第27話 空と海と湖

 まさか。

 ファリーは窓に駆け寄った。


「ググ!お前、ググじゃないか!」

 ファリーの大きな声に、海鳥たちが驚いて飛び立って行ったなか、小振りなガーゴイルだけが残されて、嬉しそうに尻尾を振っている。

「おいで!お前、よく来たね。よくここが分かったね」

 ググは器用に格子の間をすり抜けて、ファリーの胸に飛び込んで来た。

 抱きとめて頭を撫でてやると、気持ち良さそうに「クー」と鳴いて擦り寄る。


 手の中の小さな温もりが、ファリーの心をも温めていた。

 ググが来たって事は、アマンダが近くに居る。

 ひとりじゃない、ひとりじゃないんだ。


「ねえググ、お前はどこから来たの?ぼくはラクマカから連れて来られたんだけど・・・」

 ググは元気良く「クーククー」と鳴き声を返した。

「アマンダに言われて来たの?アマンダはどこに居るの?」

 ググははりきって「クククークー」と鳴いてみせた。

「・・・ごめん、ちっとも分からないや」

 ググがガクリとうな垂れた(気がした)。


 だが、ググが飛んで来れらる距離にアマンダが居るという事だ。

 ガーゴイルは術者、つまり主人であるアマンダから離れすぎると生体を保てない。石像に戻ってしまうのだ。

 自分は気を失っていたから、どのくらいの時間をかけて連れてこられたか分からなかったけれど、ラクマカの宿場からそれほど遠くない場所かもしれない。

 ・・・それに、もしかしたら・・・


「ググ、もしかしてロニも一緒に居るの?」

 その名前が出た途端、ググは口をカッと開き、「ググーッ!」と叫んで羽をばたつかせた。

 明らかに怒っている。・・・と、いう事は・・・

「ロニが居るんだね、アマンダと一緒に!」

 ファリーの明るい声とは裏腹に、ググは更に怒って、バサバサと辺りを飛び回った。


 ロニが近くに居る。

 トリッチに捕まってなかった、元気で居るんだ。

 それだけでファリーの心は、大きな安心感に包まれた。

 それと同時に、萎えていた脱出への気持ちが沸いて来る。


 ファリーはローブの裾を切り裂いて、端切れを作った。

 指先を歯で噛み切り、血の滲んだ指先で、布に文字を書き始めた。

 今はググが希望だ。トリッチに見つかる前に、外に出さなければ。


「ググ、いい子だね。ちゃんとアマンダの所に帰るんだよ」

 布をググの尻尾にしっかりと結び付けて、格子の隙間から空へと放す。

「頼んだよ、ググ」

 ファリーは祈るように、小さくなって行くググを見送った。


 そして改めて窓から辺りを見直す。

 でもやはり海と空しか見えない。

 ガーゴイルであるググが外から入って来たのだから、魔法を使わずに自力で外に出る事は可能なのだ。


 壁を伝って下りるのは難しそうだが・・・足がかりになる段差か突起があれば何とかなるかもしれない。

 ファリーはつるんとした石造りの壁を見下ろした。


「うわっ!」

 海を見てギョッとする。

 人の顔らしきものが、波間にたくさん漂っていた。


「人魚だ・・・」

 波の下に大きな魚の尾鰭おひれが透けている。

 ジェミニードの海の支配者である人魚族だ。

 海上に顔を出しているだけで、10体は居ようか。


 しかし、人魚が棲んでいるのは暖かい南の海だ。

 南方の海域以外にはめったに現れないのに、ここがラクマカ近くの海岸であるのなら、かなり北に上がって来ている。

 ファリーは昨夜のトリッチの話を思い出した。「人魚族は結束が固い」と。

「もしかして、あの人魚の・・・」


 その時、カチリと扉の鍵を開ける音がして窓から離れた。

 現れた人物に息を呑む。

 薄紫の髪をした魔道士、オルガが立っていたのだ。

 怖さが足元から這い上がって来る。

 ググが運んできた小さな希望が、いともあっさりと踏み潰されるのを感じた。

 気持ちを上げておいてコレだ、神様は意地悪だよね。

 ファリーの乾いた喉がコクリと鳴る。

 オルガはゆっくりとファリーに近づくと、手していた籠を床に置いた。


「お昼ごはん」

 つぶやくような口調でぽつりと言って、籠の中のものを広げる。

「へ?」

 床の上には、皿に乗った大きなパンとカップ、ポットが並んだ。

 オルガはカップに飲み物を注ぐ。

 フワッとリンゴの香りが立って、上等のお茶だと分かった。


「・・・いただきます」

 逆らうのも何なので、湯気の立つお茶を一口含む。

 さっぱりとした風味に食欲をそそられ、パンを手にした。

 オムレツとハムとチーズ、色とりどりの野菜が、脇からはみ出るほどたっぷり挟まっていて、こぼれないよう食べるのに苦労する。イチゴが2個添えてあった。


 朝ごはんは、魚介のたっぷり入った具沢山のスープと干ブドウのパンだった。

 ・・・贅沢である。

 およそ囚人の食事では無い。・・・いや、普段ファリーが食べている食事よりも豪華で、栄養が行き届いた献立だ。

 まさか、太らせて食べようとしている訳では無いだろうけど・・・。


「豪華ですね」

 試しに言ってみた。

「トリッチの指示です」

 サラッとした返答だけでオルガは口を閉ざし、緊張感のある沈黙が漂う。

 ・・・お給仕だったらぜひ別の人にお願いしたい、とファリーは思った。

 これはこれで、トリッチの嫌がらせなんだよね、多分。


 イチゴをかじっていると、それをじーっと見つめるオルガに気付いた。

「あ、食べます?」

 ファリーがもう1個を差し出すが、オルガは小さく首を振った。

「・・・雨粒」

「は?」

「雨粒ほどの小さな魔力だ。地に届く前に消えてしまうほどのものだ。・・・役に立たない」

 ・・・そりゃ巨大な湖を思わせる魔力と比べたらそのくらいでしょうよ。

 ファリーは2個目のイチゴを口に放り込む。分かっていても、面と向かって言われるのは、しゃくに障った。


「なのにどうして、トリッチは気になるのか・・・」

 グッと、オルガはファリーに顔を近づける。

 すぐ近くにオルガの紫色の瞳があった。

「あの人は役に立つものしかそばに置かない。役に立つものしか欲しがらないのに・・・」


 薄紫の髪も白い肌も透き通るようで、まるでオルガ自身が湖のようだ。

 触れれば揺れて消える水鏡のようだと思う。

 けれど、その紫の瞳の奥にだけ、確かに触れるものをファリーは感じた。

「あなたも・・・レスネイル族ですよね」

 ファリーの言葉に、かすかにオルガの目が見開かれる。


「ぼくは雨粒ほどの魔力ですが無くすのが怖いです。だって、魔力の無いぼくなんて、何の役にも立たないでしょ?・・・でも」

 オルガの瞳をまっすぐに見る。

「役に立たないと・・・好きな人のそばに居ちゃダメなんですか?」

 みるみると、今度ははっきりとオルガの目が見開かれる。

 無表情だった顔が、透明だった影が、色味と手触りを付けて行く。


「お前など殺してしまえばよかった」

 オルガの言葉に、ファリーは全身が凍るような恐怖を感じた。

 それが、感情を伴った本心から滲み出た言葉だったからだ。

 スウッと、オルガが音も無く立ち上がる。

 せいぜい身構えるなり、防御するなり、無駄なあがきが必要だろうが、ファリーは全身が固まってしまって、動く事ができない。


「・・・でもそれは、あの人の望みでは無い」

 くるりときびすを返す。

 その後姿から、また色味が消えて行くように見えた。

「わたしは、あの人の望むわたしとして生きると決めた者。わたしは・・・あの人の影月」

「え・・・」

 ズキンとファリーの胸が鳴った。

 扉が閉まる重い音が、石の壁に反響していた。


To be continued.

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