第22話 天国での扱い

 このジェミニード大陸に生を受ける者ならば、覚悟しなければならない事がある。

 両親、祖父母、曽祖父母とヒト族(人間)でありながら、突然魔族の特徴を持った子供が産まれるという事を。

 それは遠い祖先の血が、気まぐれによみがえり現れるからだ。


 このジェミニードにおいて最も高い魔力を有し、魔道の支配者と自負するレスネイル族。

 ヒト族とほぼ変わらない容姿であるが、髪の色が青や緑などヒト族では現れにくい色をしている。

 そして何より違うのが、男女の性別が無いと言う事だ。


 だが実は、レスネイル族にも生まれ持った性別がある。

 生まれ落ちた時には、ヒト族のそれと同じ性差のある身体を持っているのだ。

 しかし生後ひと月ほどで、男女とも性別の無い身体、中性体に変化する。


 産婆はそんな赤子を取り上げたり、そんな赤子が居るという噂を聞いた時は、魔法院に報告する義務がある。

 レスネイルの血が現れた子供は、世俗で育ってはならない。

 その生まれつき宿す高い魔力をって、神聖なる魔道士となるべく養育されなければならないからだ。

 だから、すぐに親から離されて、魔法院に引き取られる。



 隣村まで山を越さないと行けないような、産婆もいない寒村かんそんとはいえ、7歳になるまで親元で育ったのはかなり珍しい。

 産婆を介さずに生まれた子であっても、たいがいは3歳にならぬうちに見つけられ、引き取られるというのに。

 そんな話を、ぼくは随分と後になってから聞いた。


 だからぼくは、鳥籠に押し込められても忘れなかった。

 7歳まで呼ばれていた自分の名。

 7歳まで暮らしていた故郷の村。

 ずっと覚えていた。

 鳥籠を抜け出して、最初に向かったのは自分の家だった。


「ただいま、父さん母さん。ぼくだよ、ファリーだよ」

 いくつもの山を越えて、いくつもの川を渡って、やっと帰ってきた。

 ずっとずっと夢に見てきたなつかしいぼくの家。

 ・・・なのに・・・


「ファリー、お前はここに居てはいけない」

 父さんは悲しそうな目をして、それでもはっきりとそう言った。

 ぼくが背負って子守をした妹が、「この子、誰?」と、ぼくを指差した。

 母さんの腕には、初めて見る赤ん坊が抱かれていた。


 ひとつ年上の兄さんが、

「レスネイルの子を出した家には、魔法院から慰労金が出る。うちはそのお金でリンゴ畑を買ったんだ。お前が帰ってくると、畑を返さなければならないんだ」

 父さんのような低い声で言った。


 ああ・・・そうか・・・そうなんだ。

 ぼくは「分かった」とうなずいた。

 そうするしか・・・なかった。


 母さんは泣きながら、大きな袋にリンゴを沢山入れてくれた。

 父さんは大事な大事な大事な金貨を、ぼくの手に握らせてくれた。

 兄さんは村の出口まで送ってくれて、

「ごめんな、ファリー」

 小振りなナイフをぼくにくれた。

 ぼくが小さい頃、欲しいとねだってもくれなかった、兄さんのお気に入りのナイフだった。


 ぼくは走った。

 振り返らずに走った。

 もう帰れない。

 帰る事ができない。


 帰れる場所が無いって分かると、世界が急に広く見えた。

 頼れる人がいないって分かると、世界にたったひとりぼっちだと思った。

 誰もぼくの名を呼ばない。

 誰もぼくを知らない。


 ぼくはここに居る。

 誰か呼んで、呼んで。

 ぼくを呼んで・・・!



「ファリー!」

 応えは無い。

「ファリー!どこだ!」

 やはり応えが無い。

 籠に溢れるほどの食料を抱えて、ロニエスは途方に暮れていた。


 夕食を仕入れて、宿屋の車置き場に戻ってみると、ファリーも馬車も荷も、何もかもすっかり無くなっていた。

 日暮れが辺りをぼんやりと闇に染めている。

 荒れ放題の庭木が揺れているだけで、重たい静けさだけがそこにあった。


「ファリー、どこだぁファリー!」

 いつもなら、どこからかヒョッコリと顔を出して「ロニ、ここだよ」と、返事があるはずなのに・・・。

 あてもなくウロウロとするロニエスの足先に、コツンと何かが当たった。


「これは・・・ファリーの杖だ」

 拾い上げて確かめる。

 間違い無い。

 ファリーの腕より少し長いそれは、何とかいう香木で作られていて、ほんのりと香りが良い。


 ファリーにとって大事な杖だ。

 それを置いて行ったのだろうか、それとも・・・?

「・・・ファリー」

 ロニエスは杖を握り締めて、空を仰いだ。

 東の空にはまだ、双子月の姿は無かった。



 波の音が聞こえていた。

「う・・・」

 身体の痛みと寒さを感じて、ファリーはうっすらと目を開く。


 暗い場所に横になっているのが分かった。

 いや、転がされていると言った方が正しいようだ。

 直に触れている、床の冷たさと固さが身体に染みていた。


 これが天国なのだろうか?

 聞いていたのとは違って、随分ぞんざいな扱いだ。

 せめて何か敷いてくれたらいいのに、身体が冷えて背中や腰が痛い。

 ・・・あれ、死んだのに痛いとか冷たいとか感じるのかな?


「・・・ここは・・・?」

 ファリーはぼんやりとした頭を持ち上げる。

 かすかに漂う潮の香りと波の音が、海が近いと言っていた。

 身体を起こして辺りを見る。

 壁に格子のはまったくり抜き窓があった。そこから星空が見える。


 どうやらまだ生きているようだ。

 ・・・あの薄紫の髪の魔道士と対峙して、命があるはずは無いと思ったけど・・。

 だが、手放しで喜べる状況だとはとても言えない。

 辺りを手で探って杖を探してみるが、とにかく暗いばかりではっきりしない。


「光よ、我に集い闇を照らせ・・・メルーン」

 呪文と共に現れた光の玉が、ほんのりと部屋の様子を照らす。

 すると、部屋の隅に何かがうずくまっているのが見えた。

「・・・ロニ?」

 相棒の名を呼んでみる。だが、返事は無い。

 ファリーは灯りを近づけて、もう一度見た。


「・・・ジェ、ジェルジン?」

 壁にもたれて座り込んでいるのは、宿屋の車置き場で別れたジェルジンだった。

 あの縦縞ローブは着ていなかったが、普段その下に着用する襟なしのシャツと黒いズボン姿で、じっとファリーを見ていた。

「な、何だ。居るなら何か言ってよ、びっくりするじゃないか」

 そうやって座っていたのなら、起こしてくれてもいいのになぁ。こっちが灯りをつけるまで黙っているなんて・・・。

 ファリーは心の中で愚痴る。


「・・・オルファリ、お前に関わるとロクな事が無い」

 ジェルジンは、これみよがしの溜息をつく。

「そりゃ悪かったね。・・・ところでジェルジン、ここはどこだか分かるか?」

 おざなりに謝って、ファリーは知りたい事を質問した。

「こんな事になるなんて・・・お前が悪いのだぞオルファリ、分かっているのか?」

「だからごめんって。君こそ魔法院に帰ったんじゃなかったの?」

「お前をあんな男の元に置いたまま、帰れると思うのか!」

 あんな男とはロニエスの事か。

 ・・・そうだ、ロニはどうしただろう?

 ファリーはあの時そばに居なかった相棒の事が、急に心配になる。


「ジェルジン、ロニがどうしたか知らないか?一緒じゃなかった?」

 ファリーはジェルジンの前にひざまずいて、相棒の行方をたずねた。

 その腕をジェルジンが掴む。

「お前の口から、あの粗野な男の名が出るのは、どうにも我慢できない・・・」

「ジェ・・・!」

 呼ぼうとした名前が、柔らかくてしっとりしたものに遮られる。

 生まれて初めての感触、ほのかな甘い香り。

 それが口付けであるとファリーが理解するのに、少し時間がかかった。


「やっ・・・」

 あわててそれを振りほどく。

 だが、ジェルジンはファリーの腕を掴んだまま、床へと押し倒した。

 ファリーの後頭部が石造りの床にゴチンと当たる。

「あ、痛あっ!何すんだよっ!」

 ファリーは怒りを露わにするが、上からそれを見つめるジェルジンの目はやけに熱っぽい。

 ジェルジンはそのままファリーに覆いかぶさって、身体に触れてきた。


「オルファリ、やはり女性だったのだな・・・」

 え?・・・そうだ、もう夜だった。

 ファリーは自分が女性体になっているのに気付いた。

 上から押し付けられる胸は平たい。

 肩の張りや腕の力強さが、ジェルジンが男性体であると言っていた。

 と、なると・・・

 この状況ははなはだだマズイのではないか・・・。


 ファリーが考えている間にも、ジェルジンの手がファリーのローブを脱がせ始める。

「ちょっ・・・!何しようとしてるか分かってるの?ジェルジン!」

「このまま女性になってしまえばいい。お前など魔力を失っても、一族の損失にはならん」

 プチッと、ファリーの中で何かが切れた。

「てめぇだって無くすんだぞ!目ぇ覚ましやがれ、このエロ野郎が!」

 ジェルジンのこめかみに向けて、ファリーは握り締めた拳を力一杯叩き込む。

「ごっ・・・」

 短い声を上げて、ジェルジンはファリーの上に倒れこんだ。


「・・・これは、随分と乱暴だな」

 笑いを含んだ男の声が、石造りの部屋に響く。

 ファリーはそれをきつくにらみ付けた。

「しかし一発で落とすとはおそれ入った。あのヴァーサンクの仕込みかい?・・・ファリー」

 部屋の入り口にトリッチが立っていた。


To be continued.

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