お兄ちゃんと修学旅行【完全版】④


 夜8時──それは自由行動後、旅館に戻り夕食をすませた後のことだった。


「橘!! 頼む!!」


 部屋に入るなり、パンと勢いよく手を合わせてきたのは、クラスメイトの星野。


 隆臣は、部屋の隅で、大浴場へ行く準備をしていた手を止めると、何事かと首を傾げた。


「何だよ、星野? どうした?」


「あのさ、今夜、俺と寝る場所変わってくれない?」


「え?」


 星野からきた奇妙なお願い。隆臣はそれを聞いて


「いや、寝る場所変わるって、星野の部屋、隣だろ?」


 並々ならぬ事情があるのなら、変わってやるのは別に構わない。だが、星野と隆臣は、部屋が違った。


 星野は「椿の間」隆臣は「桜の間」


 基本、自分が割り当てられた部屋以外で寝るのは、禁じられている。そう思った隆臣は、星野の頼みをすっぱりと断ることにした。


「変わってほしいなら、同じ班の奴に変わってもらえよ」


「それが、同じ班の奴にこぞって拒否られたんだよ!! 頼むよ、橘~!! 俺、神木の隣に寝るの嫌なんだって!!」


「!?」


 その瞬間、聞き覚えのある名字が聞こえた。


(神木……?)


 どんなに思い返しても、この学年に「神木」と名のつく名字のやつは、一人しかいない。


 確か、飛鳥は星野と同じ椿の間だった。だが、何故、飛鳥の隣に寝るのが嫌なのか?


「なんだ? 飛鳥、寝相でも悪いのか?」


「いや、寝相とかそういうのじゃなくて…なんていうか……、眠れない、というか」


「…………」


 とても真剣な顔をしているのに、星野の放った言葉は、あまりにもバカっぽい発言で


「お前、大丈夫か?」


「そうなんだよ!! 大丈夫じゃないんだよ!? 神木、髪下すと、もう女の子にしか見えないんだよ!! 俺の横に女子が、それも、ものスッッゴイ美少女が寝てるんだよ!? なにアレ、本当に男!? なんかスゲーいい匂いするし、妙に色っぽい声出すし、マジで助けて!! 神木の隣にいたら俺、犯罪犯しそうで怖い! 修学旅行で事件起こしそうで怖い!! だから頼む!! 部屋変わって!!」


 目の前で泣きつかんばかりの声をあげる星野をみつめ、隆臣はなんとも言えない表情を浮かべた。


 確かに飛鳥は、髪を下ろせば女の子みたいだが、あれでも中身も身体もしっかりとした男。


 何を、そんなに必死になっているのかは知らないが、はっきりいって、男子の部屋に、男子が雑魚寝してるだけの話でしかない。


「全く、なにかと思えば、事件なんて起こらねーよ。星野は男が好きなわけじゃないだろ?」


「いや、でも……文化祭の女装姿を見て、神木ならいけるかも?なんて思った俺は、本当に男が好きじゃないと言いきれるんだろうか?」


「いいきれ。血迷うな」


 星野が、飛鳥の女装姿を思いだし、微かに顔を赤らめると、隆臣がピシャリと言葉を放つ。


 確かに、あの時の飛鳥は可愛かった。


 どこから見ても女の子で、現に文化祭を見に来た一般客の男が何人か、女と勘違いして、飛鳥をナンパしに来たくらいだ。


「確かにアレは、異常なくらい似合ってたけど、惑わされるな。てか、なんで俺なんだよ」


「だって橘、いつも神木と一緒にいるし、あの顔見ても、あの寝顔みても、変な気起こさないだろ!! 俺の班のやつら、神木が気になって、みんなして極限状態なんだよ!! 俺達、神木と同じ班になったことマジで後悔してるからな!!」


「なにそれ。逆に飛鳥が可哀想だわ。てか、あと一晩だろ? 目とじて、耳塞いで、鼻もふさいで、布団頭から被って、何も考えずに寝たら、大丈夫だって」


「いや、それどこが大丈夫!? 苦しいだろ!! どの道、眠れないだろ!?」


「考えすぎ。男相手に何言ってんだよ」


「そうだけど! でも、ホントに神木はヤバいんだって! お前も、神木の横に寝てみればわかるって!」


「はいはい。分かった、わかった! 悪いけど、俺まだ風呂入ってないんだよ。この話は終わりな」


「えー!?」


 そう言うと、隆臣は着替えを持ち、星野にひらひらと手をふると、部屋をあとにする。


 旅館の少し肌寒い廊下と進むと、風呂上がりの生徒と何人かすれ違った。


 今の時刻は8時13分。

 入浴は9時までにすませることになっていた。


(しかし、昔から、女みたいな顔はしてたけど、飛鳥のあの見た目は、もはや凶器だな?)


 ごく普通の男子高校生を、あそこまで惑わすとは。


 昼間聞いた、男にも告白されるという話。それが、星野のあの姿をみたことで、更に現実味を帯びてくる。


 あれでは、いつか本当に、男に襲われる日が来るのではなかろうか?


 あの悪魔のような美しさ、マジで厄介すぎる。


「先生! 何とかしてくださいよ!!」

「?」


 すると、隆臣が廊下を曲がろうとしたその時、突然、張り上げるような声が響いた。


 隆臣が足を止め、声の方に視線を向けると、職員用の部屋の前で、引率の藤本先生に、何かを訴えている男子生徒の姿が三人ほど目に入った。


「あの……もう1回いって?」


「だから俺達、神木と風呂入るの嫌なんだって!!」


「あいつだけ、部屋の風呂使うとかさせてくださいよ!!」


 本日二回目の『神木君、嫌!』発言!


 日頃、人当たりがよく、男女問わず人気者の飛鳥が、こんな発言をされなんて滅多にない。


(どうなってんだ。今回の修学旅行)


 隆臣は、何やら不穏な空気を感じ取って、その場にとっさに身を隠すと、会話の内容に耳を傾ける。


「なんで、神木と入るのが嫌なんだ。昨日は、一緒に入ったんだろ?」


「だって、神木、マジで女の子みたいなんだよ!!」


「男だってわかってんだけどさ、それでもアイツは綺麗すぎるんだって!! 落ち着いて入れねーよ!!」


「だから、神木君だけ、別にしてください!!」


 口をそろえて「女の子が男湯に入ってるようでヤバイ」という内容の訴える三人。


 それを聞いて、藤本先生とその会話を盗み聞きしていた隆臣は絶句する。


 男が男湯に入るな!という、まさかの苦情!!?


 流石に理不尽すぎる苦情に、隆臣は言葉を失った。


「あのなぁ……おまえたち」


 すると、その言葉に、藤本先生は深くため息をつくと、腕を組み、静かに語り始めた。


「女の子に見えるって、それでも神木は男の子だろ。人の容姿に対して、そういうことを言うものじゃない。それに、入りたくないとか、仲間外れにするようなことを言うな。それじゃぁ、イジメと一緒だ」


「……っ」


 藤本先生の至極まっとうな回答。それを聞いて、生徒たちは口を噤む。


(……藤さんて、あれで意外といい先生なんだよなー)


 そんな藤本の言葉に、隆臣は一人感心していた。藤本先生は、少し強面だが、中身はとても朗らかで熱い先生だった。


 たまに失敗して、生徒からからかわているが、なんだかんだ人気があるのは、こうして叱るときはしっかりと叱ってくれるからかもしれない。


「そう、だけど……マジで事件が起きたらどうすんの、先生」


「ホント、神木はヤバいって……俺達だけじゃないって、他の男子も噂してたし」


 すると、生徒たちが口々に不安の言葉をつぶやき始めた。藤本先生は、それを見て軽く口角を上げると


「あはは、確かに神木は可愛いし美人だが、いくら何でも考えすぎた!」


「笑い事じゃねーって、藤さん! 髪纏めてる姿とか、マジで女なんだぞ!」


「いや、でもな~。よし、じゃぁ俺が一つ、対処法をさずけてやろう!」


(……対処法?)


 隆臣が首捻ると、藤本先生は、腕を組んだまま自信ありげに話し始めた。


「いいか、お前達。要は神木の顔を見るから、女の子に見えるんだ。だから、神木の上半身は見るな。だけ見てなさい」


 ──下半身?!


 なんか、とんでもない対処法が飛び出してきた!

 てか、藤さん、もっと他にいい対処法なかった!?


「あーなるほど……確かに、下半身だけ見てたら、大丈夫……なのか?」


「男なら、付くもん付いてるし、要は顔さえ見なけりゃ」


「そうだ。男同士なんだから、なにも心配することは無い。ほら、分かったら、早く風呂入ってこい!」


 そう言うと、男子生徒たちは藤本先生にせかされるまま、大浴場に向かい、藤本はそのまま職員の部屋へと戻って行った。


 そして隆臣は、誰もいなくなった廊下で、一人顔を引きつらせる。


 いやいや

 下半身見られるとか、嫌だろ!?


 正直、今、飛鳥がいたたまれなくて仕方ない!!


「あれ、隆ちゃん?」

「!?」


 すると、丁度そのタイミングで、隆臣の背後から、聞きなれた声が聞こえた。


 嫌な予感がして、隆臣が恐る恐る振り返ると、そこには、荷物を手にして、不思議そうにこちらを見つめる美少女──ではなく


「そんなところで、何してんの?」


 セミロングの髪を下ろし、見た目女の子と化した、飛鳥が立っていた。


 そして、そんな飛鳥を見て、隆臣はじわりと汗をかく。


「あ、飛鳥……っ」


「あ、もしかして、また覗き見? お前、警察官の息子のくせに、よくやるね~」


 そう言って、なにも知らず、にこやかに笑う飛鳥。そして、そんないつもと変わらない飛鳥の姿に、隆臣は酷く複雑な心境を抱いた。


 きっと飛鳥は、たった今まであんな会話がなされていたなんて、夢にも思っていないだろう。


 昔から美人で、よく変態に狙われてはいたが、まさか、この見た目がここまで弊害を呼ぶとは!?


 それに……


「お前、どこ行くんだ?」


「え? どこって、お風呂だけど?」


 だよな!?

 髪下してるから、そんな気はしてた!!


 てか、なんで、このタイミングで、その姿で出てくるんだ!?


 こういう時こそ、いつものカンの良さ発揮しろよ!?


 心の中で悪態をつきながら、隆臣は、風呂に入る準備をすませてきた、飛鳥をみて、このままいかせて良いものか?と考える。


(ど……そうすればいいんだ、これ)


「隆ちゃん?」


 すると、再び黙り込み、微動だにしない隆臣をみて、飛鳥が、その顔を覗き込んできた。


 不意に顔が近づいたことで、さっきよりも近い距離で、その顔を凝視する。


 改めて見れば、髪を下ろした飛鳥は、思っていた以上に女の子だった。


 綺麗な髪に、長いまつ毛に、きめ細かい肌。


 はっきり言って、男だと分かっていても見惚れてしまうくらい、女として全く違和感がない。


 更に、こんな見た目をしたやつが、今から男湯に行って服を脱ぎ出すわけだ。


 これなら、さっきの男子達が「ヤバい」と言っていたのも頷ける。


「隆ちゃんも、お風呂に入りに行くんじゃないの? 急がないと、入りそびれるよ?」


 すると飛鳥は、ぽんと隆臣の肩を叩き「お先にー」と明るい声を発すると、そのまま大浴場の方へと歩き出す。


 だが、何も知らない無邪気な笑顔、それはまるで、天使のようで──


「あー!!! 待て、飛鳥!! ストップ!?」

「うわっ!?」


 咄嗟に首根っこを掴むと、隆臣は大浴場へ向かう飛鳥を強引に引き止めた。


「ちょっと、何!? 痛いんだけど?!」


「お、俺、忘れ物した!! 一緒にこい!」


「え?」


 その言葉に、飛鳥はキョトンと目を丸くする。


「は? そんなの一人でとって来いよ」


 いや。ごもっとも!!


 なぜ、忘れ物を、男に二人仲良しこよしで、取りに行かねばならないのか!?


(でも、今は行かせるのは、色々とまずい……!)


 だが、ここは何とか引き止めなくてはと、隆臣は頭を悩ませる。


 あんな苦情がくるくらいだ。


 飛鳥が男子生徒すら惑わす存在だということに変わりはない。


 ならば、極力ほかの生徒と一緒に入るのは避けさせるべきだ!


 とくに、さっきの3人が入っている間は!!


「と、とにかく、一緒に来い! あと、その姿で絶対一人になるなよ! いいな!」


「一人に? なんで?」


「実は、今夜ここで、事件が起こるかもしれない」


「……なにそれ。コナン君でも来てるの?」


 結局、その後、飛鳥は渋々隆臣に付き添って、忘れてもいない忘れ物を取りにいったとか?



⑤につづく…

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