第29話 奪ったもの奪われたもの
「やはり君は面白いよ、ファリー。ゆっくりとじっくりと口説き落としたいが、残念ながら時間が許してくれないようだ・・・」
トリッチの手が、ファリーの
「こちら側の世界を、少しだけ教えてあげよう」
いやだ・・・。
拒む言葉ごとトリッチの唇に吸い取られる。
逃げたくても、背中に回ったトリッチの手がファリーの腕をがっちりと掴んでいて、身動きできない。
見てくれは細っこい男なのに、悔しいほどの力の差だ。
ふと、何かが喉の奥へと押し込まれるのを感じた。
丸い粒のような・・・薬を飲まされようとしている!
気づいて、必死に抗うが、巧みに送り込まれた丸薬は喉へ下ってしまった。
コクリと飲み下したのを確かめてから、トリッチはようやくファリーを開放する。
ファリーすぐに飛び退いて薬を吐き出そうとするが、戻って来ない。
「このクソエロじじい!何を飲ませたんだ!」
口汚く怒鳴るファリーに、トリッチは少しだけ顔をしかめる。
「私もこれまで様々な非難の言葉を浴びてきたが、そんな風に言われたのは初めてだよ」
「昨夜っからこーいう事ばっかりじゃないかっ!エロじゃなきゃ、ド助・・・・・・・」
続く言葉が音にならない。
・・・えっ?
ファリーは声を出しているつもりなのだが、耳に聞こえるのは息を吐く音だけだ。
呆然として喉を押さえた。
「効き目が早いな。・・・安心したまえ、一時的なものだ。声を発する事ができなければ、魔法は使えまい?君はなかなか油断ならないからね。先手を打たせてもらったよ」
ニヤリと笑って、トリッチが言った。
ファリーは、声にならない声で、思いつく限りの悪口でトリッチを罵った。
「聞くに堪えない言葉だというのは想像できるよ。・・・悔しいだろう。そんなちっぽけな魔力ですら勝手に封じられれば、私を憎いと思うだろう。もし、自分が望んでいないのに、勝手に魔力の全てを奪われてしまったら、君はどうする?」
ハッと、ファリーは自分の身体を庇うように両手で抱えた。
トリッチは笑みを残したまま、窓から空を見る。
「そんな警戒しなくても、夜にはまだ間がある。・・・我が身が喫した恥辱の苦汁を、君に味わわせようとは思っていない。・・・今のところはね」
我が身が喫した?その言いようが引っかかる。
この人は、自分から望んで魔力を捨てたんじゃないの?
「大人しく付いておいで」
トリッチはファリーの手首を掴んで部屋を出る。
ずっと閉じ込められていたファリーにとって、建物の中を見るのは初めてだ。
廊下には敷物が敷かれてあり、所々に高価そうな調度品が置かれている。
通り過ぎて行く扉や窓の意匠も凝っている。
ここを「館」と言っていたが、違いないと思った。
これが全てトリッチの所有物であるなら、それはそれですごいよね。
そう思ってすぐにそれを打ち消す。
こいつは悪い奴だ。すごいだなんて思っちゃいけない。
階段を下り再び廊下を行くと、突き当たりに両開きの扉があった。
トリッチがその扉を開く。ファリーの目に海が広がった。
扉の正面に張り出しバルコニーがあって、海を一望できるのだ。
水平線に向かう太陽が、今日最後の輝きを放って、揺れる波を照らしている。
・・・きれいだ、とファリーは思った。
この同じ海の端で、海と陸との魔道の支配者同士が、静かな戦いを繰り広げているだなんて、誰が想像できだろうか。
「オルファリ!」
呼ばれた方を向くと、ジェルジンが長椅子に座っていた。
・・・いや、両手を後ろ手に縛られているから、座らされている、と言った方が正しいようだ。
トリッチがファリーをその隣へ座るように促す。
ファリーが身構えるのを見て、
「心配するな。今日は何も飲ませていない」
と、言った。
当のジェルジンは、何事も無いように大人しく座っている。
・・・昨夜の事は忘れちゃったのかな・・・?
横目で見たジェルジンの頬に
パチンとトリッチが指を鳴らすと、長椅子の後ろにある別の扉が開いて、手下らしき男が大きな台車を運び入れる。
布が掛けられた台に何が載せられているのか、ファリーはすでに分かっていた。
おもむろに布が外され、果たしてそれは現れる。
人魚がそこに横たわっていた。
棺に入っていた時とは違って、白いドレスも花も無い。
上半身は女性の裸体であり、腰から下は大きな魚を思わせる姿であった。
これほどはっきりと人魚の全身を見るのは、ファリーは初めてだった。
あれだけ通い詰めた学校の資料室にさえ、人魚の標本は無かったのだ。
ジェルジンも同じようで、ここにある事自体が禁忌であるというのも忘れて、人魚を見入っていた。
「これより人魚を解体する」
トリッチの言葉に、ファリーとジェルジンは顔を上げた。
「もう少し落ち着いてやりたかったのだが、何かと不都合が生じてね。早々にこの館を出なければならなくなった。この姿のままでは持って歩くのにも厄介なので、解体する事にしたよ」
解体?
ファリーは人魚の首を見る。あの「時留めの護符」が無かった。
でも、だったらすぐに腐ってしまうのではないだろうか?氷結はされているようだけど・・・。
ファリーは人魚の身体に触ろうとした。
「触れるなっ!」
トリッチの鋭い声に、ファリーはビクッと手を引っ込める。
「オルガに氷結魔法をかけさせてある。とても低い温度で凍結しているのだ。素手で触れれば、手の皮が貼り付いてしまうぞ」
ファリーとジェルジンは顔を見合わせた。
・・・桁違いだ。
これと比べたら、ファリーが棺にかけていた魔法など、氷水の中で冷やしていた程度だろう。
「それで、何をさせる為に連れて来たのだ?尊大なる魔道士殿の肩でも揉ませる気か?」
皮肉な笑いを浮かべて、ジェルジンが言った。
いやもう、笑うしか無いよね、これだけ分かりやすい差を見せられちゃどうにもならない。
ファリーとしても、すねっくれ文句のひとつでも言ってやりたいが、声が出ないのでジェルジンにうなずいてみせる。
「オルガは今ちょっと手が離せないのでね。後で肩でも足でも揉んでやるといい。・・・あれが許すならば、だが」
笑いをこらえながら、トリッチはポケットから取り出した手袋をはめた。
「四大元素魔法の応用はできるか?ジェルジン」
「どういった応用か、具体的に言え」
「効果範囲を極所に集中させ、物体に直接干渉させる。・・・簡単に言えば魔法の刃。それらで物を切る事ができるかという事だ」
魔法の刃!
へぇ、そんな事ができるんだ。
ファリーは素直に感心する。
それはちょっと見てみたいなぁ・・・期待の眼差しをジェルジンに向けるが、ジェルジンは顔を赤くして俯いている。
「そ、それは神聖魔法の教義を逸脱している」
「できないのなら素直に言いたまえ。教わってないものはできない、と。模範生君」
トリッチに冷ややかに言われて、ジェルジンは更に顔を赤くした。
「高等魔法院に仇なす貴様が何を言うか!悪道に手を貸すくらいなら、私は死を選ぶ!」
感情を
目の前に出されて、ジェルジンがギョッとする。
「分かりが悪いな、模範生。私は頼んでいるのでは無い」
静かだが凄みのあるトリッチの声に、ジェルジンの顔がみるみる青に変わって行く。
To be continued.
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