第12話 サムガルヴァの執事

 宿場町に入れたのは、日も傾きかけた頃であった。

「冬の冷気よ、我が手に集いて氷の華を結べ。コウトレイ!」

 ピシリと音を立てて空気が凍り、棺はその冷気に包まれて行く。

 朝と晩とに棺に氷結魔法をかけるのが、ファリーの重大な務めであった。


 こうして魔法をかけるたび、遺体を見た時の違和感を思い出す。

 何だかこう、かけた魔法が上っ面を滑って行くような、変な感じがする。

 あの時も、サムガルヴァの魔道士がかけたという氷結魔法が浮いているような感じがした。

 魔法の下に別の魔法があるような気がする。

 それが違和感の正体であり、原因は遺体に掛けられた護符なのだろう。

 けれど、あれにそれほどの力があるとは思えないのだ。


 ファリーはとにかく、あの護符が何かを思い出そうとする。

 どこかで見たはずなのだ。

 泥沼の中に潜るような思いで、記憶の渦の中に頭を突っ込み、目を開く。


 ・・・扉?

 古くて重そうで、模様が彫り込まれた木の扉が見える。

 これは・・・どこの扉・・・?

 ファリーは取っ手に手を伸ばした。


「ご苦労様でございます」

 声をかけられて、記憶が霧散する。

 トリッチが音も無く立っていた。

「ロニエスさんはどちらに?」

「食事を調達に行ってます。すぐに戻りますよ」

 答えながら、ファリーは棺に布を掛ける。


 ここは宿屋の庭である。

 もっと正確に言うと、車置き場である。

 宿屋に空き部屋はあるのだが、そこに泊まる事はできない。

 この棺をいちいち部屋に運び入れる訳には行かないのだ。

 そして、ファリーたちが護るべきは執事のトリッチではなくて、棺なのである。

 だからファリーたちは、宿屋の部屋が全部空いていようと棺のそばで寝まなければならない。


 最初にその事実に気付いた時、「はめられた」と思ったが、トリッチも棺と一緒に寝泊りするので、文句を付けられなかった。

 ただ当初の約束通り、食事代は全てトリッチが持ってくれている。

 大食いのロニエスが肉だの魚だのと贅沢に買い込んでも、何も言わずに支払ってくれるのだから、帳尻が合っていると思うしか無い。


「毎日毎日、お手数をおかけしますねぇ」

 そう言って、トリッチも棺に布をかけるのを手伝う。

「これがぼくらの仕事ですから」

 仕方無いです。と、いう言葉を飲み込んで、ファリーは笑って見せた。

「大変なお仕事ですよねぇ。どのくらいやってらっしゃるんですか?」

 珍しく、トリッチが話を継いでくる。

「はあ、まだほんの駆け出しで」

「ロニエスさんとも長いお付き合いなのですか?」

「そうですねぇ、ぼくは彼と知り合ってこの仕事を始めましたから」

「いえ、そうではなくて」

 トリッチは困ったような顔をした。


「サムガルヴァまでは長うございますから、時折はどうぞお二人でお部屋にお泊り下さい。こういった町中でしたら安心でしょうし、何かございましたら大声を上げますので」

 トリッチの申し出に、ファリーは首を振った。

 いくら何でも、依頼主を差し置いて自分たちだけ部屋に泊まるなんてできない。

「トリッチさんこそ部屋を使って下さい。荷物はぼくらが護りますから。大丈夫です、ぼくらは慣れていますから」

「慣れて・・・ですか・・・」

 トリッチはぐっと眉を寄せた。

「そうではございましょうが、お二人ともお若いのですし、時には二人きりのお時間が大切かと存じますし・・・」

 今度はファリーが眉を寄せた。

 トリッチが何を言わんとしているのかが、掴めない。


「あの・・・お二人は恋人同士でいらっしゃるのでしょう?」

 遠慮がちに確認するトリッチに、ファリーは首がちぎれるほど横に振って否定した。

「ち、違います、違います!ぼ、ぼくたちは違いますってば!第一ぼくは・・・!」

 勢い込んで言おうとした言葉を、グッと留める。

「ぼくは・・・ロニの相棒で弟分ですから」

 トリッチの眉が上がる。

 じっと見つめられるのを感じて、ファリーは棺の覆いを直すふりをして、顔を背けた。


「そう・・・ですか。いえ、お二人を拝見しておりますと、並ならぬご関係に思えたもので。昼間もお菓子など睦まじく召し上がっていらっしゃったですし」

「お、お菓子ぐらい・・・」

「あのお菓子に入っていたイシアルテの花は媚薬の効果があるんですよ」

「へ?」

 ポカンとファリーの目と口が開いた。

「それをロニエスさんに食べさせていたので、私はてっきり・・・」


 媚薬。

 それは異性をそーいう気持ちにさせる薬だという知識くらいは、ファリーにもある。

 それを食べろと勧めるというのは、つまり・・・

「し、し、知らなかったですよ、ぼくは!あれはもらったもので!甘いものは疲れに良いからそれだけの事でえっ!」

 ファリーは再び首をぶんぶん振って、必死に潔白を訴える。

 トリッチはあのニコニコ笑いを顔に浮かべたまま、

「ご存知無かったのですか。そうですか・・・」

 と、うんうんと頷きながら言った。


「いけませんねぇ、ああいった薬はしっかり把握しておかないと。魔力を失ってからでは、後悔しても遅いですよ」


 えっ・・・?


 ファリーは背筋に冷気が走るのを感じた。

 今、この人は何と言った?


 トリッチは変わりなく笑っている。

 けれど分かる。

 彼の灰色の目が、じっとファリーを見据えているのを。


「あなた、私にもあの菓子を食べさせたでしょう?いけませんねぇ、もう、とっくに日は落ちていますよ」

 咄嗟とっさにファリーは自分の身体をかき抱いた。

 この人が知っているはずが無い。

 でも・・・。

 トリッチがゆっくりと近づいてくる。

 悲鳴が胸の奥から沸きあがった。


「残念ですがファリーさん、私には妻も子も居りますので、どうぞご勘弁を」

「は・・・はああ?」

 頓狂な声を出すファリーに、トリッチはビシッと手の平を見せて制止する。


「私も長く王侯に仕える身、世の中には様々な愛の嗜好しこうがあるのは、重々承知しております。ですが、少年を相手にしたとあっては、糟糠そうこうの妻にあまりに申し訳が立たず・・・」

 ファリーはやっと、トリッチが何を言っているのかを理解して、

「ご、誤解です!ぼくはあなたの奥さんに恨まれるような企みなどしていませんよ!」

 と、強く抗議した。


「・・・そうでしたか?これは失礼致しました。いやいや貞操の危機を感じてしまいましたよ」

「もう!何を考えているんですか!ぼくは馬にやる飼葉かいばを取って来ますからね!」

 胸を撫で下ろしているトリッチに怒って、ファリーはそこを離れた。


 背中に冷気が残っている。

 脈が速くなっている。

 ふざけた物言いの中にも、灰色の目は冷めていた。


 聞き違いでは無い。

 確かに言った、あの人は。

 魔力を失ってからでは遅い・・・と。


 どうして知っている?

 アマンダにさえ打ち明けられなかった、レスネイル族の重大な秘密の二つ目。


 レスネイル族が貞操を失うと、同時に魔力も失うのだと・・・。


To be continued.

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