花咲くまでの物語~外伝~ 1冊の日記帳
国城 花
1冊の日記帳
私立
静華学園の高等部には、「つぼみ」という名の生徒会がある。
静華学園に通うエリートたちの中でも、特に才能に秀でた者たちが集まる。
そのつぼみの1人である
この家の図書室には、屋敷の主である祖母が世界各地から集めた本が数多くある。
大きな図書館くらいの蔵書があり、暇な時は祖母が新しく買ってきた本を読む。
見上げるほど高い本棚に、びっしりと本が並んでいる。
古い本から最近出版された本、外国の本や、どこで売っていたのか分からないような怪しい本。
幼い頃にこの部屋に入り浸っていたら、祖母が本をたくさん買ってくれるようになった。
本を読むことが好きなわけではないが、手軽に知識と情報を得られるので読むことは多い。
最近祖母が外国から買ってきた本が入ったらしいので、それを探して本棚を眺める。
ふと目がとまったのは、お目当ての本ではなかった。
背表紙もなく、他の本に押しつぶされるように本棚に挟まっている。
少し背伸びをして、それを手にとる。
本の表紙はしっかりとしているが、少し日焼けして色が褪せている。
表紙をめくると、時の経過を表すように紙は黄ばんでいる。
ぱらりと、そのままページをめくった。
少し幼さの見える文字が、綴られている。
〇月×日 新しいお家ができた。
お庭が広くて、うれしい。
お母さまが、「少しやりすぎたわ」とおっしゃっていた。
〇月△日 新しく来た庭師さんが、木を植えてくれた。
木登りをするとみんなが心配するけれど、楽しいからやめられない。
〇月×日 晩ご飯に出てきたシチューをおいしいと言ったら、料理長がまた泣いてし
まった。
あまり言わない方がいいのかしら。
でも、本当においしいから言いたい。
〇月△日 木登りをしていたら服を汚してしまって、メイドに怒られちゃった。
一緒に登りましょうと言っても、誰も登ってくれない。
どうしてかしら。
本当にどうしてなのか分からないのか、文字からも不思議そうな雰囲気が感じ取れる。
幼さが残りながらも綺麗な文字が紡ぐ文章は、そこにある日常を切り取ったかのように自然だ。
ぱらぱらとページをめくると、日付の経過と共に内容が少し変わる。
〇月×日 中等部に入学した。
制服が変わって、少し大人になった気分。
〇月△日 新しいお友達ができた。
とても優しそうな人と、少し怖そうな人。
どちらも、素敵な人だった。
〇月×日 学園の中庭で木登りをしていたら、お友達に見つかってしまった。
怒られるかと思ったけど、楽しそうだねと笑ってくれた。
一緒に木の上から見た景色は、いつもより綺麗に見えた。
この頃から、文字が生き生きしているように見える。
きっと、楽しい毎日を過ごしていたのだろう。
そうしてだんだん、日付が空いていく。
書くことがないというよりは、もう書く必要がなかったのかもしれない。
きっと、日記に書くようなことを伝える相手ができたのだろう。
ぱらぱらとページをめくれば、最後のページにたどり着く。
最初のページと比べると、大人っぽい字になっている。
〇月×日 この日記を書くのも、今日で最後。
お母様が私のことを思い出してくれるように、ここに置いていこう。
涙が滲んだ跡はないけれど、寂しさが伝わってくるような文字。
それでも、一つ一つの文字に迷いはない。
最後のページを眺めていると、後ろから人の気配が近付いてくる。
「それを読んでいたの?」
振り返れば、祖母が立っている。
「見つけたから」
「部屋に持っていってもいいのよ」
「みんなが見れた方がいいよ」
純が部屋に持っていってしまうと、この家にいる使用人たちは見ることができなくなってしまう。
「ここにあった方が、みんなが母さんのこと思い出せるから」
娘だからといって、母の日記帳を独り占めにするつもりはない。
ここに置いておけば、母のことを知る使用人たちも見ることができる。
「日記を書いていたなんて知らなかったから、見つけた時は驚いたわ」
祖母は懐かしむように、少し古くなった日記帳を見つめる。
「何度も読み返しては、こんなこともあったと思い返したわ」
そんなことがあったのか、そんなことを思っていたのかと、一つ一つの出来事を思い出すたびに思い出に色が付くようだった。
それでも、娘が亡くなってからしばらくは視界に入れることもできなかった。
娘のことを思い出させるこの日記帳は、娘を失った自分には辛いものだった。
再び読む気持ちになれたのは、娘の忘れ形見がこの日記帳を読んでいる姿を見た時だった。
幼い手がページをめくる姿を見て、しっかりしなければと思った。
母を失った幼い少女にとって、母親の過去を知る術は少ない。
祖母である自分が、伝えなければと思った。
娘が、どんな少女だったか。
どんなものが好きで、どんなものが嫌いだったか。
楽しかった思い出。悲しかった思い出。
日記には書かれていない、記憶だけに残る思い出。
日記のおかげで、色が付いた思い出。
それを伝えるのは、自分の役目だと思った。
残された者の、役割だと。
「母さんは、本当に木登りが好きだったんだね」
「えぇ。みんな危ないからと止めていたけれど、楽しそうに登っていたわ」
「わたしと一緒」
「そうね」
娘と同じ色の瞳は、楽しそうに笑う。
「純は、どうして木登りが好きなの?」
薄茶色の瞳は少し微笑んで、同じ色の祖母の瞳を見つめ返す。
「鳥になったみたいで、自由だから」
『木の上は、鳥になったみたいなの。自由でいられるの』
いつか、娘もそう言っていた。
『本当に、似たもの親子ね』
自由過ぎるところも。
木登りが好きなところも。
薄茶色の瞳に、楽しそうな光を映すところも。
時が過ぎれば、この思い出もいつか色褪せていくのかもしれない。
娘が書いた、日記帳の文字のように。
昔と比べて、思い出を残す技術は発達した。
写真に、ビデオ、文章だっていつまでも残っていく。
色褪せることなく、思い出は残っていく。
それでも、文字から思い返す思い出も、良いものだと思う。
思い出に色を付けるのも、一つの楽しみだろう。
色が薄くなった、文字。
日焼けして色が変わった、表紙。
時の流れを思い起こさせる、黄ばんだ紙。
過去の人が手にしていたものを再び手にすることで、感じるおもいもある。
「私も、日記を書こうかしら」
残していったものから、自分を思い出してもらうのは悪くない。
しかし孫は、首を横に振る。
「日記がなくても、おばあちゃんのことは思い出すよ」
純は、柔らかく微笑む。
「忘れないから、大丈夫」
『年かしらね…』
残された時間を数えて、うまく立ち回ろうとしてしまう。
しかし、それも孫にはお見通しだったようだ。
純は、元あった場所に日記帳を戻す。
こうしてここに置いておけば、母を知る使用人たちも見ることができる。
思い出し、懐かしみ、少しだけ悲しむ。
それでも最後には前を向いて、日記帳を本棚に戻す。
母が残した1冊の日記帳は、そうやってこの図書室にずっとある。
母の書いた文字、文章、成長を感じさせる手跡。
感情が見え隠れする言葉の並び。
亡くなった人は帰ってはこないけれど、思い出はいつでもよみがえる。
本の森に隠された1冊の日記帳は、いつまでもここにあり続けるだろう。
花咲くまでの物語~外伝~ 1冊の日記帳 国城 花 @kunishiro
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