「×××に 俺は、なる!」
うらうらとした日差しが馬車に差し込む。電車は大人のゆりかごとは言ったけれど、馬車もなかなか。電車や乗用車ほどの安定感はないにせよ、ベルクと肩を寄せ合いながら襲ってくる眠気は天使が運んできたものではなかろうか?なんてまったりしていると――突然、馬車が止まった。
「どうした?」
ベルクはミチルを庇うように自分の背後にかくまいながらも馬車の入り口に顔を寄せ、御者の返事を待っている。
「王子。この先は行ってはなりません!八区より先で××病が流行っているそうです」
「なんだって?今朝まではそのような話、聞かなかったけど――」
歴史的にも感染症が流行りがちな土地はもっと南側だったはずだ。広大な湖があり、あたたかく鳥や恒温動物が集まる地域。逆に王都は涼しいからこそ護られた土地だった。その中間の八区もそこそこ護られていた筈だったがーー。
「さきほど八区で流行病からの死者が出たと伝令がきました。まだここら一帯に病は届いていないようです。ここで引き返しましょう」
ベルクが美味しいとおススメしていたパン屋はお預け。残念無念また来週、なんて馬車の旅は終わる筈だった。
「それ、私だけでも行けませんか?」
「なにをおっしゃってるんですか!」
ミチルが馬車から零れ落ちそうなほど身を乗り出すので御者も負けじと睨み返す。
「お願い!わたし、この国について知りたいの!だって人間族の私なら狼犬族の病気も大丈夫かもしれないじゃない!なにか役に立てることがあるかもしれないじゃない!?」
「ミチルさまの心中はお察し致します!ですが!今!ご同行されているのが第三王子であることを承知ください!人間族のミチルさまは平気かもしれません!ですが王子に感染したら?いえ、それこそ王妃、王に辿り着いたら?」
「それは……」
「治療法も治療薬も万全ではないのです。王は民のものです。たとえあなたが格別の客人であろうと、王族を軽視していい理由ではありません」
多少咳込んでも(死ななきゃ大丈夫)なんて軽率に言える相手じゃない。
熱が出たからと言って(休むのも仕事だよ)が許されない。それが王。
一般人の価値観の自分こそ場違いだ。
「ごめんなさい……私……」
「あなたは私を残酷だととらえますか?」
「いいえ」
「理解に感謝いたします」
自分とはまるで覚悟が違う従者の言葉が痛い。
王のために誰かを見殺しにする覚悟。誰かの死を見過ごす覚悟。
王都は血と涙の染みた青山の上に立っている。
自分の幼さに鼻の奥ががツンとするが、泣く資格もない。幾度か鼻をずぅ、とすすってはかんでいたが、王子が見て見ぬふりをしてくれたことが救いだった。
風に乗った教会の鐘の音がうっすらと聞こえる。ずっとずっと向こうの山の奥から黒い煙が登っている。
(あの煙はーー)
今のミチルには目を瞑り、手を合わせて祈ることしかできない。都合の良い理想だとしても、それでも。せめて燃やされるのが 眠ったあとでありますように。
【夜明け】
「ねぇベルク。あたし、この世界でやりたいことが決まったよ」
「え?」
「この世界の獣人医になる。あたしが大好きな犬の血を継いだあなたたちの役に立ちたいの!」
彼女の瞳が眩しい。瞳の奥底が熱い。
「私ね?きっと このために来たのよ」
黒い煙の向こうでは太陽があかあかと燃えている。夕暮れのおだやかな日差しのはずなのに、まるでこれから冒険が始まる朝のよう。
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