春・貼・張・晴・ハル


 馬車が走り出し、どれほど時間がたっただろう。森を抜け、ただのあぜ路が石畳になり、揺れが小さくなった。すれ違う馬車の数が増え、歩いている人も多い。街の景観を重視しているのか、建物は屋根と壁がレンガで統一されている。

(かわいい!映画のセットみたい!)

(それにすごい人だかり!)

(サーカスが来ているみたいですよ!)


いくら王都まで馬車で五日以上もかかる距離があるとはいえ、お互い隣接する国同士で、文化レベルや精度はさほど変わらないはず。だけど圧倒的に清潔度が違う!街中に排せつ物が落ちていないし、臭いも違う。ミチルが煙が出ている大きなドーム型の建物を指さした。

「ねぇ、あれって公衆浴場?」

「そうだね」

「あっちも?」

「きっと」

「すごい……」

ベルクの国にも公共浴場はあるが、数がその比でない。一目瞭然で清潔な街並みはおそらく下水網の発展の差だろうか?

「建物が違うだけでシステムが江戸時代みたい。国は隣なのに。なんで?どうして?」


揺れながらも紙の束にいろいろとメモしていると、ベルクが「あっちが噂の獣医が住んでいる区画だよ」と声をかける。


******************************

通り過ぎる女子供の多いことといったら!ベルクとミチルも走り抜ける子供達にぶつからないよう、避けながら歩かなくてはならなかった!

「活気があるのね」

「うん、以前よりもずっとにぎやかだ。それに街のあちこちがとても綺麗になっている。前よりも水路が増えて噴水が多くなっているし臭いが……空気が違う」

ミチルの影響を受けたのではなく、ベルク自身も息をのんでいる。自分の国の城や住んでいる町では往来はここまで綺麗ではない。それが当たり前だと思っていたけれど。この国も数年前まではそんな大差はなかったはずだ。でも。なのに。どうして?

「あの、すいません」

ベルクが女性二人組に人間族の医師について問うた。目の前に居るのが隣国の第三王子とも知らず、女性たちは随分と楽しそうに、誇らしげに、人間族についての話をはじめる。女性の話は長く、相槌を打ちながらも、ミチルの瞳はこの街のあちこちに釘付けだ。不衛生さを感じさせない食料品店。商店街は細かな路まで掃除が行き届いている。噴水の近くには持ち手のある木製のおけとひしゃくが置きっぱなしにされていて。

(もしかして)

「あの!話に割り込んですいません!もしかして、その人間の獣医はこまめに掃除をするよう言いませんでしたか?排泄は決まった場所で家の外で決まった場所にするようにとか、手を洗ったり、毎日風呂に入れ、なんて言ってませんでしたか!?」

「えぇ、そうよ」

「最初は驚いたけどねぇ?」

「でもま、お風呂で喋るのもきもちいいしねぇ?」

「手を洗うようになってからウチは下痢の回数が減ったわ!」

「商店街では前よりネズミが出なくなったとか言ってなかったかしら?」

「そうそう」

「よかったわよねぇ」

これで確信した。おそらくその医師は衛生を指導してる。感染症のリスクを知っている!つまりある程度の近代公衆衛生を知っている人だ!!

生きている命を大切にできる人だ!


「医師はあちらだって。どう?行ってみる?」

「うん!」

あぁ!ドキドキする!! なんて挨拶をすればいい?


 胸のどきどきとしたは指先の震えになって表れた。両手を胸に当ててすぅ、と息を吸って、ふぅ、と息を吐いて。そんなことを二度三度と繰り返しているとーーーー

「あ、ちょうど出てくるところだ」

ベルクが指差した先。真っ白なしっくい壁の建物の木のドアが開き、老婆が出てきたところだった。老婆は振り向きながら何度も何度も礼を言っている。

「お大事にね」

「うん、またおいでね」

「うんうん、わかったよ。待ってるよ」

 その戸を支えていた人物が現れた。瞬間。

「ハルターーーーーーああああああああ!!!!」

大きな声と同時に勝手に脚が動きだしていた!

「ミチル!?」

 ミチルが駆け寄り、医師がを受け止めてみせて。二人はどしーんとその場に倒れ込む!

「なんで?どうして?どうやって?」

「こっちがだよ!え?は?ミチル?だろ?だよな?なんで?ちょっと待って!?おま、若くね?」

「そうだよ!ミチルだよ!ハルタは老けてんじゃんwwwなんで?」

「こっちがだわ!なんだそれ!」

 涙を流しながら笑うなんて初めての経験で、どうしたらいいかわからない。

「ミチルの知り合いだったの?」

「うん!ハルタっていうの!あたしと同じ小学校で。いきものがかりで。あたしが獣医になりたいって思ったのもハルタの影響で――!」

 あああ!なにを言ったらいいかわかんない!

「ほら、行っておいでよ。話したいことが沢山あったんだろ?」

「いいの?」

「もちろん」

「そっちにもあがってもらうか?」

ハルタが促すと、ベルクは首を振って辞退する。

「いいよ。僕はしばらくこの街を散策してから馬車に戻る。だからどうか楽しんで」

 ニコニコと見送っていたというのに。二人が建物に消えた瞬間、ベルクの口角が下がった。


 どうしてだろう。ミチルが幸せなら自分も幸せだったのに。今はちっとも嬉しくない。失敗したマーマレードに溺れているみたいだ。

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