第4章 ふたつの月の用心棒
第28話 波打つ心
大陸を一周している街道は、ネハーコで一旦内陸に入るが、ラクマカの宿場を越えると、再び海岸線を臨む事となる。
海岸と言っても、この辺りは砂浜ではなく、ごつごつとした岩や岸壁に波が砕ける荒磯であり、勇壮な景観が広がっていた。
昨日の夕方、街道を歩いていたセルデュとヴノを、荷馬車に乗ったトリッチが追いつく形となって、話を交わしたという。
最初に切り出したのは、トリッチの方だ。
「私としては、大切な相棒であるヴノを手放すのは惜しかったのですが、ぜひにと頼まれまして、やむなく承諾したのです」
哀愁の面持ちで、セルデュが言った。
「それより、お前が何で一緒に来てるんだよ」
トリッチに会った場所と時間をすっかり話したというのに、セルデュは現場までの道案内を買って出たのだ。
ロニエスの問いにセルデュは肩をすくめる。
「相棒が心配なんですよ。君と同じです、ロニエス」
「俺はファリーを売ったりなんかしねぇぞ」
ふん、と鼻であしらって、ロニエスはトリッチが向かったという方向を見る。
この先、しばらくは小さな村ばかりで、大きな宿場へ行くには徒歩で2日はかかる。
ずっと馬車で移動しているとしたら、早く追いかけなければ、距離がどんどん広がるばかりだ。
ピュイッと指笛の音がした。アマンダが心配そうに空を見上げている。
「ググが帰って来ないわ・・・」
朝、ラクマカの酒場を飛び出たっきり、姿が見えない。
昼はとっくに過ぎていた。
「あんたのせいよ」
恨めしそうに言われて、ロニエスは返す言葉が無い。
「おーいトカゲ鳥!俺が悪かった!帰って来ーい!」
とりあえず空に向かって叫んでみる。
もちろん応えは無く、岩に寄せる波音だけが聞こえるばかりだ。
アマンダがこれ見よがしに、大きな溜息をついた。
「・・・お?」
空を見上げたままのロニエスの目に、キラリと光るものが映る。
星か?いや、まだ昼間だぞ・・・え、四角い?
考えている間に、それはロニエスに向かって、まっすぐに落ちて来た。
目前になって、それが何かが分かる。
「うわっ!石ぞ・・・」
ゴンッッ!!
落下してきた石像は、空を見上げていたロニエスの顔に激突した。
「クッククー!」
宿敵の顔の上で、石像は小振りなガーゴイルに変わり、高らかに勝どきを上げる。
「ググ!」
両手を広げるアマンダの胸に、ググが飛び込んだ。
「どこへ行ってたの?心配したのよ」
甘えた声で鳴いて、ググは飼い主に擦り寄った。
「おいコラ、トカゲ鳥!今のはかなり痛かったぞっ!」
傷だらけの顔でロニエスが怒鳴るが、ググは
「あら?」
アマンダはググの尻尾に結ばれているものに気付いた。
「何かしら、これ」
引き裂いた布を広げると、文字が書かれていた。
「海、断崖、石の建物?」
首を傾げるアマンダの脇から、セルデュが顔を出す。
「おやあ、これはレスネイルの血ですね。魔力を感じます」
「えっ!」
アマンダとロニエスの声が重なった。
アマンダは布を握って目を閉じ、意識を集中させる。
「・・・本当だわ。ごく少量だから分かりづらいけど、魔力がある」
「ファリーか!」
ロニエスが布切れをひったくた。
指で書いたと思われる血文字は痛々しかったが、それでもファリーが居るという証だ。
「トカゲ鳥、ファリーはどこに居るんだ?案内してくれ」
ロニエスの言葉が分からないのか、ググは不思議そうに首を傾げる。
「無理だな。こんな小さなガーゴイルが理解できるはずが無い」
端整な微笑を浮かべて首を振るセルデュの顔に、ググが後ろ足で蹴りを入れる。
・・・悪口は分かるらしい。
「待って。これはファリーがくれた手がかりなのよ。海に面した断崖の建物にファリーが居るんだわ。そこがきっと、トリッチの隠れ家なんじゃない?」
アマンダは海岸線を見渡して、その条件に合う場所を探す。
「ガーゴイルはそう長い距離を飛ばないわ。トリッチの馬車が向かった方角を探しましょう」
アマンダが指した方には、岬が入り組んで続いている。
「ファリー・・・」
腰に挿した杖に触れて、ロニエスは岬を見据えた。
ファリーは壁に寄りかかって静かに座っていた。
なるべく身体を丸めて、体温を保つようにする。
血文字を書いたせいで指先が痛かったが、舐めただけで我慢する。
陽が傾き始めて、部屋が薄暗くなってきた。もうすぐ暗くなるだろうが、灯りも出さずにそのままで居るつもりだ。
オルガの話から察するに、トリッチは自分を殺すつもりは無いように思えた。
だとしたら、脱出の機会は必ず来る。
今夜がダメでも明日に。明日がダメでもその次に。
だからその時が来たらちゃんと動けるように、魔力と体力は温存しておかなければ。
だが、目を閉じて瞑想しようとするファリーの心を乱すのは、あのオルガの顔だった。
大人のレスネイル特有の性差の無い容姿。
トリッチよりも若く、多分、10歳は若いように感じる。
最初、トリッチはオルガと結ばれて性別を固定させたのかと思ったが、それはすぐに打ち消した。
そうであれば、オルガの魔力も無くなっているはずだから。
性徴期を純潔で過ごし、魔力を守ったオルガ。
オルガがトリッチと行動を共にすると決めた時、トリッチはすでに男性だったのか。
オルガは性別の無い大人だったのか・・・。
我ながら下衆の勘ぐりだとも思う。
・・・でも、気になるのだ。
だって、オルガのトリッチへの想いは、多分・・・。
扉の鍵が開く音を聞いて、目を開いた。
コツコツと靴音を響かせて、トリッチが中へと入って来る。
ファリーはゆっくり立ち上がった。
「招かざる客がやって来たよ」
えっ・・・。
ファリーの胸が鳴った。
それって、もしかして・・・。
トリッチは窓の前に立った。
「海を見たまえ」
言われた通りに、ファリーはできるだけ平静を装って窓から下を見た。
思わず漏れそうになる声を押さえる。
波に揺られて浮かぶ沢山の顔。
昼に見た時よりも、更に増えている。それが一斉にこちらを見上げていた。
「人魚だ。ここに仲間が捕えられているのを気付いたらしい」
ゆらりと、窓を囲む空間が揺れるのをファリーの目が捉える。
「結界が・・・」
「気付いたかね。奴らオルガの結界を破壊しようとしている」
ファリーは改めて海を見た。
人魚たちは魔力を結集して、この建物を覆っているオルガの結界を壊そうとしているのだ。
結集するなんて言葉にするのは
それに魔力。
人魚の魔力はレスネイルに匹敵すると聞いた時は、正直信じられなかったが、人数で圧しているとはいえ、こうしてオルガの結界を揺さぶっている。
それは魔力の大きさだけではなく、その技巧も優れているという事だ。
「このために結界を張ったのか・・・」
ファリーが思わず洩らした言葉に、トリッチがクスッと笑うのが分かった。
「まさか君を逃がさないためだ、とか思っていたのか?」
「・・・いいえ」
ムスッとしてファリーは首を振った。
身の程知らずだと言いたいんだろう・・・ちょっとだけ思っていたとは絶対に言わないけど。
「人魚たちは、仲間の魔力だけを辿ってここまで来たのだよ。死体となっているのに、それだけの魔力が残っているとは驚異にほかならない。100年前に人魚を手に入れたサムガルヴァ大公下の
海を見下ろしながらそんな事を語るトリッチの瞳は、熱っぽい輝きを帯びていた。
「そんな書物が存在していたんだ・・・」
ファリーは感心してつぶやく。
けれどそれは、サムガルヴァ大公国の国家機密として厳重に保管されているか、高等魔法院の文書室に封印されているかのどちらかで、魔薬士の本棚にお気軽に入っていて良いものでは無い。
けれど・・・。
「あなたは人魚をどうするつもりなんですか?」
「薬にする」
・・・ですよね。
我ながら愚問だと思う。魔薬士なのだから当然だ。
「100万の病と、得たくも無かった魔力に苦しむ者を救うための薬を作るのだと言ったら、君は快く協力してくれるかい?」
「えっ?」
ファリーは思わず顔を上げる。トリッチの顔と身体がすぐ近くにあった。
その戸惑いを待ち受けていたように、トリッチが口の端でニヤリと笑った。
「やはり君は面白いよ、ファリー。ゆっくりとじっくりと口説き落としたいが、残念ながら時間が許してくれないようだ・・・」
トリッチの手が、ファリーの
「こちら側の世界を、少しだけ教えてあげよう」
To be continued.
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