第18話 ロニエスの記憶
「昔な、すっげー昔だけどな。月はひとつだったって話、知ってるか?」
「え?・・・知らない」
今度はロニエスがフッと笑った。
「大昔、夜空にはあの赤い月があるだけだったんだ。その頃のジェミニードは、夜になると風が吹き荒れ、作物を枯らしてしまってたんだ。人々は夜を恐れ、赤い月を恐れた。人々は神様に『赤い月を下ろしてくれ』と願ったが、神様は代わりに黒い小さな月を、赤い月のそばに置いた。すると夜が穏やかになって、人々は赤い月を恐れなくなったんだ。それから、あの月たちを『兄弟月』と呼ぶようになったんだと」
「へえー、初めて聞いた」
ファリーはあらためて、月を見上げた。
「この話は俺の
さわさわと、風が草むらを鳴らして行く。
ロニエスの束ねた髪がファリーの首筋に触れて、少しだけくすぐったい。
「ロニの伯父さんかぁ、騎士だったの?」
「若い頃そうだったらしい。俺に剣を教えてくれたのも伯父貴だ」
ロニエスが自分の昔話をするのは初めてだった。
なるほど、騎士から教わっているのであれば、剣に長けているのも納得できる。
「それで、伯父さんは今も故郷に居るの?」
「死んじまった。・・・俺が殺した」
えっ・・・。
ファリーは言葉につまる。
一段と強い風が、草を波打たせながら向かってくる。
ファリーは風に煽られて目を閉じた。
「俺が覚醒した時、俺を止めようとして・・・だ」
ロニエスの言葉が、お互いにくっついている背中から響いてくる。
風が連れて来たのか、薄い雲が月にかかって、少しだけ辺りが
「伯父貴は俺の親代わりだった。親父は元からいなくて、お袋もガキの頃に死んじまったからな。伯父貴は村で読み書きや武術を教えていた。・・・まあ、そこにアマンダも来ていたんだ」
その村は伯父の生まれ故郷では無く、村に居た刻印士との縁で住み着いたらしい。
その弟子がアマンダなのだと、ロニエスは付け加えた。
「あの頃は、俺も騎士団に入ろうって考えてた。他に取り柄無ぇし、入団できれば兵舎暮らしで、住まいも食い物も心配無ぇからなぁ」
少年ロニエスにはその選択しか無かったのだと、ファリーは思った。
伯父に遠慮があったのだろうし、親の無い子に村は息苦しかったのかもしれない。
ロニエスの話は続いた。
「15歳になると入団試験が受けられる。それを目指して準備していた。・・・あれは試験前日の夜だった。村にヴァーサンクが現れたんだ」
間が悪い事に、村の刻印士は弟子たちを連れて仕事に出ていた。
家々で食べ物を食い散らかし、女性を襲い、止めようとする男たちをなぎ倒すヴァーサンク。
ロニエスと伯父は剣を持って立ち向かった。
「・・・けどなぁ、元騎士のオヤジと、これからなろうってガキがどうにかできる相手じゃあ無ぇんだよな。あっという間に伯父貴はふっ飛ばされて、俺は初めて見る怪物にビビッちまって、動けなかった。・・・そん時、ヴァーサンクは納屋に隠れていたエマを見つけちまったんだ」
「エマ?」
女性の名前だ、と、ファリーはすぐに思った。
「俺と同い年で、伯父貴の所に読み書きを習いに来てた子だ。村で評判の可愛い子だったけど、家が貧しくてな、近々、領主の城に奉公に上がる事になってたそうだ」
ロニエスの口から「可愛い子」だなんて言葉が出るのは、まず聞いた事が無い。
なぜかファリーの気持ちがざわついた。
「ヴァーサンクはエマに襲いかかった。俺は助けようとして夢中でヴァーサンクを刺した。逆上したヴァーサンクは俺を納屋の壁に叩き付けた。・・・そして・・・俺は覚醒した・・・」
打ち付けられた身体の気の遠くなるような痛み。
流れ滴る自分の血に濡れながら、少年は立ち上がりたいと願う。
力が欲しい、生きたい。
その思いに、眠っていた祖先の血が呼応する。
少年の身体を借りて、
「俺はヴァーサンクを倒した。・・・けれど、それは・・・ヴァーサンクが入れ替わっただけの事だった。・・・俺は・・・エマを襲った。それを止めようと、傷を負いながらも駆けつけた伯父貴を壁に叩きつけて・・・俺は、仕事先から急ぎ戻ったアマンダが封じてくれるまで、ずっとエマを・・・」
ああ・・・。
ファリーは目を閉じた。
光景が浮かぶ。
理性を失った目に映る少女の姿。
どうしようも無い事だ。
ロニはそのエマという少女を好きだったんだ・・・きっと・・・。
「封じられた俺は、村の連中に捕えられて、魔法院に引き渡される事になった。でも、迎えが来る前に、アマンダの師匠が逃がしてくれたんだ。・・・それで、今がある」
魔法院に連行されたヴァーサンクはある手術を受けさせられる。
ヴァーサンク化するのは男性だけなのだ。
再覚醒の防止とその血脈を断つための手術。有体に言えば去勢手術だ。
しかしそれを甘んじて受ける者はほとんどいない。
手術の成功率が極めて低いという噂があるからだ。
もっとも、ヴァーサンクとなって暴挙を働いた少年が、住んでいた場所に戻れる訳も無く、魔法院に行ってから先の事など、誰も知らないのが現状だった。
だから、ヴァーサンクとなってしまった少年たちは、身ひとつで逃亡する。
山程の護符を刻まれた男、ヴノも、故郷を追われ家族に捨てられた少年の、成れの果てなのだ・・・。
「あの村の事は忘れたつもりだったが、うっかりアマンダと再会しちまったからな。・・・あいつの言葉だと、村の者たちは元通りの暮らしをしてるらしい。けど、エマは・・・村を出たっていう話だ」
「領主の城で奉公してるんじゃないかな」
「いや、それは無いな」
ロニエスはきっぱりと否定した。
ファリーもそう思った。気休めだと分かっていて言ったのだから。
ヴァーサンクに襲われた女性が、やはり故郷に居られなくなるという話は珍しく無い。
エマという少女に起こった不幸は、すぐに領主の知るところとなったのだろう。
「俺が不幸にしてしまった。エマの人生を壊してしまった。後悔しても謝っても、もうどうにもならない」
ハッとファリーは顔を上げた。
「もしかして、それが理由?ロニが女の人、苦手な・・・」
んー、と、ロニエスの唸り声が背中から響いた。
「どうだろうな。ガキの頃から女には馴染みが無ぇからなあ。でも、関わらなきゃあんな目に合わせないで済む。アマンダの奴みてぇに、俺を封じられる女なんてそう居ねぇし・・・」
あ・・・そっか。
ファリーの心の中で何かがストンと収まった。
そっか、だからぼくがここに居るんだ・・・。
ざわざわとした音が立ったので、また風が来たのかと顔を向けたが、草は静かに揺れているだけだった。
でも、ざわざわと確かに聞こえる。
ファリーは気付く。
それは自分の内側から聞こえる音だ・・・と。
「俺・・・さ、ファリーが女じゃなくて良かった・・・って思ってる」
びくん、とファリーの身体が震えた。
「女じゃないから、俺がもし覚醒したとしても、お前を傷付けないで済む。・・・そりゃあ、ファリーは俺を封じられるけど、俺とお前は近いから、何が起きるか分からないだろ?・・・俺はもう・・・大切に想う奴を俺の手で不幸にしたくない。それが、怖くて仕方無いんだ。・・・だからファリー、お前で良かった」
ロニエスの言葉に、何か返事をしようと思うのだが、声にならない。
ただひたすら、ファリーの瞳から涙が零れるばかりだ。
けれど、泣いているのをロニエスに知られたくなくて、ファリーは顔を上に向ける。
薄雲はいつのまにか行き去って、晴れた夜空に赤い月と黒い月が寄り添うように浮かんでいた。
あの月たちもまた、こうやって背中をもたれ合っているのかもしれない。
そして、顔を見ながらではできない話をしているのかもしれない。
そう思うと、ファリーの薄桃色の瞳から、新たな涙が落ちるのだった。
To be continued.
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