春風の思い出

里岡依蕗

KAC202211


 「……はぁ」



 『──三月某日、火曜日、天気は晴のち曇。


 今日も、あの人は相変わらず可憐だ。

 時より強く吹く春風に、綺麗に切り揃えた前髪が風に揺らされて、それを抑える手までもが、白く透き通って綺麗で、高嶺の花なあの人に近づける風を、少し羨ましいとさえ思ってしまう。

 クラス替えまでもうあと僅か、こうやって一番後ろの席から、クラスメイトと談笑するあの人を眺められるのもあと少し。こんな贅沢な時間は、もしかしたらもう最後かもしれない。

 あの人は、男女関係なく憧れの存在で、教師からも一目置かれる人だ。自分とは月とすっぽんくらいの差がある。

 あの人を好きな人なんて、このクラスだけでも何人かいるはずだ。決して自分だけではない。それがライクなのかラブなのかは皆違うかもしれない。少なくとも、どちらだったとしても、想い人は自分だけではないのは明らかだし、あの人に想いを伝える勇気は、まだ出てこない。


 今、こうやってあの人の横顔を見ていられるだけで幸せなんだ。これだけで大変贅沢なんだから、もし告白が失敗でもして、クラスメイトから抜け駆けしただの言われたら、残りの学校生活がただただ気まずいだけだ。

 ……それなら、黙っておく方がいいだろう? 伝えても叶いっこない願いなんて、秘めておく方がいい。


 あぁ、ほら。またそうやって、小さい子供みたいに無邪気に笑う顔が、皆愛おしくて堪らないのを、あなたは分かってるんですか。

 皆の癒しの笑顔だから、静かに我慢しておきたい気持ちと、自分だけの者にしたい気持ちが度々揺れ動いてしまう。優柔不断な奴だな、自分という奴は……』



 「……何これ」

 部屋の掃除をしていると、使い古した小さいノートが出てきた。めくってみると、どうやら彼の昔の日記帳のようだった。あの人、としか書かれていないので、想い人が分からない。一体誰だろう。

 「ねぇ、なんか出てきたけど……これに書いてるあの人って誰? 」

 静かにソファで本を読んでいた彼は、手にしていたノートに気付くや否、慌てて本を閉じた。顔を真っ赤にして、大事なノートを取り返そうと、こちらに走ってきた。

 「ど、何処から見つけてきたんだよそんな物! か、返せよ! 」

 「嫌だ! 隠し事なしって言ったじゃんか! 教えてくれるまで返さない! 」

 彼とは確かに小学校から偶然同じではあるけど、まともに話したのは高校からだ。当時はまだ、こんな仲になるとは思ってなかった。だから、一応聴いておきたい。怖いけど。

 「……あぁもう、分かったよ! ……お前だよ、名前書くのが恥ずかしかったから、あの人って書いただけで」

 「ぇ……? 」

 そうだったのか、確かに見られてたのは気づいてたけど……まさか……

 「もういいだろ、昔の事は。今は堂々と一緒にいられるんだからさ、な? 」

 「……うん、まぁね! へへっ」

 ……なんだ、当時から両想いだったなんてなぁ、知らなかった。よく笑うようにしてて良かった。あの時から、大好きだったとか言ったら、なんて言うだろうな。

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春風の思い出 里岡依蕗 @hydm62

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