第30話 雨粒と荒海
「分かりが悪いな、模範生。私は頼んでいるのでは無い」
静かだが凄みのあるトリッチの声に、ジェルジンの顔がみるみる青に変わって行く。
「死を選ぶ自由など、君に与えた覚えは無いよ。・・・君の薄っぺらな自我など、どうにでもできる」
ジェルジンは
やはり昨夜の媚薬の事は忘れていないらしい。
「強化魔法ぐらいならば、当然扱えるのだろう?」
・・・じゃあぼくは、何で連れて来られたのさ。声まで奪われて、意味無いし。
ファリーは抗議の意を示すため、思い切り不機嫌な顔を作る。
「・・・何だオルファリ、さっきから黙っていて」
やっとジェルジンが異変に気付いてくれた。
ファリーは身振り手振りで、自分がどれほど理不尽な目にあっているかを伝えた。
・・・が、
「何の真似だ、それは。黙っていたのでは分からん、はっきりと言え」
険しい顔でジェルジンが言った。
がっくりとファリーの力が抜ける。・・・ググの気持ちが少し分かった(気がした)。
「ファリーの声は私が預かっている。君が強情を張ると返してあげないよ」
薄笑いをして、トリッチが言った。
すると、あれほど逆らっていたジェルジンが、うなずいたのだ。
「・・・ならばこの縄を外してほしい。手が自由でなければ上手くできない。杖も無い事だし」
ファリーは意外な気持ちでジェルジンを見たが、本人は目を合わせようとしない。
その時、窓の外の景色が一瞬、グニャリと揺れる。
結界が圧力をかけられているのだ。
トリッチの灰色の目が、様子を見るように天井へ向けられる。
「・・・オルガの波長が乱れている。あまり時間が無いな」
トリッチは、さっき台車を運んで来た男に合図して、ジェルジンの縄を解かせた。
「ジェルジン、ファリーと魔力を同調させてこの刃を強化しろ。おかしな素振りをすればどうなるか、分かっているだろう?」
縄を解いた手下がジェルジンとファリーの背後に立って、ポキポキと指を鳴らした。
図体は大きいが魔力は全く感じない。
商売柄、こういう輩の対処法は心得ているファリーだが、声が出ない今は、それをジェルジンに伝える術が無い。
「オルファリ、手を出せ。お前は意識を集中させるだけでいい。後は私がする」
ファリーが手を差し出すと、手の平を重ねるようにしてジェルジンが握りこんだ。
魔力の同調だなんて、ファリーには初体験だ。
言われるがままにする他は無く、重なった手に意識を集中させるため、目を閉じた。
・・・あれ、何だこれ?
閉じたまぶたの裏に何やら浮かび上がってくる。
粗末な掘っ建てて小屋の中にジェルジンが居た。
桶を抱えて、何かを待っているようだ。
ポツポツと音がして、雨が降ってきた。
小屋の屋根は穴だらけで、ジェルジンは右に左に動きながら、桶で雨粒を受けている。
・・・え、ちょっと待って。
この雨粒ってぼくの魔力?
ボロ屋の雨漏りって・・・失礼な!
「正義なる刃に神の加護を・・・」
ジェルジンが呪文を唱える声で、ファリーは目を開く。
ふたりで合わせた魔力が、眩しい光となって、刃に触れているジェルジンの手を輝かせた。
「ニルキヨウレ!」
目が眩むほどの閃光が刃を包んだ。
どうやら模範生というのも、伊達じゃないらしい。
魔法の出来栄えにトリッチも満足したらしく、夕日にかざして確かめて、大きくうなずいた。
その輝く刃を、人魚の首に向けた時である。
バタバタとあわただしく人の足音がして、扉が激しく叩かれた。
部屋内の手下が対応に出る。そしてすぐにトリッチへと駆け寄って、耳元で何かを伝えた。
トリッチの表情が険しくなるのを見て、彼にとって相当悪い報せだとファリーは察した。
トリッチが手下に指示を与えようと口を開いた、その瞬間、パンッ!と、痛いほどの甲高い音が耳を貫いた。
ファリーもジェルジンも思わず耳を押さえる。
オルガの結界が破られたのだ。
チッ、と、トリッチの舌打ちが聞こえた。
「あれは!」
ジェルジンが海を指差す。
まるで竜巻に吸い上げられたように、何本もの水柱が立ち上っていた。
その頂上に人魚たちの姿がある。
その水柱の合間を、パタパタとやって来るものをファリーは見つける。
コウモリのような羽を広げた、
ファリーはバルコニーに駆け出して、ググに向けてかき寄せるように両手を広げた。
ググもファリーに気付いたようで、一目散に降下して来る。
小さなガーゴイルを抱きとめて、すぐに尻尾を見た。結んでおいた布が無い。
・・・と、いう事は!
顔を上げたファリーの耳に、かすかな声が聞こえた。
それは、あちこちの扉を開く音と一緒になって、どんどん近くなってくる。
「ファリー!どこだあっ!」
あ・・・。
ファリーは叫んだ。
声が出ないのは分かっている。
でも叫んだ。
全身を振り絞って。
「ロニ!ここだよっ!」
両開きの扉が荒々しく開かれて、ファリーが心底待っていた人物が現れた。
「ファリー!」
バルコニーに立つファリーを見つけて、ロニエスが部屋に駆け込んだ。
だが、横からトリッチの手下に体当たりされて、格闘になる。
ファリーが走り寄ろうとした。
しかしその身体は、何かによって背後に引っ張られる。
腕からググが零れ落ちた。
「オルファリ!」
ファリーの身体を絡め取ったのは海水だった。
渦巻くように包み込まれ、そのまま持ち上げられてしまう。
そしてとうとう、身体が宙に浮いてしまった。
ファリーの身体は、海から立ち上がった水柱の先端にあった。
下を見るとその高さにクラリとする。
断崖の館のバルコニーと同じ高さなのだから、仕方が無い。
海とはいえ、落ちたら冷たいじゃ済まないだろう。
横合いから光が飛んで来て、ファリーの水柱をかすめる。
オルガだ。
オルガは館が建つ断崖の岩場に立ち、人魚たちと交戦している。
トリッチの手下を伸したロニエスは、バルコニーへ駆けつけて、叫んだ。
「おいこら!ファリーを下ろせ!」
ファリーの近くに一本の水柱が立ち上がった。
頂上に立つ人魚は男性で、その威厳のある顔つきや、手にしている
「何とか言えよ!ファリーを返せ!」
現れた人魚族の長に向かって、ロニエスが怒鳴る。
「無駄だよ、ロニエス。あの者らに私たちの言葉は通じない」
「えっ!」
ロニエスとジェルジンが、同時にトリッチに振り返った。
「オルガめ、何をムキになっているのか。雑魚との戦いなど放っておけば良いのに・・・あれが居なければ話ができん・・・」
口元は笑いながらも、トリッチの目に焦りの色があった。
ファリーは気付く。
そうか、考えてみれば海の中で暮らしているんだ。だから意思疎通は声じゃないんだ。
「魔力で交信するというのか、人魚は・・・」
信じられないという面持ちで、ジェルジンが人魚たちを見上げる。
身体を縛る水がだんだんときつくなるのを、ファリーは感じていた。
もしかして、ぼくと人魚を交換しようとしてる?
そんな無理だよ。それ、等価交換にならないし。
ファリーを縛り上げながら、族長は手の平を館へと向けた。
ビシビシッと石が割れる音がして、館の壁に幾筋もの亀裂が走る。
その場に居た誰もが、息を呑んだ。
こんなすごい力があるんなら、ぼくを人質にする事は無いじゃないか。魔力であの台車ごと引っ張り出せばいいじゃないか。
ギチギチと縛られながら、ファリーは文句を言った。
どうせ言葉通じないし、声出ないし。ねえ、いったいどうしたいのさ!
・・・返せ・・・
えっ!聞こえた?
いや、声じゃなくて。
ファリーは辺りを見回してみる。
・・・謝罪を・・・
まただ。
これは交信?人魚の族長からの?
・・・同胞を奪った罪・・・我らの誇りを汚した罪・・・同胞を返し・・・謝罪を・・・
はあ?謝れって事ですか!
ファリーは族長の方を見た。
厳しい視線をトリッチに向けている。
To be continued.
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