第15話 ロニエス対ヴノ(1)

「いいえ、あなたの相手は彼です。・・・ヴノ!」

 セルデュが下がるのと同時に、あのくつわを握っていた大男がのそりと現れた。


 近くで見ると、背も胴回りもロニエスよりずっと大きい。

 ファリーはすぐにヴノを目で探る。

 魔力はほとんど感じられないから、魔族では無いようだ。

 素手で戦うつもりなのか、武器を持っている気配が無い。

 ボキボキと指を鳴らして、ロニエスを挑発している。


「・・・下がってろ、ファリー」

 ロニエスはヴノという男を見ながら、ゆっくりと馬車を離れ、街道わきの草地に下りた。

「ヴノ、行け!」

 セルデュが声を掛けた途端、

「うおおおおおおおっ!」

 ヴノが空に向けて雄たけびを上げる。

 同時にそれまで感じられなかった魔力が、彼の身体から一気に噴出した。


「えっ!」

 ファリーは目を疑った。

 魔力の上昇とともに、ヴノの身体に浮き上がった黒い神聖護符。

「黒の刻印・・・ヴァーサンク!」

 それも一つでは無い。胸、腹、背中、腕、足と、いたる所に刻まれている。

 その全てから黒い光が発せられて、身体中の筋肉が隆起して行く。

「魔力がいでる状態から、自分で覚醒するなんて・・・」

 こんな覚醒の仕方は珍しい。


 だがヴァーサンク化しているというのは、理性が無い状態だ。

「まともな戦闘になんかなるもんか」

 ファリーの口から小さく漏れる。

「・・・どうかな?」

 応えが返ってきた方を、ファリーはすぐに振り向いた。

 それはセルデュではなく、馬車の上のトリッチの声だったからだ。

 活火山のように魔力を噴き出しながらヴァーサンク化するヴノを、トリッチはじっと見据えていた。


 対峙しているロニエスは充分な距離を取って、冷静にヴノを見ている。

 先制攻撃は更に凶暴化させる恐れがある。

 理性を失っているのだ。こちらを敵と認識しなければ、襲ってこないかもしれない。

 ならば、ファリーが隙を見て封魔をかければ事は終わる。

 ファリーもそれを心得て、魔法の射程を目で測った。だが、

「グアアアアアアッ!」

 獣のような声と共に、ヴノはロニエスに一直線に襲い掛かった。


 掴みかかろうとする手を、ロニエスは自身の手で受け止める。

 互いの手と手が組まれての力比べだ。

 すでにヴノの背はロニエスを大きく上回り、腕の太さは倍もあろうかという程だ。

 ズズッと、ロニエスの後ろ足が土を掘った。


「何で?何でロニにまっすぐ向かって行ったの?」

 薄笑いで戦いを見守るセルデュに向かって、ファリーが叫んだ。

「何でっ・・・て、私の敵はヴノの敵だからですよ。ヴノは私のしもべなのですから」

 セルデュは前髪をかき上げながら言った。

 ・・・あーもうイラッとするなぁ、この人。

「そういう事じゃなくてさっ!」

「・・・ヴァーサンクは覚醒するごとに、その状態に慣れて行くのだよ」

 答えはまた馬車の上からもたらされた。

 ファリーはキッと大公の執事を見上げる。


「回数を重ねるごとに魔力を理性で調節できるようになるのだ。欲望の暴徒ではなく、理性のあるヴァーサンクとなる訳だよ。私もこうして目の当たりにするのは初めてだが・・・」

 トリッチの灰色の目は、荒れ狂うヴァーサンクを映して輝いている。

「理性のあるヴァーサンクだなんて!理性が無いから狂人種って言われるんです!」

 思わずファリーは反論する。

 トリッチは視線をヴノに向けたまま、

鳥籠とりかごではそう教わったかね。せっかく籠を出たというのに中味がそれじゃあ意味が無い」

 と、小さく言った。

「どうして・・・」

 その先の言葉を、ファリーは出す事ができない。

 続く言葉がありすぎて、出口が塞がれてしまった感じだ。


 トリッチはゆっくりと、馬車の下に立つファリーへと顔を動かした。

 それはいつもの、愛想の良い執事の顔であった。

「ファリーさん、ロニエスさんの援護をしないと負けてしまいますよ」

 ニコニコと笑いながら草原を指差す。

 あっ、とファリーは差された方に向き直った。


 ロニエスとヴノの力比べはまだ続いていた。

 だが、ロニエスは片膝を付いており、押されているのは明らかだった。

 ファリーはヴノの背中側へと走る。

 杖を横に構え、意識を集中した。


「痛っ!」

 パン!と乾いた音が立って、杖が弾かれ草地を杖が転がった。

「申し訳ありません。可愛い子に痛い思いはさせたくないんですけど・・・」

 セルデュの右手に鞭が握られていた。

 細い皮製で、致命傷を負う程の威力は無いが、当然、当たれば痛い。

 ファリーの手の甲が切れて、血が滲み出ていた。


「・・・って言うか!腰のソレ、やっぱりただの飾りじゃないか!」

 ファリーはセルデュの腰に下がる剣を指差した。

「帯剣は貴族のたしなみですから」

 また訳分かんない事を!

 構わずファリーは落ちている杖に飛びつく。

 手に掴もうとした瞬間、ヒュルンと風が鳴って杖が消えた。

「痛い思いをさせるのは嫌いですが、意地悪するのは大好きなのですよ」

 ファリーの杖を持って、セルデュは小憎こにくらしいほどきれいな微笑みをする。

 身体を起こしたファリーは手についた土を払いもせず、セルデュをきつく見つめた。


「おおおおおっ!」

 ますますヴノの力に押され、ロニエスの叫びが上がる。

 付かされた膝も地面にめり込んで、形勢はかなり悪い。

「ロニ!」

 相棒の名を呼んでも、杖を取られたファリーは丸腰同然だ。

 杖の助力が無ければ、魔法の威力は半減してしまう。


「おおおお押してもダメならっ!」

 ふいっと、ロニエスは自分から地面に背中を付けた。

 被さってきたヴノの腹を蹴り上げて、勢いを付けて投げ飛ばす。

 ダーン!という派手な音と土埃が立ち上って、ヴノは仰向けに倒れこんだ。

「引いてみろ・・・ってな」

 うめく巨体を見て、ロニエスは立ち上がった。

 顔に滴る汗を手で拭い、ふうっと息を付く。

「ヴノ!」

 これまでそんな片割れの様を見た事が無いのだろう、セルデュの声には驚きと焦りの色が濃い。

 それをギロリと睨み付けて、ロニエスはセルデュめがけて飛び込んだ。


「げっ!」

 咄嗟とっさに後退りするセルデュ。

 ロニエスの手が彼の胸倉に向かって手を伸ばした時、

「ぐわっ!」

 背後から丸太のような太い腕が、彼の首を巻き込んだ。

 転がっていたはずのヴノが、雄たけびを上げながらロニエスの首を締め上げる。

「い、良いですよヴノ!」

 少々腰が引けながら、セルデュはぐっと握り拳を作る。


 投げ飛ばされたのが効いたようで、ヴノは更に魔力を上げている。

 身体中の筋肉が膨れ上がって、もはや人の形を逸脱しそうだ。

「ぐ、ぐうっ!」

 ロニエスの苦しげな声が漏れる。

 首を絞められたまま持ち上げられ、ロニエスの足は地を離れた。

 それを何とか引き剥がそうとするが、ヴノの太い腕に肩の動きをも封じられ上手く行かない。

 両足が虚しく空を掻いている。


「ロニッ!」

 抗うロニエスの方にも変化が現れてきた。

 体技でかわせない苦しさは、彼の中に潜む魔力を呼び覚ます。

 呼吸を求めて喘ぐロニエスから、魔力が流れ出し始めた。


To be continued.

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