酔・陽・養・要・溶・踊・揺


「もういっぱい」

「もぅやめときな」

「金はあるんだ」

「金の問題じゃない。惰性で飲む酒ほど不味いものはない。美味いと感じられるようになってからまた来い」

「ちぇ」

 カウンターでは少年がぐらんぐらんと揺れながら「ちくしょう」と声を荒げてはカウンターに突っ伏している。周囲から見ても完全な悪酔いだ。

「荒れてるね」

「ん?」

 銀髪の男が酒瓶片手に少年の隣に座った。カウンター越しに亭主が睨んでいるが、銀髪男はかまわず手酌で自分に酒を注いでいる。

「いい飲みっぷりだと思っていたけど、やけ酒か?ウマくないだろ?」

「余計なお世話だ」

「そうさ。余計なお世話だ。どうだ?抱えてるモン吐いちまったら?」

「あんたには関係ない」

「あぁそうだ。関係ない。他人だ。だから言いやすい。だろ?」

「……」

「真面目で優しい奴ほど抱え込んじまう。悩みなんてのは赤の他人に言えってのが俺の持論だ」

「あんた、いいやつだな」

 涙目になった少年の隣に座る紫色の瞳の男は、テーブルでゆっくり話を聞こうじゃないか、と促した。亭主はやれやれとため息をつきながらも、二人にチェイサーを運んでくれた。

*************

「そうか。一家の大黒柱として頑張っていたのか。あんた、相当な苦労人だったんだな!」

「そんな大したことじゃない」

「いーや、立派だ!俺がその年で母親と妹弟を養えたかって!自分を誇れよ」

「はぁ……」

「今までひとりでよく頑張った!で?良心の呵責に耐えきれなくなってきた?だろ?」

「ばい〝」

 涙を流しながら、うおうおと遠吠えのように泣いている。

「最初は金目当てだったんだ。父さんが死んで。母さんだけの稼ぎじゃ弟妹は養えない。せめて妹は学校に行かせてあげたかった。稼げるから、って仕事の内容を理解しないまま……」

「キミの年齢なら疑われないからな。貿易港を出入りしていてもどこぞの商人の丁稚だと思うさ」

「ようやっと自分がやってきたことを理解して……病人だと思っていたあの子が、自分の妹と同い年の子が、まさか、って知ってしまって……」

「やめる、って発想はなかったのか?」

「悩んだよ。やめようとした。本当はやめたいさ!!でも妹も弟も学校に行かせてあげたいんだ!俺は読み書きも計算もまともにできないから商人になれない!わかるか?一生金が稼げないんだよ」

「……」

「二人は俺みたいになっちゃいけない。だから……金が欲しかったんだ……」

 拳を震わせ涙を呑む彼の背中を銀髪男が撫でてる。

「キミは優しすぎたんだな。自分を後回しにしてしまうほどに」

「褒めすぎだよ」

 くい、っともう一杯酒を飲むが、喉越しが軽く先ほどよりもすっきりと甘い。(きっと自分では買わないいい酒だ)

「そこで、だ。君や家族の命と生活を保障したうえで、交渉があるんだが」

「はぁ?俺に?なんで?」

 自分にむかって命令ではなく、『交渉』なんて言葉。ありえない!

「実はね、この国を変えようとする男たちはアランのように心優しい人間が奴隷収容所で働くのを待っていたんだ」

 アランは『待っていた』という言葉に心が跳ね上がってしまい、なぜ、名乗ってもいないのに、目の前の男が自分の名前を知っているかを疑問にもしなかった。

 『優しすぎる』『さすがだ』『君の家族は幸せだ』『すばらしいじゃないか』『これまでよくぞがんばった』。これまでに浴びたことのない肯定のシャワーが少年を酔わせる。アランは既にあって間もない男を信用し、崇敬していた。

 アランの人生で誰も彼の存在をこのように肯定されたことはなかった。彼にとって、自尊心をくすぐるそれは愛撫にもひとしかった。まるで男性器を優しく撫でられるように、彼の中で何かが立ち上がり、熱くなる。吐き出したくなる。心がほぐれ、高揚し、出会ったばかりの目の前の紫の瞳の男の言うことは全て正しいと思うのに時間はかからなかった。

(こいつが悪い男なわけがない!)

 最低な職場の上司について話すたびに、彼は深くうなずいて、酒を注ぐ。少年はどんどんご機嫌になる。


 おお!話すとも!心の友よ!

 キミが欲しいものをあげるよ!だって僕らは友達だ!

 収容所は嘘だらけ!集まった金は老人たちのもの!

 金が欲しければ獣人の民を売ればいい!

 民が抵抗するなら人間族からクスリを買えばいい!

 魔法のクスリがあれば みんなハッピーなんだから!

 

***********************


 ひとしきり話を終えるとアランはテーブルの上ではぐうすう、と眠ってしまった。

 銀髪の男がカウンターの向こうにいるマスターに済まなかった、と頭を下げるが、マスターはボトルを拭き拭き許してくれる。少年の話は聞こえていなかったようだが、泣き吠えていたことでいろいろと察してくれたらしい。

 彼の話をメモした羊皮紙は数百枚。まとめるのは弟のほうが上手そうだ、なんて目を通しながら残った酒を飲んでいると――――銀髪男のテーブルの傍に濃紫色のマントの男がやってきた。

「なにもベルクさま じきじきでなくても……こちらは気が気じゃありませんでしたよ」

 ベルクの従者の一人が聞えよがしに肩でため息をついている。

説教になりそうな雰囲気に「のむ?」なんてベルクが笑って隣の椅子を引いてみせた。

「でも今回ばかりは僕じゃないと」

「……」

「もうちょっと僕を信じてよ」

「交渉のことではありません。こんな場末の酒場なんて素性も知れぬ輩のたまり場ですよ?いつ殺されるともわからないのに」

「でも城にアランを呼んでみなよ?怖がって話すものも話せないだろ?フォル兄さん相手に密輸の話ができると思う?ほとんど同い年のルーン相手に生い立ちが話せると思う?」

「…………」

「僕しか適任者がいなかったろ?」

 最年少でいかにも純朴そうなアランがターゲットになったのはすぐだった。臨時収入が入っても女遊びも煙草も酒も呑まない、博打にも行かない。真面目な彼にもきっといつか「そんな日」が来るはずだと睨み、「きっといつか」は今日、やっとで訪れた。美しい紫色の檻の中が

「これからしばらく彼の一家を頼むよ。逆恨みする連中もやってくるだろうし」

「はい」

 ベルクが肩を揺らして笑っているので、従者が不穏そうだ。

「王子?」

「いや?僕も少しは成長したかな、なんて?」

「我々がいうまでもありませんよ」

 見上げれば月夜があまりに白々と美しくて、胸が締め付けられた。

 ミチルは眠っているだろうか?それとも同じ月を眺めながら僕を待っているだろうか?

 今の僕なら、君に手を差し伸べる資格があるだろうか?

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