太陽に近づきすぎちゃ いけないんだ

 必要なのは冷静さだ。焦ると呼吸が浅くなり、酸素の消費量が増える。

 落ち着け。大丈夫。まだここは燃えていない。

「だいじょうぶ」

 声にすることで自分を落ち着かせる。深呼吸をするごとに視界がクリアになるのがわかる。

「だいじょうぶ」

 少女を無謀に助けようとしたときとは違う。

 今は帰りたい場所がある。生きて会いたい人がいる。

 過去からも現実からも逃げたがっていたあのときとは全く違う。

(だから大丈夫)

 まずは一階の職員室を覗く。いない。それからその隣のトイレ。いない。今度はこちらだろうか?あるいはこちらの部屋?それともあっちーー唸り声と弱弱しい悲鳴が聞こえる!

「いたーーーー!!」

 グリンが部屋の隅で怯えながらこちらをにらんでいる。衣服こそ着ているが、全身が獣毛に覆われており、息が荒い。

(怯えさせちゃいけない)

 ミチルは深く息を吸って、吐いて。まずは自分自身に落ち着け、と呪文を唱えてみせる。

「だいじょうぶだよ」

 笑顔をキープして、ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつにじり寄って。こちらを睨みつける瞳がギロリと鈍色に光るが、気にしない。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 ミチルが抱きしめようと最後の一歩と同時に両腕を差し出そうとしたときーーー

「い゛だい゛!!!」

 瞬時に沸いた低い怒声に自分で驚いてしまった!肩から数十センチにも渡る長い釘をカラダの奥深くまで打ちこまれたような痛みが全身を貫き、怒りのまま叫びそうになる!!

「ーーーーっ!!!!」)

(耐えろ!堪えろ!!)

 グルル、と低い唸り声をあげながらも、左肩に深くめり込んだ牙を離す様子はない。

「だいじょうぶだよ」

「だいじょうぶ」

「だいじょうぶ」

 背中に両腕をまわし、ゆっくり、ゆっくりと撫で付けて。

「だいじょうぶ」

「だいじょうぶ」

「だいじょうぶ」

 優しく、優しく。子守唄を唄う母親のように。ゆりかごを揺らす鳥のように。耳元の唸り声、鼻息、荒い呼吸が少しずつーー少しずつおさまってきた。

「ミ、ミチル!?」

「グリン!気がついた?」

「私ーーっ!?いや、なんであんたがーー」

「火事なのにここにいるって聞いて」

「火事?」

「この旧校舎の四階でね?まだ大したことになってないからだいじょうぶ。でも時間の問題だから。早く逃げましょ?」

「立てる?」とグリンを起こそうとしたとき、ギャン!!と悲鳴が響いた。彼女が足首を押さえてうずくまっている。

「捻挫かしら…」

いやいや。ここで素人診察している場合ではない!

「じゃあ、肩におぶさってくれる?」

「え?」

「はやく!」

「で、でもーー」

「あなたは人間に助けられるのは不本意かもしれないけど!今ふたりで助かる道はこれしかないの!!!はやく!!!!」

 グリンの意志など無視して、無理やり背負ってみせると、彼女は素直に従った。ずしり、と肩にかかる重みは経験したことのある人間のそれとはまったく違う。想像よりずっと重たい。

「外に出たら私から離れていいから。とにかく今は大人しくしていて!!!」

「なんで?」

「ん?」

「どうして私を助けるのよ?私、あなたにひどいことを言ったのに」

「うん」

「あなた、天使?」

「まさか。暴言や失言を許してはいないわよ」

「ーーーー」

「だけどあなたの命を助けない理由にならないでしょう?てか、こんな割り切りこそ、オオカミの方が得意そうだけど?」

「皮肉?」

「嫌味」

 グリンは黙って身を委ねる。ただ、抱き心地や体勢から緊張が解けたことが伝わった。

***********


 出会って数年も経つと言うのに、まともに会話を交わしてこなかった。嫌われていると知ってしまってからは、なおさら声がかけにくかった。

でも、彼女が人間を嫌いでも、そんなもの、自分が彼女を嫌う理由にも、見殺しにする理由にもならない!!


 なによりハルタは「この壁」をきっととうに乗り越えてる。その上でこの世界で医院を開業してみせたのだ。自分よりもっとひどい目にあっていたかもしれないのに、それでも彼は獣人を赦し、救った!だったら自分だって――!!


**********

 大丈夫。外では皆が待ってる。あたしには待ってる人がいる!

 試験仲間が、王様が、お妃様が、フォル、ローズ、ルーンが!

 あたしを世界で一番大切にしてくれるベルクが待っている!

 あたしはもう命を粗末にしない!だから必ず帰ってみせる。


 部屋を出て、今度は廊下。未だ火の気はない。ここから外に出る玄関までは角を曲がる距離を加えても100メートル以上はある。重たい。だけど焦るな。呼吸を乱すとロクなことが起きない。はぁ、はぁ、と呼吸が荒くなりかけては足を止め、また一歩、踏みだしみせた。


「待ってて。もう少しで着くから」

「あんた怖くないの?」

「私?怖いよ」

「怖いのに来たの?バカなの?」

「うん。バカかも。でもね?あなたを助けずに試験に向かっていたら私は一生後悔したから」

「……」

「あなたがこの校舎で死んだら、医者になっても一生自分をゆるせない道を歩んでた。だったらやることは一つでしょ?あなたを助けて試験に合格する。じゃない?」

「試験!?今日、医師の国家試験だったの?」

「私が医師試験を受けるって知っていたの?」

「そりゃあ有名だもの!あんたはずっとキラキラしてたから!暇さえあればおべんきょして、王子様や特権階級に好かれて――」

「勉強はしていたけど、好かれていた記憶はないよ?」

「自覚がないだけでしょ。あんたみたいなキラキラ族、『みーんな』話しかけにくいわよ!」

「嫌われてると思ってたから」

「逆よ。『みんな』あんたがうらやましくてねたましいの。綺麗なモノは憧れるか引きずり下ろすしかない。だからみんな近づかないんだ」

「そうだったの……」

「なのにあたしなんかを助けるとか!バっカじゃない!?あたしなら死んでも別に――!!」

「……」

 片側だけ開けておいた木製の玄関扉が「こっちだよ」と待っている。外から差し込む光が「がんばったね」なんて歓迎してくれる。

(あと少し!あと少しだ!!)

 がんばれ、がんばれ!一歩、もう一歩と這うように血糊がひきずられる。


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