第31話 何よりも・・・

 これは交信?人魚の族長からの?

・・・同胞を奪った罪・・・我らの誇りを汚した罪・・・同胞を返し・・・謝罪を・・・


 はあ?謝れって事ですか!

 ファリーは族長の方を見た。

 厳しい視線をトリッチに向けている。


 あの、ごめんなさい。ぼくが代わりに謝ります、許して下さい。どうぞ、人魚さんを連れて帰ってあげて下さい。


 ファリーは心の中で念じてみた。

 だが、人魚からは何の反応も無い。

 交信と言うよりは、族長が操る海水を通して、彼の思念を勝手に感じているだけだのようだ。

 つまり、魔力が釣り合っていない。ファリーの声は弱すぎて届かないのだ。

 せめて魔法が使える状態なら、何かぶつけるなりして、気を向かせる事ぐらいできたかもしれない。でも今は・・・。

 ファリーは自分の不甲斐無さに唇を噛んだ。


 館の外壁のヒビは大きくなって、このままでは中に居る者たちが危ない。

 岸壁では、それに気付いたオルガが制御しようとしているようだが、人魚たちの邪魔で、上手く行っていない。


 ロニエスが自分を見ているのが分かった。困った顔をしている。

 ・・・そうだよね。せっかく助けに来てくれたのに。

 魔法が使えないぼくは、本当に何の役にも立たない。


 ・・・ロニ、いいから早く逃げて。

 伝えたい事があるけど、ぼく、声が出ないんだよ。


 ファリーを見上げていたロニエスが、弾かれたように部屋へと走った。

 そして、横たわる人魚に手を伸ばす。


「何をするっ!」

 トリッチがロニエスに取りすがった。

「こいつを海に返す」

「何を言うか!そんな事に何の意味がある?」

「こいつを返して、ファリーを返してもらう!」


 ロニエスの声に、ファリーは目を大きく開いた。

 ・・・何で?

 何でロニ、それが分かるの?


 だが、トリッチはロニエスを押さえたまま離れない。

「聞け、ロニエス。この人魚一体で、百人、いや千人の病を治せるのだぞ。それどころか、ヴァーサンクの覚醒を止める薬が作れるかもしれんのだ!」

「えっ・・・」

 ロニエスの動きが止まった。

「今、詳しい話はできないが、人魚の魔力でより強い封印を作るのだ。私はその理論を手にしている。あとは実証するのみだ」

「だからヴノを買ったのか・・・」


 水柱の上からその様子を見ていたファリーは、トリッチの言葉を思い出していた。

『100万の病と、得たくも無かった魔力に苦しむ者を救うための薬を作るのだと言ったら、君は快く協力してくれるかい?』

 得たくも無かった魔力に苦しむ者・・・それは突然ヴァーサンクに覚醒してしまう少年たち。

 それは・・・他ならぬロニエスの苦しみ・・・。


 そう言えばトリッチは、ヴァーサンクについて詳しかった。

 ヴノが戦う姿を見ながら、独自の知見を語っていた。

 はったりなんかじゃ無い。きっと作れるんだ、本当に・・・。

 だったら・・・ロニは・・・。


 ロニエスは人魚を見た。

 そしてファリーを見た。


「悪りぃな、トリッチ。俺はそんなものよりファリーの方が大事なんだよ」


 あ・・・。

 ファリーの見開かれた大きな瞳に、涙があふれる。


「そんなものと言うか、ロニエス!そんなものと!」

 トリッチの声が、怒りに震えていた。

「き、貴様は何も分かっていない!」

 ロニエスを押さえ込む力が増す。


「ジェルジン!このヴァーサンクを吹き飛ばしてしまえ!」

 命令されて、ジェルジンの身体がビクリと跳ねる。

 ヴァーサンクと呼ばれたロニエスを、驚きの表情で見た。

「そうだ、ジェルジン。こいつはヴァーサンクだ。ならば、魔法院の魔道士として取るべき道はひとつしかあるまい?」

 ジェルジンはロニエスに手の平を向けた。


「大気よ力を示せ、立ち向かうものを・・・」

 呪文を唱える。

 ジェルジンの周囲の空気が、手の平に集り始めた。

「・・・良い子だな」

 トリッチがニヤリとして、ロニエスを放す。

「キウソーフ!」

 風の塊がジェルジンの手から飛び出した。


「何っ!」

 だがそれは、ロニエスではなく、トリッチに命中する。

 細身の身体は旋風をまともに受け、入り口の扉まで吹き飛ばされた。

「それはとてもよく凍っている。素手で触れないよう気をつけろ」

 扉の前でうめくトリッチを見据えたまま、ジェルジンが小さく言った。


 ロニエスはうなずくと、しっかりと人魚を抱えた。

 確かにとても冷たい。触れている皮の手袋が凍って行く。痛いくらいの冷たさだ。


 人魚を抱えたロニエスは、バルコニーに立つ。

 そして人魚族の長をまっすぐに見上げ、人魚の身体を両手で自分の頭上に持ち上げた。


「色々悪かったな。こいつを返すから、ファリーを堪忍してやってくれ」

 そう言って、ロニエスは海へと人魚を放り投げた。

「やめろおおおっ!」

 トリッチがよろけながらバルコニーへ向かって来る。


 空に投げ出された人魚の身体を、海面からせりあがった新たな水柱が受け取った。

 海水が人魚の全身を包み込み、みるみるうちに人魚の身体が泡立ち始める。

 細かい泡を無数に立てて、人魚は海水に溶けて行く。


「何という事だ・・・貴重な薬剤が泡となってゆく・・・」

 バルコニーの端に手をかけて、トリッチは絶望の声を上げる。

 あっという間だった。

 あっけないほど短い時間で、人魚は泡と消えてしまった。


「・・・これで満足したか、人魚族のおさよ。高位魔族の誇りなど、実利の敵でしかない」

 力尽きたように、トリッチはその場に座り込んだ。


 人魚族の長はロニエスを見下ろしていた。

 だが、その視線は決して感謝のそれでは無く、強い不満の色を帯びていた。

 しかし、いささか儀礼を欠いていたとはいえ謝罪はなされ、人魚の身体は海に返された。要求は間違いなく叶えられたのだ。


 うわわわっ!


 ファリーを捕えていた水柱が突然ぐにゃりと曲がり、まるで球でも放るかように、ポイッとファリーの身体をバルコニーに投げ捨てる。

「よっ・・・と」

 落ちてきたファリーを、ロニエスが両腕で受け取った。

 ファリーのすぐ近くにロニエスの笑顔がある。

 ああ、ロニだ。良かった・・・。


「ファリー、お前ぐっしょりじゃねぇか、風邪ひいちまうぞ」

 そりゃ海水に縛られていたんだからね。

 ファリーが「へへ」と笑った。

 でも、そのおかげで泣き顔だってバレなくていいや・・・。

 ロニエスが自分のマントを脱いで、ファリーにかけてくれた。


 ザザッと、波が引く音が立って、ファリーたちは海を振り返る。

 陽の沈む海に、水柱が吸い込まれて消えて行く。

 夕日を反射して黄金に光る海面に、次々と海中へ潜る人魚たちの尾鰭おびれが見えた。

 目的を果たして、彼らは自分たちの海へと帰るのだ。

 同胞の遺体を取り返したのだという自負だけを土産に。

 ファリーは複雑な思いでそれを見ていた。


 あれっ?

 人魚たちと入れ替わるように、夕日を背に何隻かの船が見える。

 どうやらこちらへ回り込んで来るようだ。

 ファリーは急いでロニエスを揺さぶった。


「あ、どうした?・・・って言うかお前、声出ないのか?」

 うんうん、とうなずいて、海を指差した。

「船だな。こっちへ向かってくるようだぞ」

 逆光に目を細めながら、ロニエスは海を見て言った。

 ファリーも身を乗り出して見る。

 船が掲げている旗、あれは確か・・・


「ちょっとロニエス!兵士たちが大勢、岬を登って来てるんだけど!」

 クロスボウを手にしたアマンダが駆け込んで来た。

 主人を見つけて、バルコニーの隅で小さくなっていたググが飛んで行く。


「サムガルヴァの兵たちだ。大挙して幻の人魚を奪いに来たのさ・・・滑稽こっけいだな」

 トリッチはバルコニーの手摺りを背に、ゆらりと立ち上がった。


 サムガルヴァ兵!

 ファリーは海を振り返る。

 さっきより近づいた船の旗がはっきり見えた。棺にあったあの紋章だ。

 海から陸から、サムガルヴァの兵士がやって来る。

 ここに居ては、あらぬ嫌疑を掛けられてしまうだろう。

 ファリーはロニエスの腕を強く引いた。

「ああ、そうだな。ここは早くズラかるのがいい」

 ふたりは部屋の出口へと向かった。


 その時だった。

 ダンッ!と部屋内の扉が開く。

 そこから大きな何かが飛び出して、ロニエスの横っ面を殴りつけた。

 完全な不意打ちに、長椅子も台車も巻き込んで、ロニエスは壁に叩きつけられる。


 部屋に居た全員が凍り付いた。

 現れたのは天井に頭が届くかと思うくらいの巨体。

 身体中には無数の黒い刻印があり、「ヒューヒュー」という不気味な呼吸音が、裂けた口から漏れていた。

 覚醒したヴァーサンク、ヴノだった。


 すぐに駆け寄ろうとするファリーを、倒されたロニエスの手が上がって、止める。

 壊れた長椅子に手を掛け、ふらつきながらも立ち上がった。

「・・・ああ、忘れていた」

 バルコニーから笑いの滲んだ声が聞こえた。

「昼食が口に合わなかったのかな、さっき覚醒してしまってね。一応拘束してあったのだが、どうやら解いてしまったようだね」

 ファリーはトリッチを睨み付ける。

 やっぱりこいつは悪い奴だ。油断ならない悪い奴だ!


「ヴァーサンクなら封じるまでだわ!」

 アマンダがクロスボウに矢をつがえて、距離を取った。

「・・・ラ・クフル・マウジカノチア!」

 封魔の矢がヴノに向かって放たれる。

 鮮やかな白い光を発して、矢はヴノに突き刺さった。

 だが、光はすぐにはじけ飛んでしまう。

「どうして?何でなのよ・・・」

 目の前の有様を見つめて、アマンダが棒立ちになる。


 もう・・・成らないのだ。

 ファリーは哀れな気持ちでいっぱいになった。

 もう、ヴノを封じてくれる人はいない。

 オルガのような桁外れの魔道士でもできないだろう。

 できるのはきっと、死をもって制する事だけ。


「ロニエスよ」

 バルコニーの手摺りを背にもたれて、ゆらりと立ったトリッチが、不敵な笑いを浮かべた。

「お前が言った『そんなもの』だ。・・・じっくりと受け取るがいい」


To be continued.

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