第10話 サムガルヴァ大公国

「あのぅ、一体その荷物は何なんですか?」

 半分は興味、半分は断る理由が欲しくて、ファリーはトリッチにたずねた。

 トリッチは荷に掛けてあった布を一気に引き抜いた。

 現れた物に、ファリーとロニエスは目を見張った。


 ひつぎである。

 黒塗りの大きな棺には、凝った意匠の紋が付いていた。

 貴族の、それもかなり身分も格式も高い家の紋章だろう。

 ・・・そう、小国の君主くらいの。


「・・・これって、中味は入ってんのか?」

 間の抜けたようで、至極まっとうなロニエスの質問に、トリッチはこっくりとうなずいた。

 ファリーとロニエスは更に言葉を失う。

 ・・・つまりは遺体の護衛をしろ、という話なのだ。


「・・・ちょっと待って下さい。もしかしてこの棺に入っている人って、サムガルヴァにとって重要な人ではないんですか?だったら、なぜ・・・?」

 この棺の様子から、そう考えるのが妥当だろう。

 ならば護衛に付くべきは、日雇いの用心棒などではなく、サムガルヴァの正規兵のはずだ。

 それに、こんな粗末な荷馬車で運んで良いはずも無い。

 何もかもが、ちぐはぐだった。

「それには深い理由がございます」

 ファリーの問いを受けて、トリッチは静かに話を始めた。


「この棺に納められしお方は、サムガルヴァ大公殿下の御孫姫にございます」

 それは今から20年も前の事。

 大公の娘、つまりサムガルヴァの大公女が、南方の国に留学していた折、とある庶民の青年と恋に落ちた。

 だが大公女は、留学を終えた後は国に戻り、国内の有力貴族と結婚する約束になっていた。当然、大公は二人の仲を許さなかった。

 しかしすでに大公女は青年の子を身籠っていた。

 激怒した大公は大公女を追放し、親子の縁を切ってしまったのだ。

 大公女はその身分を捨て、南方の国で青年と所帯を持つ事になったという。

 その後、音信は長く途絶えたままだった。


「・・・ですがある時、大公女様が亡くなられたという報せが届きました。ご出自に適わないお暮らしが、お身体をむしばまれたようでございます。大公殿下はご自分をお責めになられました。そして、せめて御夫君と御孫君を引き取りたいと申し出られましたが、お二人のお行方は分からなくなってしまっていたのです。ようやく探し出された時には、ご夫君はすでに亡くなられ、御孫君も病床においででした。・・・それがこの姫君なのでございます」

 涙に目を曇らせて、トリッチは棺を見返った。


 せめて遺体を連れ帰るのが大公の願いだが、姫の母親は国を追放された身であり、大掛かりな事はできない。

「大公殿下は私と、護衛兵二人、魔道士一人にその任を命じられました。しかしこの先の街道で、私たちは強盗に襲われてしまったのです。近くの農家の荷馬車に棺をお移しして、護衛の者と空の馬車を囮に、私はこのネハーコにたどり着いたのです。・・・そして丸1日が過ぎましたが、落ち合うはずの者たちは参りません」

 恐らくもう会えはしまい。

 トリッチは、ひとりで棺を祖国に運ぶ決意をしたのだ。


「あの・・・まだ1日しか経ってないんでしょう?もう少し待ちませんか、護衛の方たち、何か事情があって遅れているのかもしれませんよ」

 ファリーの言葉に、トリッチは首を振った。

「いえ、今日すぐにでも私は行動を起こさなければならないのです。その理由は魔道士殿がよくお分かりのはず・・・」

「そうなのか、ファリーすごいな」

 いやいや。

 ロニエスの期待の視線に、ファリーは顔の前で取り消しの手を振る。

 そんな急に話を振られても分からないし。

 一体どういうつもりなのか・・・。


「あ」

 ファリーはふと思いついて、棺の表面に手を置いた。

 案の定、冷たかった。

「そっか・・・氷結魔法。遺体を冷やさないとならないんですね」

 トリッチは大きくうなずいた。

「すばらしい。その通りでございます。大公殿下にはお孫姫のお姿をご覧になりたいとのご希望でございますゆえ。魔道士殿はお若いのに随分と研鑽けんさんを積まれていらっしゃいますね」

 トリッチの褒め言葉に、なぜかロニエスが自慢げにうなずいている。

 ファリーは気恥ずかしさに顔をあげられなかった。

 ・・・まさかアマンダの人魚保存案がヒントだったなんて、言える訳が無い。


「こういった事情でございますので、私には一刻の猶予も無いのです。国に入るまでとは申しません。経緯はすでに国に書き送りましたから、新しい護衛が差し向けられるはずです。それと合流するまでの間、なにとぞお引き受け下さいませ」

 移動中の宿代、食事代も負担すると言って、トリッチが提示した手当ての額は悪く無い。

 相場というものを心得ていて、信用のできる金額であった。

 けれど・・・


「棺を開けて下さい。中を確認してからでなければ、引き受けられません」

 ファリーはきっぱりと言った。

「中を・・・で、ございますか?」

 トリッチはいとうような仕草を見せる。

 だが、ファリーは引かなかった。


 行った事もない遠い国の大公家の悲劇など、今この場で真偽を問えるものでは無い。

 大事なのは、棺の中に納まっているのが、本当に遺体なのかどうかという事だ。

「仕方がございません。本来ならばご遺骸とはいえ、直接お姿をお見せできるご身分ではないのですが・・・」

 しぶしぶというのを満面に表しながら、トリッチはゆっくりと棺の蓋を外した。

 ゴトリと重い音が立って、籠められていた冷気が足元へ流れ落ちる。


 若い女性が、たくさんの花に埋もれて横たわっていた。

 青白い肌にうねりのある長い金髪。

 光沢のある白いドレスが色とりどりの花に映えている。

 伏せられた目が開かれたのならば、かなり美しい人だろうとファリーは思った。


 安らかに眠る死者を前に、神聖の名を戴く魔道士がなすべき事はただひとつ。

 ファリーは頭を垂れて、弔いのための聖句を唱えた。ロニエスもならって黙祷もくとうする。

 ・・・その様子を、トリッチは意外そうな表情をして見ていた。


 まごうかたなき遺体である事はこれで分かった。

 でも、ファリーにはまだ違和感がある。

 変な感じがする。それを見つけようと目を凝らしていると、


「・・・でけぇ女だな・・・」

 すこぶる遠慮の無い、そしてすこぶる素直なロニエスのつぶやきが漏れた。

 いや、でも確かに。

 胸の下で切り替えのあるドレスだから分かり難いけれど、

 立ち上がったらこの人、ロニエスと同じくらいかもしれない。

 女性としてはかなり大柄だろう。


「なっ・・・なんと無礼な事をっ!」

 トリッチが憤慨ふんがいの声を上げる。

「代々サムガルヴァ大公家は、お背のお高いお血筋なのです!大公殿下は、そこな剣士殿よりも大きゅうございますぞ!それこそこの姫が大公家の方であられる何よりの証!」

 顔を真っ赤にして食ってかかるトリッチに、ロニエスは謝るよりも、自分より背の高い大公に関心を示して、「へぇ、そりゃ会ってみたいねぇ」などと言ったものだから、トリッチはますます頭を沸騰させる。


「さ,もうよろしいでしょう。これ以上は死者の冒涜ぼうとくに他なりません」

 ぷりぷりしながらトリッチは棺の蓋を持ち上げる。

「あ、あーっ、ちょっと待って下さい」

 ファリーは思わず声を上げた。

 感じた違和感の原因が分かりそうなのだ。

 ここで蓋を閉じられてしまっては、それを探れなくなってしまう。

 あわててトリッチの前に出ようとしたので、棺につまずいてしまった。


「わあっ!」

 つんのめったファリーのフードを、ロニエスの手が伸びて掴んだ。

「あ、ありがと、ロニ」

 眠る女性にキスできるかと思うくらいの近距離で、ファリーの身体が止まった。

 立て続けの無礼に、トリッチは棺の蓋を握ったまま気を失いそうになっている。


「あれ?」

 ファリーは、女性の首飾りに目を留める。

 さっきは遠くて気付かなかったが、紋様が掘り込まれた小さなメダルが下がっていた。

 そこから微かに魔力を感じる。

「・・・護符?」

 違和感の元はこれだったのか?

 この護符はどこかで見た気もするが、思い出せない。


「もうこのくらいにして下さいませ。冷気が逃げてしまいます」

 トリッチはファリーを押しのけるようにして、棺の前に立った。

「あの、ご遺体の首にかかっている護符は何ですか?」

 思い切って聞いてみたが、トリッチは首をかしげて、

「はて、護符?首飾り?・・・あれは姫君が生前からなされていたものですので、そのままにしてあるだけでございますよ」

 と、怪訝けげんに答えただけで、さっさと棺の蓋を閉めてしまった。


 護符をあしらったアクセサリーなど珍しくは無い。

 昨日の市などでも気軽に買える物だが、あの首飾りはそういうたぐいと、ちょっと違うような気もする。

 何事もなく閉じている棺を、ファリーはどこか腑に落ちない思いで見つめていた。


To be continued.

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