日記をつけ続けるということ

緋雪

日記をつけ続ける訳

 小学校4年生の時、先生が一人のクラスメイトを褒めました。

「梨木くんは偉い!1年生の時からずっと毎日、日記をつけているんです。」

  

 多分その成果なのでしょう。彼の成績は物凄く良かったのを覚えています。


 私はそれを聞いてから、毎日日記をつけるようになりました。

 


 日々あったことだけでなく、自分が思ったことや、考えたこと。まあ、誰に見せるわけでもないので、自由に書いていました。


 小学校高学年の頃から、酷いいじめに遭っていたので、どんなことがあった、とか、悲しさ、悔しさ、切なさ…そんなことも。


 中学生になると、ひたすら片想いの人のこと。笑ってしまうくらい。だけど、そこから派生して、詩を書くことを始めるようになりました。1日分の日記が詩だけのことも。


 この頃は英語も好きで、得意分野だったので、時々英語でも書くようになりました。これが後に高校時代のComposition(英作文)の授業に物凄く役に立ちました。外国のお友達との手紙のやり取りの時なんかの時にも。



 15年前、引っ越しのとき、部屋を片付けていると、大学時代から、社会人になり、結婚して4年目くらいまでの日記が出てきました。


 苦しそうでした。



 あんなに好きだった英語が、単語が覚えられないせいで、全然授業についていけなくなったこと。

 全てが英語での授業や、英語史、英文法、音声学…専門用語までは全く追いつけず、何で英文科にいるんだろう、私?って苦しみまくっている自分。



 畑違いの会社に就職して、必死に勉強して、1年間に3億の予算をこなしていたけれど、ストレスがハンパなかったこと。


 頑張って頑張ってやっと1件新規開拓してる間に、地元で懇意にしている人の多い同期の子が、なんの苦労もなく何件も取ってくる。もう一人の美人な子は、顔と接待の数だけで何件も取ってくる。


 何なんだ。私の、この報われない頑張りは何なんだ!そう思いながらも必死で必死で、土日祝日関係なく頑張って頑張って…会社で倒れたこと。



 結婚して、子供が生まれて、物凄く幸せで…って期間が余りにも短かったこと。長女の知的障害がわかったこと。夫の経済的DV、精神的DV、家庭内レイプ…。

 結果的に重度の鬱病になったこと…。



 過去のことなのに、自分のことなのに、読んでいて目を背けたくなるようなことも沢山沢山書かれてありました。



 鬱病が更に重症化してから3年位は、日記は書きませんでした。書けませんでした。



 再就職のためにと習っていたPC。インターネットについて自分で勉強し、HPを立ち上げることができるようになった時から、日記を再開することになりました。

 

 沢山の言葉が溢れるように文字になります。


 日記だけでは間に合わなくなり、エッセイや小説、詩にいたるまで書きまくりました。書きなぐりました。


 書きたかったんだなあ、と思いました。

 


 今は、そのHPスペース自体がなくなってしまったので、公開はしていませんが、全てのデータは保存してあるので、自分が読み返すことは可能です。

 

 そして、今はと言えば、本当に狭い範囲にのみ公開するような形で、細々と某SNSに日記をあげています。

 それらの中でネットを通しての友人も沢山できて、彼ら彼女らが応援してくれたし、その中で出会い、共通の趣味を持っていた今の夫が支えてくれたから、離婚裁判にも勝つことができました。

   

 本当に好きな人と再婚することができました。



 私が日記を書き続けた訳。それは、自分の心を置いておく場所が必要だったからだと思います。とにかくとにかく言葉にして、紙やPC上にぶつけるように書きまくることで、精神の均衡を保っていたのだと思うのです。



 きっとこれからも書き続けていくのだと思います。自分の人生に納得がいくまで。

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