第21話 沼の底

 そういえば、ジェルジンは荷物の中味を気にしていたなあ。

 昔から細かいんだよね、模範生で級長なんかやってて。

 いつもぼくのする事にケチ付けるんだよね。

 ファリーは学校での事を思い出していた。

 思い出と言っても楽しかったものは少ない。

 魔法ができなくて居残りさせられたり、同級生に意地悪されたりなど、苦いものの方が多かった。


 そういえば、資料室に閉じ込められた事があったよね。

 普段は入れない場所だけど、週一回生徒が掃除をする日があって、ぼくだけわざと中に置いてきぼりにされて、鍵かけられたんだよね。

 結局、就寝時間まで先生に気付かれなくて、お腹すいたっけなぁ。


 資料室には、色々なものが沢山保管されていた。

 魔道書、歴史書などの書物の他に、希少な魔法植物、絶滅した魔物や魔獣、動植物が生きていた姿そのままに、保存されていたのだ。

 他の生徒は気味悪がって近寄らなかったが、ファリーは珍しくて面白くて、閉じ込められた恐怖を忘れて見て回っていた。


 その後、資料室に興味が沸いたファリーは、自ら志願して専属の掃除係となる。

 掃除もそこそこで、資料を見入るのがファリーの楽しみとなっていた。

 そのうち資料室を管理する教官と仲良くなり、色々教えてもらうようになったのだ。


「ダルデリス先生、元気かなぁ。ジェルジンに聞けば良かっ・・・」

 教官の名を口にした途端、ファリーの記憶が次々に蘇った。

 養成学校の中で唯一、気の合った人だった。その人が優しく教えてくれた事・・・。

 そう、記憶の沼の中で見た、あの古くて重そうな木の扉は・・・学校の資料室だ!


 ファリーは、せっかくきちんと掛けた布を思いきり引き剥がす。

 下に掛けてあった布も剥がして、黒塗りの棺をむき出しにする。

 そしてゆっくりと蓋を外した。


 こもっていた冷気が白く流れ落ちる。

 中で横たわる女性は、ネハーコで見た時と何ら変わらず、美しい姿のままだ。

 ファリーは顔を近づけて、首に掛かっているメダルを見た。

「やっぱり・・・時留ときとどめの護符だ」


 資料室の中で、生きていた時の姿を何年もそのままに留めている魔物たち。

 ファリーはある時、それらが皆、同じ護符を身体に付けている事に気付く。

「君は本当に目端めはしが利くね、オルファリ。仕方が無い、内緒で教えよう。これは『時留めの護符』だよ。この護符を施した物の時間を止める効果がある。だからこの魔物たちは、腐る事も無く枯れる事もなく、生きていたままの姿・・・いや、正確に言えば、死んだ直後の姿を留めているのだ。・・・だがオルファリ、いたずらに外してやろうなどと思ってはいけないよ。こうしている分には大した魔力は感じないが、これは実に深遠なる魔法を秘めている護符なのだから」


 資料室の管理教官であるダルデリスから、この話を聞いた時のファリーは、ただ漠然と「すごいなあ」としか思わなかった。

 だが今ならば、その「すごい」がどれほど「すごい」のかがはっきりと分かる。


 時間を操作する魔法というのは、簡単に扱えるものでは無い。

 とにかく膨大な魔力が必要だという事はファリーも知っていた。

 その強大な魔法を永続させるための封印がこの護符だ。


「外すだなんて滅相めっそうも無いですよ、ダルデリス先生。ぼくの存在なんて消し飛ばしてしまうほどの魔法だ。これは・・・」


 護符を施した者に相応する魔力が無ければ、外す事など不可能だ。

 無理にやろうとすれば、その反動を受けてしまう。

 毎日かけていた氷結魔法が、どうも上滑りする感じだったのは、これが原因か・・・。

 サムガルヴァ大公の下に、これほどの力を持った魔道士が居るなんて・・・。


 ・・・あれ。

 じゃあ何で氷結魔法をかける必要があるの?この遺体は劣化しないと分かっているのに。

 そもそもこの護符は、公女様が亡くなる前から首にしていたって、トリッチさんが言っていた。

 でも、生きている人間にこの護符は必要無いでしょ。

 ・・・単なるアクセサリーだったとか?

 ・・・いやいや、この護符自体がマル秘だもの。魔法院の外では全く目にしないから、ぼくだって今の今まで忘れていた訳で・・・。


 ファリーの心の中がザワリと鳴った。

 何かが食い違っている。

 何かを見逃している。

 思い出せ、最初にこの遺体を見た時、変だと思った事を。


 なぜ毎日凍らせる必要があったか、遺体を腐らせないためだ。

 時留めの護符を付けているのはなぜか、これも腐らせないためだ。

 ではなぜ、簡単な氷結魔法ではなく難しい護符を付けたのか。

 ・・・氷結魔法では間に合わない程、腐りやすいもの・・・だからだ。

 それは・・・!


 ファリーはすぐに身体を起こして、棺全体を見やった。

 ・・・そう、大きい。

 若い娘を収めるにしては、異様なほど縦長の棺なのだ。


「ごめんなさい、公女様」

 遺体にペコリと頭を下げると、ファリーは遺体の足元を飾る花をどけて、ドレスの裾を引き裂いた。


「・・・やっぱり」

 現れたのは人間の足では無く、きらきらと輝く鱗の付いた、大きな魚の尾鰭おびれだった。

「あったよアマンダ、ここに。南方で上がった人魚が・・・」


「ああ、とうとう見つけてしまいましたか・・・」

 突然現れた気配に、ファリーは飛び退いて杖を構えた。

 本当に、この人はいつも、音も無くそばに立つ。

「トリッチ・・・」

 噛み締めた奥歯から、その名を絞り出す。

 呼ばれた男は、不敵な笑みを浮かべた。


「鳥籠から脱走した小鳥にしては、良い出来だったよファリー。その護符の意味を教えたのはダルデリスか?奴は昔から変わり者が好きだったが・・・」

 トリッチの口から、教官の名が出てもファリーは驚かない。

 この男の正体について、ひとつ見当を付けているものがあったからだ。


「あなたは性別を得たレスネイルですね。だから人魚の保存方法を知っていた。ぼくに氷結魔法をかけさせていたのは、中を偽装するためだ。中味が不老不死の妙薬だと知られたら、ぼくらが横取りするとでも思いましたか?」

 トリッチはファリーを見つめたまま、口端を引き上げる。

「やはり面白いよ、君は。旅の道連れとしては申し分無かった。・・・名残惜しいが、それもここで終りだよ」

 その時、ファリーは初めて背後の魔力に気付いた。

 咄嗟に身体を反転させ、杖を構える。


 立っていたのは、薄紫色の髪を長く垂らした人だった。

 男でも無く女でも無く、笑うでもなく怒るでもなく。

 魔道士のローブとはまた違った長衣を羽織っていて、その細身の姿はとても儚げである。


 その姿を見た瞬間に、ファリーは理解する。

 時留めの護符を施した魔道士であると。

 そして自分と同族の者、大人のレスネイルであると。


 は・・・。

 ファリーは笑った。

 男性として固定した者、性別を固定せずに中性体となった者、そのどちらか選択期間の自分。まるでレスネイル族の変体標本のようだ。

 ・・・でも、みすみす標本になるつもりは無い。

 目の前の魔道士に杖を向けて呪文を唱える。


「大気よ力を示せ・・・」

 しかしそうしながら、ファリーはすでに絶対的な敗北を感じていた。

 目の前の魔道士の魔力は、湖のように静かだ。

 けれどその奥には、あらゆるものを奈落へと突き落とす巨大な滝、瀑布がゴウゴウと音を立てている。

 ・・・そこを筏で乗り切ろうとしているようだよね、ぼくは。

 その図を想像して、また笑った。


「キウソーフ!」

 それでもありったけの魔力を注ぎ込む。

 さっきジェルジンに向けたのとは比べ物にならないくらい、ファリーは全身全霊で魔法を叩き付けた。

 荒れ狂う風の塊が、一直線に目前の魔道士に向かって行く。


 だが、魔道士がツイッと左手を上げただけで、音も衝撃も無く魔法が霧散する。

 周りの庭木にすら何の影響も及ぼさないまま、ただ静かに魔法だけが消滅した。

「え・・・何?」

 一体何が起きたのか、ファリーには分からなかった。

 目の前の魔道士は、杖を掲げてもいなければ呪文も唱えていない。

 何か魔法が発動したのかさえ、感じられなかった。

 魔道士は眉ひとつ動かさないまま、細長い指をゆっくりとファリーへ向けた。


 ・・・ああ、ダメだなこれは。

 ファリーが最後に見たものは、その指先から放たれたほのかな光だった。


To be continued.

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