたり怒りを覚えたりするだろう。
「さっさと授業でもすれば?と言うか、口、臭い、気持ち悪いから、離れて」
相手を逆なでする言葉の数々。
教師はたまらず手を振り上げた。
教師と生徒と言う立場上、暴力と言うのは色々と不味いだろうが、教師は最早我慢の寸前だったのだろう。
「危ッ」
俺は咄嗟に立ち上がって走り出す。
教師が老神紅姫を叩く寸前に、俺がその二人の間に割って入った。
その代わり、教師の平手は俺が受ける事になり、そのまま俺は机の角にぶつかって意識を失うのだった。
なんだか、意識を失う事が多いなと思う。
偶然だろうけど、ねぇ。
次に目を覚ました時、今度は白い天井が目の前に広がっていた。
「ここ、は」
「保健室よ」
俺の隣、正確には、ベッドの隣に置かれた椅子に座る、チョコレート色の髪を持つ少女が其処に居た。
「うわっ」
俺は彼女の顔を見た所で、驚いてしまってそんな声を荒げてしまった。
俺の声に対して彼女は意に返してしまった様子でムっとした表情を浮かべて此方を睨んでくる。
「何よ、そんな、怖いものでも見た様な声と顔をしちゃって」
実際に怖いモノをみたからこんな声と顔をしてるんだけどな。
それを言った所で彼女がどのような反応をしてくるのかが目に見える。
だから言わない。口は災いの元と言うし、死人になりたくなかったら口を開かぬ事だ。それこそ死人に口なし。
「いや、人がいるとは思わなかったから」
手頃な理由を以てその様に会話を繋げると、彼女は目を細めて怪しんでいた。
何か、俺の言葉に対してウソでも感じ取ったんじゃないのだろうかと思ったが、すぐに視線を切って椅子から立ち上がる。
「元気そうじゃない、なら、私がわざわざ見舞いに来る程じゃなかったわ」
そう言ってカーテンを開く。
「お見舞いって…」
俺は首を傾げた。
それは可笑しいな、あの呪血皇が、人のお見舞いをしようとしているなんて聞いた事が無い。
「なによ」
こちらを振り向いて苛立っているのか、牙を剥いている。
「いや…なんでもないよ」
そう言って首を左右に振る。
俺も彼女の顔を見る事無く、視線を下に逸らして敵意は無い事を見せる。
これで、このまま攻撃してきたら…そう思うだけで、自分が彼女に殺されたトラウマが過って来た。
「そ…あぁ、あと」
保健室から出て行こうとしていた彼女は、急に振り向いて俺の顔を見ながら。
「あんた、意外に反応が良いじゃない、暇潰しにはなりそうね」
と、それだけ言って、彼女は保健室から出て行った。
一人残された俺は、彼女の言った意味が全然分からないでいた。
なんだよ、暇潰しにはなりそうだ、なんて。
あれかな?助けてくれてありがとう、と言う言葉が恥ずかしいから、そう言ったのかな?
「(別にたすけたワケじゃないけど…)」
どちらかと言えば、たすけたのはあの教師の方だ。
彼女に暴力を振るえば、どうなるかなんて分かり切っている。
あの教師は血塗れになって殺されていただろう。
それが目に見えたから、教師を庇ったに過ぎない。
「(俺のおかげで、命が一つ救われた…か)」
……いや、そんな事よりも、俺はこの先の問題を考える。
人身商人が来るまで二週間も無い、その間に、何とかしなければならないのだ。
そうこう考えて、まず第一に思い立ったのは零泉市からの逃走だ。
家から出ていって、どうにか他の町へと移動すれば、俺が人身商人に捕まる事は無いだろう。
そうなれば、俺があのバッドエンドに続く道順まで辿り着かない。
思い立ったが即座に行動する。
学校が終わった後、俺は家には帰らずに零泉市から出ていく為に徒歩で歩き出した。
何故徒歩か?その理由は単純で、この零泉市には、車やバス、電車と言ったものは見かける。バス停も駐車場も駅も、零泉市には存在する。
けれど、電車は零泉市を循環する様に動き、バスも零泉市で帰結し、車で零泉市から出ようものならば近くに携わる警察に捕まってしまうのだ。
零泉市に登録されている住人は、決して零泉市から出れない様になっている。
それはまるで呪いのようでもあり、逃げる為には、徒歩しかなかった。
どうにか、警察に見つからずに、零泉市の裏道を通っていくのだが……。
「おやおやぁ、子ネズミくぅん、こんな所で一体何をしているのですかなぁ?」
…真っ赤なスーツに深紅のシルクハット帽を被る、変人が立っていた。
俺はその人間を誰よりも知っている。その人間は人身商人であった。
「うーん、困る、困りますぞぉ、よもや逃げようとする子ネズミくぅんが存在するなど、この零泉市に対して懐疑的感覚を覚えたと言う意味ですからなぁ…さぁて子ネズミくぅん、キミには、一足先に武芸者になる権利を与えましょう」
「うぐッ!」
西洋風な顔立ちをしている人身商人はそう告げると共に、見えない力で俺の体を封じる。
「意識は消してあげましょう…意識を保ったままでは…どうしようも無いですからねぇ」
そう言って来た…あ、分かった、また俺、意識を落とされる。
そう思った矢先だった、人身商人が何かしらの力を使って俺の意識を奪おうとした矢先。
「お待ちください」
路地裏の奥から、メイド服を着込んだ女性が現れる。
その女性は、髪の毛が長いのか、一房に纏められていて、前髪は真ん中で分けられていた。
「おやおや…貴方は源家のメイド長…この様な所で、なんとも奇遇ですねぇ」
帽子を脱いで軽く会釈をする人身商人に、メイド長は自らのスカートを摘まんで軽く会釈で返す。
源家…そうだ、その名前は知っている。
老神紅姫が仕える十家の一つ、その源一族に属するメイド長が、一体こんな所へ何をしに?
俺がそう思った矢先、メイド長が俺の方を見ていた。
「その子供を買いましょう」
そしてその女性は俺を買うとはっきりとした口調でそう言った。
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