第17話 草原の月
「ありがとな助かったぜ、ファリー」
彼はぼくの手をギュッと握って、笑った。
偶然に道で行き会った、魔力の暴走を必死で抑えていた人。
「鎮めの魔法」が成功したのが初めてだったから、つい「良かった」って言ってしまったんだ。
それだけだった。
なのに・・・。
でも、嬉しかった。
学校では一番の落ちこぼれで、先生に叱られて、級友にバカにされて。
「ありがとう助かった」だなんて、ぼくにも言ってもらえる事があるんだな。
それからぼくは、彼の相棒になった。
でも彼ときたら、いい加減で面倒くさがりで考え無しで。
お金が無い日なんてしょっちゅうだし、ごはんが食べられない日も多い。
危険な目にもたくさん遭った、怖い思いもいっぱいした。
もう勘弁してほしいって、何度思ったか。
けれど彼は、どんな時でもぼくを呼んでくれる。
ぼくを探してくれる。
「ファリー、どこだ?」
だからぼくは応えてしまう。
「ロニ、ここだよ!」
ハッと、ファリーは妙な気配に目を覚ました。
目の前の焚き火がパチンと
馬車の荷台で、トリッチが毛布にくるまっているのが見える。
だが、やはりロニエスの姿が見えない。
ファリーは立ち上がって、気配のする方へと歩いて行った。
「とにかくその
街道でセルデュとヴノを退けた後、トリッチの申し出に従い、馬車は途中の小さな町を飛ばして、先にある宿場町を目指す事になった。
そのため今夜は、街道沿いの木立の中で野宿をしている。
木立を抜けると草原が広がっていた。
ファリーの胸の高さほどもある草が生い茂り、まるで水面を走る波のように風に揺れている。
その先は一本の木も無く、見渡す限り空と地にくっきりと分けられていて、赤と黒のふたつの月がしんしんと淡い光を落としている。
風の音に混じって、微かにうめき声が聞こえる。
見れば、まるで獣が通ったように草が倒れていて、草むらの奥へと続いていた。
その痕跡に残る思いを感じながら、ファリーは足を踏み出す。
迷うようにくねくねと折れ曲がる道。
目を避けて身体を草に潜らせながらも、辿って来て欲しい、見つけて欲しいという思い。
進むにしたがって、ファリーは最初の気配が濃くなるのを感じていた。
そして・・・草の中にうずくまるロニエスを見つけたのだ。
「・・・ロニ」
そっと声をかけたが、返事が無い。
身体を取り巻く魔力がはっきりと見える。
離れた木立の中でまで気配を感じられるほどの、濃くて強い魔力。
「ロニ、ぼくだよ」
丸まった背中に手を添える。
直接触れると、それを跳ね除けようとするほどの波動が感じられる。
まるで捕えられた獣が暴れているようだ。
いきり猛った魔力が・・・そう、もうひとりのロニエスが、外に出ようともがいているのだ。
「・・・ダ、だいじょうブだ、フぁリー・・・少し休メば・・・元に戻ル・・・から」
荒い息の下、汗を噴き出しながら、ロニエスがとぎれとぎれの言葉を繋ぐ。
両手で胸の印を押さえて、額を地に付けて身体を丸めている。
今にも
無理も無い。
このところの連戦に加え、昼間のヴァーサンク戦だ。
その間一度も鎮めていないのだから、魔力も沸騰寸前だろう。
「無理しないでロニ、限界だよ。鎮めないと・・・」
「お、オ前だっテ・・・疲レてるダろ・・・魔法・・・ズット・・・使ってルだろ・・・」
「ぼくは大丈夫だよ。・・・さあ、ロニ。魔力の流れが強い。本当に覚醒してしまう」
穏やかに言い聞かされて、ロニエスはようやく少しだけ身体を起こす。
印を押さえている手の隙間から、黒い光が漏れていた。
ロニエスの手の下に自分の左手を滑り込ませて、ファリーは直接そこに触れる。
・・・熱い。
まるで焼け石を触っているようだ。
ドクンドクンと脈打って、それが底知れぬものの出口であるのが分かる。
不安はあったが、恐怖は無かった。
なぜなら、この奥にある底知れぬものもまた、ロニエスなのだから。
だから、怖くはなかった。
ファリーは左手首に杖をあてがって、深呼吸をする。
「・・・荒ぶる魂よ、神の吐息に包まれ・・・」
声に反応して刻印の熱が上がる。
脈動は更に激しくなり、鎮めの呪文に反抗した。
「シャニカズダレオマ」
白い光がファリーの手の平から放たれて、黒い光を打ち消して行く。
しかし、黒は消えまいとして逆に白を包み込もうとする。
もがき、のたうちまわる黒い獣を、白い光の縄が捕えているのだ。
縄尻を掴むファリーの手が擦れて焼ける。
だが決して、その手を緩めようとはしない。
次第に黒い光は力を失い、白い光に溶けて行く。
ロニエスの胸の脈動も落ち着いてきて、荒かった呼吸も静まりつつあった。
完全に刻印が消えるのを待ってから、ファリーは手を離した。
「・・・ありがとな、ファリー」
はあーっと、深い息を吐くと、ロニエスはそのまま後ろに倒れそうになる。
「わわっ!ロニ!」
あわててファリーが支えた。
あれだけの苦闘を耐えたのだ、疲労していて当然だろう。
「・・・悪りぃが寄っかからせてくれ。休めば治る」
「うん」
ファリーはロニエスの背中に自分の背中を合わせて座った。
こんな、寄りかかる物の無い場所で休む時は、よくこうして互いの背にもたれ合う。
「ジジイと荷物は大丈夫か?」
「木立に結界を張って来たから、大丈夫だよ」
「そうか・・・」
もう一度ロニエスは大きく息をした。
ファリーの背中が少しだけ重くなる。
「セルデュが連れていた男、ヴノとか言ったか、身体中に刻印があったな・・・。俺も、さ・・・いつかああなるのかな・・・」
「そうはならないよ、ぼくが居るからね」
ファリーは明るく言った。
少し間を置いて、
「そうだな。ファリーが居れば大丈夫だ」
と、ロニエスが応えた。
ファリーは自分の手の平をそっと見る。
真っ赤になっていた。
今日はできた。
だが、次はできるだろうか。
魔力を鎮めるだけでこれなのだから、もし覚醒してしまったら、自分に封じる事ができるだろうか・・・。
ファリーはギュッと手を握り締めた。
「ファリー、見てみろよ。月がきれいだぜ」
え?・・・言われて見上げると、コチンと後ろ頭同士が当たった。
ああ、本当だ。
晴れた夜空に赤い月と黒い月がくっきりと輝いている。
ファリーが小さな黒い月を指差した。
「黒い月ってさあ、影月って呼んでる地方もあるって、知ってた?」
「へえ。・・・でも俺は黒の方がいいな」
「どうして?」
「あれはお前だからだ、ファリー」
「・・・ああ、ぼくの黒っぽい髪の色か。じゃあ、赤くて大きい月はロニだね」
「そうだ」
大真面目な返事が返ってくるので、ファリーは笑った。
「昔な、すっげー昔だけどな。月はひとつだったって話、知ってるか?」
「え?・・・知らない」
今度はロニエスがフッと笑った。
To be continued.
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