第23話 魔薬士

「・・・これは、随分と乱暴だな」

 笑いを含んだ男の声が、石造りの部屋に響く。

 ファリーはそれをきつくにらみ付けた。

「しかし一発で落とすとはおそれ入った。あのヴァーサンクの仕込みかい?・・・ファリー」

 部屋の入り口にトリッチが立っていた。


「ジェルジンに何をしたんですか?」

 睨み付けられた目を逸らさずに、トリッチは薄笑いを浮かべた。

 なでつけていた髪を自然に下ろして、口髭を取っただけで、かなり若く見える。

 腰の低い執事の姿は微塵みじんも残っていない。


「君への恋慕を遂げさせてあげようと思ってね。そこの自称模範生は、君がオルガに倒されたのを見ていて、果敢にも飛び込んで来たのだよ。・・・泣かせるじゃあないか」

 オルガとはあの薄紫の髪の魔道士の事か。

 近くに気配は感じられないが、もしここでファリーが魔法を仕掛けようものなら、即座に姿を現すに違いない。


「イシアルテの花を覚えているか?ファリー。ああして焼き菓子の香味付けにされる分なら何とも無いが、抽出の仕方と量によって媚薬びやくの効能がもたらされる。ことレスネイル族には良く効くようだ。独特の甘い香りを感じただろう?よく覚えておくといい」

 ハッとファリーは自分の口を押さえた。

 ジェルジンが唇を重ねてきた時に感じた、花のような甘い香り。あれが媚薬だったんだ。

「大丈夫だよ、あの程度の口付けをされたぐらいでは、成分がうつる事は無い」

 クックッとトリッチの喉から笑いが漏れる。

「悪趣味!」

 見ていたんだ、ずっと。

 悔しくてたまらないが、今のファリーには悪態を付くぐらいしか、やり返す手立てが無い。


「悪趣味か・・・私もそう思うよ、心からね」

 もてあそぶような返答に、ファリーはありったけの嫌悪をもってトリッチを睨む。

 だが、トリッチはそれを受け止めつつ、なぜか遠い目をした。


「あなたは結局、何者なんですか?サムガルヴァ大公の執事というのは嘘ですね?人魚を持っていたり、媚薬を調合できたりするところを見ると、魔薬士まやくしだと思いますけど・・・」

 トリッチの口端がニヤリと上がった。

「けど・・・何だね?」

「分かりません。なぜサムガルヴァ大公家との関わりを偽装しなければならなかったのか。そんな手を使ってまで、ぼくらを護衛に使ったのか。・・・だって、あれほどの魔道士が付いているのならば、そんな必要が無いでしょう?」

「その方が面白いからだよ」

「はああ?」

 ファリーの反応に、トリッチは声を上げて笑った。


「・・・サムガルヴァ大公は、曽祖父そうそふが手にした人魚を、どうしても手に入れたくて、この私に依頼して来たのだ。100年前と違って、『時留ときとどめの護符』を扱える魔道士が手元に無かったらしい。危険な橋と知りつつ、渡るしかなかったのだよ」

 100年前・・・人魚・・・ファリーはひらめいたままを言葉にする。

「それって、金山と人魚を交換した王様の話ですか?サムガルヴァ大公国の話だったんだ!・・・でも『時留めの護符』を使ったとして、その後はどうしたんです?人魚の肉は薬として使ったんでしょう?護符を外したり付けたり、いちいちそれじゃあ薬に加工もできない」

 トリッチは黙っている。

 なぜか自分の答えを待っている気がして、ファリーは考える。


「・・・サムガルヴァは高山に囲まれた寒い国だ。そういった山には、ずっと溶けない雪や氷があると聞く。そこなら年中、低い温度が保たれているんじゃないかな。それを利用したんだ」

 ファリーの答えに、トリッチは軽い笑い声を上げる。

「君は最後尾の劣等生だと、そこの自称模範生が言っていたが・・・なかなか鋭いじゃないか」

 ジェルジンめ・・・。

 ファリーは傍らで気絶している同級生を横目で見た。


「ファリー、人魚の死体が希少だとされる理由は、腐りやすいという他に、何がある?」

 授業じゃないんだからさ・・・。

 辟易へきえきとしながらもファリーは答えを出す。

「・・・人魚は死ぬと海に溶けるからです。おかで死ななければ死体が残らない」

「よろしい、その通りだ」

 トリッチは満足そうにうなずいた。


「死体を腐らせないよう保存したり、薬に加工する技というのは、相応の知識と魔力があればできる。だが本当に難しいのは、人魚を陸で死なせるという事なのだよ。・・・知っているかいファリー、レスネイル族は魔族中最高の魔力を持つという自負があるがね、それは陸上だけの話で、人魚族の魔力はレスネイル族を超えるとも言われているのだ」

「えっ・・・」

 初めて聞く話に、ファリーは息を呑んだ。


「その魔力こそが人魚の薬効なのだよ。レスネイルの血液に魔力が宿っているように、人魚の血肉には強い魔力があり、それを体内に取り込んだ者に魔力をもたらすのだ。・・・それが不老不死の正体だよ」

 魔力が肉体を強固にするのは知られている。

 その原理を一時的に利用しているのが、ケガや身体の不調を治す回復魔法だ。

 身体が丈夫という事はしぜん長寿であるだろうし、元気が良ければ若くも見られる。

 不老不死などはありえなくても、普通よりも10年、20年と長生きすれば、そんないわれも当てはまるだろう。


「海中で生きた人魚を捕え、陸に上げる。これだけの事が実は極めて難しい。人魚族は結束が固い。一体だけを捕えようとしても、必ず仲間が助けに来る。オルガほどの魔道士でさえ、海中での捕獲は難しい」

 ファリーは目を見開く。

 オルガという魔道士の強さを身を持って知っているからだ。


 ・・・ならば、どうして死体があるのだろうか。

 無理やり引き上げる事ができない相手なら、自分から上がってもらうしか無い。

 人魚は短時間であれば海から上がれる。

 南の海へ行けば、沖の岩場に上がって日光浴をする人魚を見かける事もある。

 それを船で捕獲したとしても、それだけの魔力があるのなら、無事に陸まで帰れるとは思えない。

 つまり、自分の意思で陸に上がってもらわなければ、叶わないのだ。

 だから・・・


「・・・あの人魚は本当に大公の孫娘だったんだ。南方で大公女と結ばれたという青年が人魚だった。もしお祖父さんが生きていて、自分に会いたいと言われたなら・・・」

 人魚とはいえ両親を亡くした若い娘だ。

 もしかしたらヒト族の母を持つ事で、辛い思いをしていたかもしれない。

 そんな時、自分の祖父がまだ健在だという報せがもたらされる。

 しかも祖父は王であり、自分は姫と呼ばれる身分で、一緒に暮らしたいと言っている、と。


「陸でも生きられる手立てがあるとか言われて、人魚はひとりで岸に上がったんだ・・・」

 愚かであったかもしれない。

 でも、海の中で生きるしかない人魚が、その海の水が苦かったならどうだろう。

 陸の上が輝いて見えたかもしれない。

 ・・・鳥籠を出たくて仕方が無かった自分のように・・・。


「陸にさえ上げてしまえば・・・手を下さなくても、やがて人魚は死んでしまう」

 ファリーはこみ上げるものをグッと飲み込む。

「サムガルヴァに送るはずだった遺体を横取りしたんですね。護衛兵や魔道士を襲ったのはあなたの方だったんだ」

 トリッチは顔色ひとつ変えない。

 薄笑いを載せたままで、

「サムガルヴァの魔道士が意外に腕の立つ連中だったので、オルガが少し手こずった。大公の方もこうなると予測があったのだろうね、私がネハーコに到着した時には触書が出ていたよ。魔道士を追わせていたオルガと合流するまでの間、護衛が必要だった。何せ目立つ荷物だったからね、あれは」

 と、淡々と応えた。


「何で・・・ぼくだったんですか?あの時、用心棒は他にも大勢居た。事情を聞かないで仕事を請ける者だっていっぱい居る。ぼくなんか見るからに頼り無さそうなのに、なぜ?」

「面白そうだったからさ」

「ふざけないで!」

 食ってかかるファリーに、トリッチは目を細める。

「ふざけてないさ。どう見てもまだ鳥籠に居るべき性徴期のレスネイルと、一度しか覚醒していないヴァーサンクが、組んで用心棒などやっているのだ。興味が沸かないはずが無いだろう?・・・その期待に、君達は充分応えてくれたよ」


 ファリーは唇を噛み締める。血が滲むほどに。

 ・・・悔しい。

 ほんの少しでも、酷い目にあった大公の執事が気の毒だと思った、自分の甘さに腹が立つ。

 胡散臭うさんくさいのは承知していたのに…。


「君を殺さなかったのは、材料が欲しかったからだ。性徴期のレスネイルなど、死体でも滅多に手に入らないからね」

 聞いてもファリーに恐怖は湧かなかった。

 この男が魔薬士であるのならそれは正しい。

 魔薬士とは様々な材料と手法を用いて、魔法薬を精製するのが生業なりわいなのだから。

 オルガというレスネイルの魔道士が提供しているのは、魔法だけでは無い事は容易たやすく察せられる。


「生きた素材として思いがけなく二体、しかも男女が手に入ったのは嬉しい誤算だよ。・・・でもね、ファリー。私の、君への興味はまだ続いていると言ったら、どうする?」

 え?

 ファリーはトリッチの顔を見た。

 相変わらずの薄笑いだが、どうしてだかその瞳に真摯しんしな光があった。


「君は面白い。実験用に飼っておくには・・・惜しい気がする」

 トリッチはそう言うと、きびすを返して部屋を出て行った。

 扉が閉められると同時に、部屋を照らしていた魔法の効果が切れる。

 ファリーは再び訪れた暗闇の中で、トリッチが出て行った扉をいつまでも見つめていた。


To be continued.

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